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まるこビッチの鼻

今日も青空がきれいだな。良い日、良い日。

不思議な写真

2015-09-04 | スピリチュアル
 昨日、本日、と、友達が仔猫を見に遊びに来てくれた。

 昨日の友達は、ウチの犬へのお土産に(その子は犬好き)ウチじゃ滅多に買ってやらない‘銀のさら’の犬用おやつ等。
 本日の友達は、人様用の鰈2枚(嫁ぎ先のお父様がお魚関係の仕事をされている関係で)。

 ああ、ありがたや。

 私は肉よりも魚が好きなので、これは非常にありがたい。
 今時期、秋刀魚もうまいし、底曳き漁が解禁になったので、深海のお魚も手に入るようになってきたし。
 ああ、ありがたや。
 

 今日、うちの母が近所の小学校から仕入れてきた話。

 そこの小学校に通っている児童のおうちにご先祖様のご遺影が飾られているそうな。
 その児童のおばあちゃんのおじいさんのご遺影をなんかの機会に写真を撮ったら妙なものが映ったそうな。
 その後、何回写して見ても、同じような不思議なものが映るらしい。

 その子曰く「お化け写真」とのことだが、母がその写真を見せてもらうと、青い光がふあ~っと映っているようなものだったそうな。

 これはお化けなんかじゃなく、ご先祖のおじいさんなんだからそんな風に言っちゃだめだよ、と母、言っておいたそうなのだが。

 私はどんな写真かは見せてもらっていないのだが、私も悪いものではないと思う。

 そのおたくは、今ではよくある家庭なのだが、ご両親が離婚なさっていて、片方の親と祖父母の家に暮らしているそうな。
 だからご先祖のおじいさんが、その子のことがより気にかかって、そばで護ってやっているんじゃないのかな? とも思う。

 まあ、私はどのみちそのおたくにはあまり行きたくはないが。
 可愛い子孫に話したいことがあるんじゃ~、と、その後先祖さんに体を貸せ、と言われたらたまりませんからな。

 霊媒体質はそういうことにも神経使うのよ。ふっ。

自分で判断してること

2015-08-31 | スピリチュアル
 先日本屋に行ったら、もう既に来年の暦が売られていた。
 有名な占い師とかの来年の指針書みたいなやつも、ちらほら出ていた。

 今すでに発売、といったら、いったいいつごろから製作していたんでしょうね、来年の暦。

 今年の六月ごろにはすでに来年の年末までいろんな干支や星座の人の運勢が決まって執筆されてるってことだよね。
 みんながみんな、その指針書の中の運勢のように、なっていくものじゃないでしょうにね。

 厄年、天○殺、など読む人を怖がらせるようなものもあったり。
 あなたは今年とても悪い運気です、と言われて気分が良くなる人はいないわなぁ。
 なんでそんな本出すんだろう? 誰が買うんだろう?

 つうか、そういうものを好んでよく見る人は、外からの暗示にとても振り回されやすい人だからついつい読んじゃうんだろうな。


 私の友人も、朝の情報番組、めざましテレビは絶対見ない、という人がいる。
 番組の終わりに流す、「きょうの占いカウントダウン」を絶対に見ない為なんだそうな。

 その人は、何故か、その占いに一日を支配されてしまうらしく、自分の星座が一番だと、滅茶苦茶ノリノリな一日になるそうなのだが、一番順位が低かったりすると、もう、その日一日、ついてないことだらけになってしまうから、めざましテレビを見たいという家族の反対を押し切って、日テレのジップを見ているらしい。
 その番組には今日の占い、ってやつがないらしい。
 
 しかし、世の中に自分と同じ星座の人が何万人いると思うのよ。
 ふたご座ならふたご座の人すべてが、その日一日アンラッキーになるはずなんかないじゃない。

 そんなに外からの暗示に弱い人なら、いっそ家族の誰かに、インチキ占い師になってもらって、一週間のうちほとんどの日を「ラッキーデーです」と言ってもらえば毎日心安らかに暮らせるのではないかね?
 でも、そういう人に限って「いい占いの結果ばっかりなんて信じられない」とかいって、深層心理でいいことばっかりを受け取るなんて無理、ってスタンスでいるし。


 はっきり言って、占いなんて全く当たりません。
 それも自分専用の占い師が占ってくれたって、当たると思う人は、無意識にその占いの結果にそったことをしているだけだし。

 占いの結果に振り回されながら生きたいんじゃないよね。
 幸せになりたい、ハッピーでいたい、と思うから、いい占いの結果を探し求めているだけなんだよね。

 幸せになりたかったら、いつでもなれます。
 自分が幸せ、と思えば、自分の世界は幸せになる。

 先の世界の見えない人間が、今起きた出来事だけを見て、ああ不幸、悪いことばっかり、と思っているだけで、その出来事がたった数週間先には良い方向に転じている、ということだってあるのにね。

 この世のすべて、自分が自分の周りの世界をどう感じているか、それだけ。
 幸も不幸もない。自分が世界をどう判断するかだけ。

 とりあえず私は、「自分は幸せ」のスタンスで生きたいと思います。
 一般の人から見たら「ド不幸な人」と見えても。

 人からどう見られるかなんて、どうでもいいことだもの。

これはご利益?

2015-08-28 | スピリチュアル
 チームはな、の仔猫たちがみな良い人にもらわれるように、と、近所の神社に参拝に行ってきた

 車でちょっとのところにあるのが、この近所でも一番格式のある神社というのがありがたい。

 駐車場に車を置き、あんちゃんとうんちゃん(狛犬のことです。子供のころからそう呼んでいます)に挨拶をし、鳥居をくぐり参道の階段をトコトコ。
 お昼過ぎの神社は参拝の人もなく、結構長い時間、神様に「ウチの仔猫、どