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まるこビッチの鼻

今日も青空がきれいだな。良い日、良い日。

四月一日。

2023-04-02 | スピリチュアル

 4月になった。

 昨日は4月の一日ということで、自分の好きな神社に行ってきた。

 スマホの電波も圏外という田舎のそのまた山奥の神社。

 雪深い山奥なので、4月に参拝に行ったことはなかったのだが、今回、初めて行ってみた。

 お酒や卵、赤飯や鯛(刺身しか手に入らなかったが)などをお財布の許す限り購入して持って上がる。

 4月の一日と、十月の一日は神様の世界でのお祭りの日なので、ここの神社ももしかしたらふもとから誰か神職さんとかが来られていて神事をしていたりするかもな~、そしたらこのお供えどうしよう、神事が終わるまで待って、そのあとこっそりとお供えさせてもらおうかな~。などと考えていたのだが、山奥の神社には、人影は全くなかった。

 ほっとするような、滅茶苦茶さみしい気もするような。

 街中だったら、小さな氏神さんレベルの神社でも、一日は何かしらの御供えとか、神事が催されていることが多いのに。

 ここの神様はかなりの力を持った強く優しい神様なのに。

 冬の間は雪で参拝不可になるので、人が集まってくるのは年に一度の大祭の時だけのようだ。

 その時のこの境内は空間が何倍にも広がり(感覚的に)、眷属もわんさか居てとても密で明るい空間になっていたのに。

 境内から空を見上げれば、光の粉をまぶしたようなきらきらとした青空。

 お供えを並べ、祝詞をあげ、ささやかな一日のお祀り、を始める。

 そして、これから自分の生活が変わっていくことなどをお話する。

 様々な事を一人で背負って生きていかなくてはいけないのは本当にしんどい。

 苦しいから神仏にお願いする、一つづつでも状況が改善されますように、と。

 でもそんなお願いは全くかなわず。

 もしかしたら神仏には“私の人生に関与してはいけないルール”とかがあるんじゃないか? と絶望したくなるくらい、暗闇の中を歩いている気がする。

 たとえるなら、私が落っことしそうになったコップは落ちないように助けられるけど、本人自身が苦しみの淵から落ちそうになるのは助けられない、とか。

 もう、結構あきらめているから、どうでもいい。

 その神社は冬の雪の影響で、境内の灯篭が倒れ、小さなお社の雨どいも壊れてしまっていた。

 お金があったらなんぼでも寄進したいけど、今は猫を養うのもカツカツの状況。

 なけなしの千円をお賽銭箱に収めておく。

 助けてもらえなくても、私はここの神様が大好きだから。

 今度いつ参拝に来られるだろう? わからないまま神社を後にした。

 山奥の谷あいの神社。

 黄色い花が満開で、優しい香りに包まれて、本当に別世界のようだった。


ふしぎな神社

2021-05-26 | スピリチュアル

 前回更新してからすでにひと月近く経っているではないですか!

 ああああ、なんでこんなに月日の経つのは早いのかしら? もうすぐ死ぬのか? 私?

 お相撲も、てるりんの連続二場所優勝で幕を閉じたし。

 仕事と猫の世話で毎日が過ぎていっている。

 昔なら年一くらいでためたお金で神社仏閣めぐりの旅行に出て、パワーチャージできたんだけど、このご時世、それはできない相談よ、ってな感じでさ。

 遠い県外の神社仏閣に出かけられないから、車で行ける範囲のところを巡ってみたりもしているのだが。

 車で行かなきゃいけないような山奥の神社だから、コロナもなにもあったもんじゃないくらい人と会わないけどね。

 

 そんな中、若一さんと呼ばれる神社にたまたま行った。

 そこはなんとも優しい気の場所で、人を救ってあげよう! という包み込むような温かさが充満している場所で。

 その日、ほかにも数件神社を回っていたのだが、断トツで優しい(⋈◍>◡<◍)。✧♡

 そこの専門は、病をいやす、特に手足の病に特化していた。

 手形足形をお借りして自分や病の本人に持たせ、治癒した暁にはその手形足形をお返しする、ということを、ずっと何百年も続けていた神社だそうで。

 今は手形足形を拝借しても返さない人が圧倒的に増え、それどころか「なんぼで売ってくれるのか?」と、お守りを「買う」ように金額を聞いてくる参拝者が後を絶たないそうで、キレた?(;'∀') 神職さんが、返却しなくてもいい! 金も要らない! と、参拝者に無償で配布するようになった簡易の手形足形がその神社には置いてあり、私も母の分と自分の分で、手足一つづつ頂いて帰った(ただじゃ申し訳ないので、もちろんこっそりお賽銭をたくさんいれて帰りましたわよ)。

 

 十センチ前後の手形足形、足の悪い母に足形をわたし、自分は手形をもらった。

 杉の間伐材で作られたその手形を毎晩握って眠っていた。スギの香りの効果か、安眠にも効果ありだった。

 そんな先日、仕事場で右手を負傷する事故に遭ってしまった。

 労災として病院にも行ったのだが、血がだらだら出た割には実は痛みはあまりなく、次の日の仕事休めてちょっとラッキーかも、とか思ってしまうくらいの、まあ怪我を得たのだったが。

 

 不思議なことにその日家に帰ると、ベッドのところに置いていた手形がない。

 ベッドの上も下も、部屋中探してみるのだが、どこにもない。

 今までずっとその部屋に、ベッドの上に置いてあって、猫がつつくこともなかったし、なぜその手形が消えたのか全く分からない。

 推測するに、この手の怪我は本来もっと重いもの、指の一本くらい飛んじゃうような怪我になるはずだったところ、あの手形が何かしらの方法であの程度に抑えてくれたのではないだろうか?

 神社に入った瞬間から、人が大好き、人を守ってあげたい、という気がバンバン出ていた神社だったし、最近はコロナの影響で県外からの参拝者がめっきり減ったらしく、きっと神様たちもこんな時に来た参拝者だからしっかり守ってやろう、としてくださったのではないだろうか?

 緊急事態宣言が終了し、世間がもう少し落ち着いたら、車を飛ばしてまた手形を受けに行きたい。

 その神社は「河野神社」

 結構霊験あらたかなる神社、だぞ(^◇^)♡

 


お財布と金木犀。

2020-10-11 | スピリチュアル

 いつもならもう、金木犀の花の香りが町中に広がっているころだと思うのだが、今年はまだ、というか、あっちで微かに、こっちでふっと、ってな感じ。

 いつもの年なら、金木犀の仲間内では回覧が回っていて、何月何日に一斉に開花させます、という連絡が載っていてそれに従って花を咲かせているとしか思えないほど、ご近所で一斉に開花していたのだが。

 

 先日、自分が暮らす田舎の街よりももっと田舎の、少し気温の低いところの神社に行ってみた。

 二年ほど前に一度、きたことのある神社。五月くらいだったかと記憶している。

 その時は、本殿に立ったら急に大きなスズメ蜂が飛んできて、ぐるぐると二回りほどして去って行き、その後は綺麗なクロアゲハがひらひらとんでいた記憶がある。まあ、山の中の神社なので、虫がいるのは当然なので、大して気にもしなかった。

 鬱蒼とした木々に覆われた、ぱっと見、暗い感じのする神社。前に来た時と同じ。

 しかし、今回は鳥居を一歩入ると、金木犀の香りが優しくふっと香った。

 そういえばそういう時期だもんな、その時はそのくらいしか思っていなかった。

 歴史は古いが、今は人も地元の集落の人しか来ないんじゃないの? とか失礼ながら思ってしまうくらい静かな神社。

 でも、あまり知られていないが、そこの神社には、地元では珍しく急成長して利益を上げているとある会社が神社にいろいろ奉納している。

 なので、間違いなく力の強い神様がおられるはず。

 しかも、幾柱かの神様がご神体として奉られているので、その中の一柱くらい、手すきの神様がいるかもしれない、だったら自分のお願いも叶えてもらおう、と、実にいじましい思いで参拝に行った。

 お願いは新しく買った財布の浄化。

 お財布はまず第一番目に神社で使うと、そこの神様が財布をきれいに清めてくださると有名なブログで読んだので、それを実践しにそこを選んだ。もちろん選んだ理由はとある会社の話を知っていたから。

 神社であいさつし、お願いし、そのあと初めてお財布を開いてお賽銭を入れる。

 その後、参拝者もいないので、しばらくお社の壇に腰掛けてぼ~っとしていた。

 拝殿の向かって左側になんだかちらちら黄色いものが見える、でもそっちをしっかり見ると何もないただの森。

 年のせいか? 目を酷使しているからか?

 しばらくいて、ようやく一人参拝者が来られたので、自分は神社を去る。

 その時にもまた金木犀の香りがふっと流れていた。

 鳥居を出るころ、そういえば金木犀の木ってあったっけ? と思って周りを見渡すが、姿はない。

 家に帰ってよくよく考えたが、この辺りもまだなのに、ここより標高の高い寒い場所じゃまだ咲かないよな、と気づく。

 自分は神仏のサインは目ではなく、香りで気づくタイプ。不動明王や、他の神社でも独自の香りがするのを嗅いできた。

 ひょっとして、歓迎されていた(^◇^)?

 

 ちなみに、そのお財布で初めてお金を出して買ったケーキ屋さんでは何故かおまけをしてもらえ、次の日には別の店で何十人に一人か当たる十倍クーポン券が当たった。

 これは金運のいいお財布になったといえるのかしら? 

 


大祓で考えた。

2020-07-01 | スピリチュアル

 7月になりました。

 昨日は、午前中、大祓に行ってきました。

 人型に年齢や名前を書き、体中をその人型で撫でて、最後におなかから息をフ~、っと三回吹きかけて半年の穢れを人型に移し、お祓いをしていただくという、神社によく行く人なら定番の行事。

 私も家の近くに神社はあるのですが、町内会がなぜかそこの神社の氏子から脱退してしまったので、毎年半年に一回配られていた人型を入手できない‘大祓難民’になってしまっております。

 んで、ここ数年、とあることから懇意になった神様のいる神社でお祓いをしてもらおうと、とある神社に参拝したのであります。

 小さな川の流れる、民家が片側にへばりつくように立っている、ちょっと山に入った、一見普通のその地域の人たちの氏神さんのような小さな神社。

 しかしそこの神社は、九世紀後半に、兵庫の廣峯神社から勧請して神様に来ていただいたという、由緒正しき『牛頭天王』が奉られている神社なのであります。

 牛頭天王という名前が一般人にとってはちょっとメジャーではないため、今は須佐之男命がご祭神ということになっております。京都の八坂神社と同じでありますね。

 そこの本殿の牛頭天王さんもとても力が強いのですが、わたしにははっきりとはわかりません。はっきり判るのは江戸時代に勧請された境内社のお稲荷さんで、もともとそのお稲荷さんに呼ばれて初めて参拝したという経緯があったりするのであります。

 そこの神社は参拝した人一人ひとりを幣でお祓いしてくださるうえ、お神酒、お札等のおさがりをくださいます。

 しかも、人型を受けてお祓いしていただくのに、志納を受け取らない、という驚くべき神社なのであります。

 普通の神社は、お志で(百円以上~)、とか志納が千円だったら何々、二千円になったら加えて丸々もお付けいたします! という感じの、ちょっと通販番組が入ったような状況が当たり前の世界なのですが、これはかなり珍しいような気がいたしました。

 そんなにあちらこちらの神社で大祓をしていただいているわけではないのですが、いろんなものをたくさんいただいて、志納は……と尋ねたら「結構です。」と神主さんに答えられびっくりして、それではこっちの気が済まない、と、お賽銭箱に千円札を入れて帰った次第なのですが。

 大祓というのは、縁結びや学業成就など、何かの願い事を叶える、とかとは基本的に違うことで、人間が生きているうちにどうしても受けたり、自分で培ってしまったりの穢れを一掃して、リセットしてくれる行為で、その作業は神様が存在する基本行為だから。という気がとても致します。

 だからその行為に対しては、祓ってもらいたいものが来たら何の見返りも受けることなく払ってやる、という神様のスタンスがあるような感じを非常に受けます。

 だからその日のお祓い等の神事はお金を受け取らない。

 なんというか、神様に忠実な神社なのだなぁ、と、感銘を受けました。

 しかし、そんな素晴らしい神社なのですが、はっきり言って市街地でも不便なところにあるゆえに、氏子がどんどん減っていってしまっているそうで、神社の維持もなかなか大変な状況になっているとのことで。

 力の強さで言ったら地域の一宮にも引けを取らないほどの神社なのに、何とも口惜しいことであります。

 皆様のご近所にも、小さな目立たない神社でも、実は深いご由緒を持ち、強い神様がいらっしゃる所はたくさんあるのではないかと思います。

 そして、そういう神社は(これはお寺にも同様に言える状況なのでしょうが)氏子や参拝者の減少で大変な状況になっているところも少なくないのではないかと思います。

 そういう神社にちょっと参拝して、お賽銭も10円とかではなくせめて100円硬貨などでも入れて差し上げられたら、それは「神社の人の懐に入る」ではなく、神様をお祀りする作業を維持するためのものとして使われることとなると思います。

 大きな名の知られた神社仏閣だけが自分を守ってくれたりするわけではありません。

 近場でいいので、自分が気になった神社等に足を運んでみられてはいかがでしょうか?

 自分と波長の合う神様仏様は、きっと見つかる、そう思います。

 この国の人は、長い間、神や仏に守られてきたのですから。

 


お出かけは神社仏閣に。

2020-06-02 | スピリチュアル

 六月になりまして。

 緊急事態宣言は解除され、良い天気が続いている今日この頃、どこかにドライブにでも出かけようか?

 でもまだ県外への移動はちょっと怖いし、県内の、観光地とは程遠い山奥とかに行こうかと思っている。

 ここ数か月、自宅近所の神社仏閣にはちょこちょこ参拝はしていたのだが(田舎の神社とかはフリーダム、ひしゃくを仕舞ったり拝観停止とかはナッシングなのだ)もともと霊媒体質の自分にはそれだけでは身体の具合がよろしくない。

 人とよく合う仕事なので、人が乗せてくるちいさな念(コロナの不安とか)がいっぱい来るというか、自分が飛ばしてしまった「タタリ様」の余波とか、いろんなごちゃごちゃしたことが溜まっていく。

 神社とかにそこそこ行っている方だと思うのだが、そんなんじゃ取り去り切れないほど最近の人たちの不安な念は強い。

 五月の末ごろには、自分に関係のないことに巻き込まれて「なんで私が……( ;∀;)」と、言うような目に遭うことが多くなっていて、なんかよくない運が寄ってきているのかなぁ、と不満の日々だった。

 しかしまあ、県内の移動ならさほど抵抗がなくなったので、次の休みには、自分だけが多分知っている、県内でも指折りのパワーのある神社に参拝に行ってこようと思っている。

 山奥も山奥、携帯の電波も届かないところだから誰もこない、でも、だからこそパワーもそがれないし、貸し切り状態で一時間くらい居たって誰からも不審者がられることもない。

 ただ、そこまで行く道が険しい細い、対向車が来られたらひいいいいいっ、となる(;^ω^)。

 もともと山奥だから、11月~4月くらいは行くことができないところなので、久々の参拝で悪いもの祓ってもらって、お疲れ気味のこの身体にパワーをチャージしてもらってこよう。パワーは半端ないから。

 そしてそのあとは、山を降りた後、道の駅とかによって何かしら地元名産のおいしいものを……と思いつつ、ここのところのコロナステイホームや、その後の飲食店を応援しようキャンペーン(自主的な奴ね(;^_^A)が過ぎたのか、お腹当たりのいらないお肉がフルフルしてきたような……Σ( ̄ロ ̄lll)ガーン

 ということなので、山登りだけして、下山後は美味しいものは目で見るだけ、漬物くらいなとを購入して帰るとするか。

 皆様も、久々の外出は、神社仏閣にお出かけになられると、沈んでいた気持ちも、運気もアップするかも、ですわよ(^^♪


お札を替えたい。

2020-01-04 | スピリチュアル

 あけましておめでとうございます。

 正月4日目でやっとこさ時間が取れました。

 やっと今日、初詣にも行ってきたし。

 自分自身、昨年十一月の終わりから年末にかけて風邪をひいて鼻水ズルズルだったのですが、その風邪を病院から持ち帰ってきた母はもっとひどく、年が明けてもまだ体調が悪いと嘆いております。

 母も結構な年齢だし、心配っちゃ心配なのですが、とりあえず、お迎えが来るまではピンピン元気に過ごしてもらいたいので、初詣はそのことをお願い。

 やっぱ、人間、健康が一番ですわ。

 

 今年はネズミ年、さっき行った神社で破魔矢を受けてきたのだが、ネズミが宝船に乗った絵馬がついていて、それがなんだかとても縁起がいい感じがしたので早速リビングに飾ってみました。(^◇^)

 昨年はそこそこいい年だったのだが、また違う感じのよい年になってほしいので、神棚のお札をいつもの神社とは違う神社に替えてみたいと思っていたりする。

 お札を変えることは神様に対して失礼とかは全くないということなので自分としてはまた別の、ちょっと大きめの眷属がいっぱいいそうな神社に替えてみたいと思うのだが、母とか古い人にはあまりそういうのが通用しないので、多分今年も近くの可愛いこじんまりとした神社のお札を受けてくることになるだろう。

 昨年末から家族が健康をちょっと害していたので、健康に強そうな神様のお札でもいいなぁ、とか思っているのですけどね。

 地元の「金運が上がる」と言われている神社の神様が、実は「健康・子育て」方面の方が得意のようだ、ということになんとなく気がついたので、ほんとはそこのお札がいいな~とか思っているんだけど。

 また今年も一年、いろんな神様仏様に守ってもらって、毎日頑張って過ごすのだ。

 今年もよろしくお願いいたします(^◇^)


神様のセルフお清め?

2017-04-01 | スピリチュアル

 今日二度目の更新。なんて珍しい。

 先ほど母が、私を大声で呼んでいたことについて不思議なことがあったのでそのご報告。

 

 母が何やら呼ぶのでしぶしぶ一階に降りてみると、母が神棚の下でごそごそしていた。

 何をしているのかと思いきや、母曰く

「猫が神棚のものを落とした!」

 と激怒している。

 

 今日は一日、なので神棚がある我が家ではお供えものをする。

 ついでに言うと、四月と十月の一日はちょっと豪勢なお供えものをする、と言うのが作法らしい。

 んで、母が今朝、神棚にお供えものを置いたのだが、お供えものには野菜や果物、水や塩にお酒、そして尾頭付きが一匹付くくことが望ましい、しかし、母が行ったスーパーにあいにく赤い魚がなかったとのこと。

 そこで苦肉の策として、母がお供えしたのが海老。

 お供えをして、私は二階に上がり、母も少しの間外出したあと家に戻ってみたら、神棚から水と塩とお酒が落とされて水浸し、塩まき散らし放題だったそうなのだ。

 

 怒り心頭の母、どの猫が落としやがった!(# ゚Д゚)! となっていたのだが、私はふと不思議なことに気が付く。

 落とされたのは、水と塩と酒、その隣に狭い神棚に無理やり超バランス悪く置かれていた海老や野菜等の置かれたお盆は無傷のまま。

 これって、なんだろう?

 そう思った瞬間、あ、これは『お清め』だ、と、ぽん、と頭の中に飛び込んできた。

 

 神棚の下あたりの一角には、何故か歴代の仔猫たちがしょっちゅう勝手にトイレにしていた場所があった。

 今はもうそんなところで粗相をすることはないのだが、ちょうどそのあたりに、酒と塩と神様にお供えした水がバシャっと落ちていたのだ。

 仔猫たちが粗相をしていたのは、ちょうど親戚等に不幸が重なって、お正月に神棚のお札を交換できず、神様不在になっていた時。

 もしかしたら、その場所に、私たち人間にはわからないのだが、何か良くないものが陣取っていたのではないのか?

 なので仔猫たちがそこで粗相をしたりしていたのでは?

 そしてその悪いものを、今回、神棚の神様がセルフで(猫を使ってだが)お清めしてくれたのではないのか?

 

 ちょっと触れたら落ちそうな置き方だった大好物のエビを落とさず、水と塩と酒だけ落としている、しかも容器はすべて無傷。

 これは本当に猫の仕業なのか? と思うと、もう、神様のセルフお清めとしか思えなくなってきた。

 なのでそのことを母に言うと、初めは怒りまくっていた母も、少しずつ、そうかもしれないわね、と、落ち着いてきた。

 この家のものは鈍いので、よくないものが憑いていても気が付かないからなぁ、だからなかなか運気が上がらないんだけどなぁ、しゃあない、ワシが一肌脱いでやるか、悪い人間たちじゃないからな、この家のものは、と、神様がセルフで悪いものを祓ってくれたような気がして仕方がない。

 四月の一日、豪華なお供えものの時にこういう不思議な出来事があると、やっぱり神様っておられるんだな、とか思う。

 神様が払ってくださったのは、貧乏神? 疫病神? まあ、なんでもいいさ、さよならできたのなら\(^o^)/。

 

 今後、私の運気が急上昇したら、それはきっと神様のセルフお清めのおかげだな、と、しみじみ思うのでありました。


入られる側の苦労( ;∀;)

2017-01-10 | スピリチュアル

 大相撲初場所、今日で三日目、石浦、初白星なるか!

 黒星続きではあるが、一方的につきだされるとか、そういう悪い取り組みじゃないので、ここいらでちょこっと勝ち星を挙げられたら、また流れは変わってくるものとは思いますが。

 

 さっき、洗濯物を畳みながらラジオを聞いていたら、ゲストはEテレのグレーテルのかまど、のヘンゼル役の瀬戸康史だった。

 今日の夜11時15分からBS2で「幕末グルメ ブシメシ!」と言う時代劇に主演するということでのゲスト出演だったようだ。

 幕末の参勤交代で江戸に来た単身赴任の武士が、ひょんなことから人々の心を癒す食事を作り出すというような話だそうだが、瀬戸君演じる武士の勤め先の? 殿様役が草刈正雄さんだそうで(^◇^)💛。

 美の壺でもおなじみのあのひょうひょうとした演技、今回は真田丸の時よりもアドリブ満載のようでなかなかに楽しみでやんす。

 夜11時過ぎと言う、私にとっては(というか、猫たちが二階に上がって寝よう! の大合唱を始めるのだよ)遅い時間なのだが、頑張って見てみたいなぁ(^◇^)💛

 

 その時にちょっと話題になっていたのだが、この瀬戸君、霊感が強いのだそうな。

 どうやら家族でお父さん以外、みんな霊感があるらしく、番組進行のユージ達に「え~っ、すごい!」とか驚かれていても、「ほんとに見えるだけですから」と、ごくごく普通に、あまりそのことについて不思議とか変わっているとか言われたくないご様子で。

 見えるだけ、って言っても、なかなかなものだよねぇ(;´・ω・)。

 でも、芸能界にはそこそこ霊感の強い人がいるみたいで、瀬戸君と仲がいいという高橋一生さんも霊感ある仲間、のようで、同じく霊感のある女優の北乃きいちゃんとも、現場で同じ時に「一反木綿」のようなものを見たとかも言っていた。

 まあ、あまり見える人、ってイメージが先行しても、俳優としてメリットないもんなぁ。

 

 でもさ、見える人、なら見えても黙ってりゃ何とかなる話なんだけど、憑依される人、は、実は見える人の何倍も辛いんだよな。

 乗っかられていて、感情が激しくなったり、嫌なことばかり言うようになり、あ、今なんか乗っかってるなぁ、と思っても、自分じゃ祓えないし、単なる感情がくるくる替わる、性格の悪い変人、としか見られないんだもん。

 私の場合は、ひょいっ、と入って来られて、また何の前触れもなく、スコ~ン、と抜けていくことが多いのだが。

 ひょいっと入られるときは大概、お金のことで親から嫌な言葉を投げられたり等、家族から精神的に傷つけられたりした時が多いのだ。

 精神的に安定していないと憑依体質が出ちゃうので、本当に困る。

 だからなるべく心を平穏にしていたいのだが、今朝も、勝手口のところにあった、正月明けから溜まり放題だった可燃ごみを三袋もよっこらせと持って捨ててきたというのに、母から、まだゴミほかにもあったのに、と言う不満を言われてちょっと切れた。

 家族内のルールで、ここに置こう、と決めているところのものを全部持って行ったというのに、母が勝手に置いておいたどこにあるのかわからないゴミを持って行かなかったからと、とでなんで文句言われないかんのか?

 足腰が痛い、と文句を言う母に、重たいゴミを持たせたらかわいそうだから、と頑張って三袋も捨てに行った自分が情けないやら腹立たしいやら( ;∀;)。

 

 思うに、母に一番、悪いものが乗っかってんじゃないのか(ラスボス的な奴)?

 父が亡くなってから、この家の運気、どんどん悪くなってきているし、私が少しでも家の運気を上げよう、と、お金もかからずにできそうないろいろな策を提案しても、母は、そんなことしたって~、と、眉間にしわ寄せてほぼ即刻却下。

 足が痛い、腰が痛いだの言って、神社仏閣にもほとんど参拝しないし、そのくせ出かけてきたら、何か変なよくない感じのものしょって帰ってくるし(人が何か良くないものをしょっているのはなんとなく霊感でわかる)、毎日清めても持って帰ってくる変なものが多かったら、こっちも対処しきれないし。

 人の悪口や噂話に首突っ込むそういう性格が、変なものを大量に拾ってくる原因なのだとなぜわからない?

 家の猫だって、正直あの人にほとんど寄り付かないし(# ゚Д゚)! ああもう、うき~~~~~っ(# ゚Д゚)怒怒怒!

 

 ふぅ、私が本気で憑依体質から脱却するには、この母と別々に暮らすのがベストなのだがなぁ( ;∀;)。

 

 

 


観光地じゃねぇ!(# ゚Д゚)!

2016-08-27 | スピリチュアル
 テレビを見ていたら、外国人がとある滝を自分のお気に入りの場所、として紹介していた。
 森の奥にある、神聖な滝で、畏敬の念を持たずにはいられない、きりりと空気の引き締まった滝。
 緑に囲まれ、滝もあり、厳かな雰囲気を味わえ、自然を満喫できる素敵な場所です、ってな感じの紹介をしていた。

 でも、実際は、その滝のあるところは、とあるお寺の滝行の修行場になっているところだった。
 VTRでは見せていなかったが、かなりボロボロだけれどちゃんと本堂もある。
 軽自動車がやっと一台通れるかの、細い細い道をしばし上った山の中腹にあり、そこに車で乗り付けることのできるのは、手足が不自由になった人や、高齢の、そこのお不動さんを信仰している方であって、物見遊山的に来てもらっちゃ困る、な場所だ。

 その滝には不動明王が幾体もおられ、滝の手前には鳥居があり、そこにはここは修験者の聖なる場所なので、修行者以外は立ち入らないように、とちゃんと書いてあるはずなのに、テレビクルーも外人もリポーターの女も、平気でずかずかと滝の滝つぼまで入り、ロケをしていた。

 もし、外人がいつも入っている、とか言っても、多分日本人であろう番組スタッフは、ちゃんとこの場所が普通の滝ではない、信仰の場だということを伝えて、修行者じゃないから入ってはいけませんよ、と言うべきなのではないのか?
 相手はキリスト教信者だからその人にとっては信仰の場所でも何でもないし~、別にいいじゃん、とか考えたのだろうか?

 なぜ滝の前の鳥居のところからの映像じゃいけないの?
 滝つぼはいつも清められ、花を飾り掃除もしてある。
 山奥の滝だが、信者さんが交代でお世話をしに上がられているからだ。
 そこの滝は信者さんが大切にしておられる神聖な場所だというのに。

 滝つぼの奥まで入り込んで、しかもレポーターの女はバカみたいにへらへらして。
 自分がどう映ったらかわいく見えるかとかしか考えてないの丸わかり。
 
 そこのお不動さんを信仰されている人が見たら、いったい何と思われるだろう?
 滝におわすお不動さんを、滝に飾られたオブジェのように紹介する姿って?
 
 信仰の場が観光地になりつつあることもよく分かっている。
 高野山や比叡山、熊野大社の古道とかだって、もはや観光地化しているのが現実だし。

 でも、その信仰の場に足を踏み入れるとき、人は多少なりとも神や仏に対する信仰心、畏敬の心、謙虚さなどを持ちながらその聖域に立ち入らせていただく、という気持ちを持つのもだろう。
 その謙虚さがひとっかけらも感じられない最低の番組。

 何だこの番組、最悪だな、と心の底からドまじめに思った。
 滝にずかずか入りこんだスタッフ、演者一同、あの場所の眷属に怒られて、罰の一つや二つ、当てられればいいのに、と、まじで思う。

 あの場所におわすお不動さんは、本物のお不動さん、入ってらっしゃるんだぞ。
 あの場所には、力を持った、立派なお不動さんがおられるんだぞ。
 だめなことはダメ、と、きちんと伝える厳しさも、願いを叶えてくださる優しさもある、素晴らしいお不動さんがおられる神聖な場所なんだぞ。
 真剣な願いもないくせに、アウトドア満喫気分で来る場所じゃないんだ!
 
 今日は久々に、怒り心頭って感じになった。
 私は文句は言うが、怒りの感情は極力持たないようにしている。
 なぜなら私が怒りの感情を持ったら、その感情を持たれた人とかに、のちのちかなりのダメージが出るから。
 ああ、またあの人が不幸になったか、と、後で話を聞くのは、私自身も全然楽しくないし。
 でもあの演者やスタッフ、若しくはあの番組、超腹立つわ~(# ゚Д゚)

眷属のお誘い?

2016-07-11 | スピリチュアル
sdddddddgggggggga 
  
 これは今、ちょっと席をはずしていた時に仔猫がPCに乗って残していった文字です。
 どういう意味なのか(笑)

 今日は暦で言うと、天赦という日で、とてもお日柄もよく、な日なんだそうな。
 大安とか一粒万倍日とかよりもよいといわれる、年に数回しかないご機嫌な日。
 こういう日には、神社仏閣に参拝するとおかげをもらえるというのだが、残念、今日はどこにも行くことができませんでした。
 私は行けないのだが、母には、今日は日がいいから近所の神社になとお参りに行ってきたら?(いやむしろ行って来い!)と、勧めたのだが、結局行かずじまい。
 なんでこういうラッキーな日に行こうとしないのかなぁ。
 スーパーのポイント10倍デーにはたいして買うものがなくてもはせ参じているくせに。
 
 一年前の今日、地元の霊山に登っていた。
 山の中ほどにお寺のあるところで、山の上には巨大な岩がぽつんとある、神仏が降りてきた、という伝説のある山。
 しかし、ほかの山からずっとわたって来られるハイキングコースにもなっているので、修業の山、とかではない。
 お寺に置いてあるマップには片道三十分くらいで登れる、とか書いてあったので、そのつもりで登ったのだが、何が何が、上りだけで一時間近くかかった。
 深い森の中をぜ~は~言いながらひたすら歩く。
 その日も暑い日だったので、午前中に登ったのだが、もう暑くて暑くて全身汗で行水したかのよう。
 へたりそうなていで休み休み歩いていたのだが、時々森が切れると、そこにはいつも、一羽のアオスジアゲハがひらひらと近寄ってきて、まるで頑張れ頑張れと応援してくれているようだった。
 ちなみに、アオスジアゲハは、私が一番好きな蝶々である。
 自分の背中に生やすのならぜひこの蝶の羽根を、と思うくらい。
 でもこの蝶々は木々の多いところに多く、街中ではモンシロチョウとかと違ってあまり見かけないのが残念なのだが。

 マップで言ったらもうとっくに着いてるはずだぞ~、いったいいつになったら着くんだ~、とぼやく元気もなくなりそうになりながらぼっちりぼっちり歩いていたら、突然、視界がパッと開けた。
 急に低い草ばかりのところに出たのだ。
 そこではまた、アオスジアゲハがひらひらと舞っていた。
 もうすぐそこよ、と、一生懸命教えてくれている感がものすごくした。
 確かにそこからすぐに、見上げる巨石はあった。
 その巨石の真下まで行った時、大人の手のひらほどもある巨大なカラスアゲハが私目指して飛んできた。
 私にぶつかりそうな勢いで、それも何度も何度も空中で旋回しながら。
 近くに巣でもあるんかいな? とその時は思ったくらいだった。
 考えたら蝶々に巣なんかないよな、雀のお宿じゃあるまいし。
 
 下山するとき、ちょっと不思議な体験などもあり、もしかしたら、本当にこの山にはどなたか神仏がおられるのかもしれないなぁ。と思いながら寺まで降りた。
 そこで住職さんとたまたま会い、お話をすると、あのマップの三十分って言うのは絶対無理、と、笑っておられました。
 どんな健脚のやつがマップを書いたんだ、まったく……。

 と、まあ、こんなことがあったのだが、一年たった今日、本当はそのお山にもう一度上るつもりだったのだ。
 は~、登りたかったなぁ、と、家のソファーから庭を何気なく見ていたら、そこにひらひらと一羽の蝶が。
 街中ではめったに見ないあのアオスジアゲハだった。
 もしかして、あのお山におわす神仏が「今年は来んのか~?」と、お誘いに来てくれたのかもしれない。
 そうなるとあの蝶々はあの山の神仏の眷属?
 
 まあ、そうであってもそうでなくても、近いうちに、少なくとも山の中腹のお寺にはお参りに行かせていただこう。
 お賽銭や拝観料にも事欠く身の上ではあるが。
 あの~、プリカは使えませんでしょうか~(涙)。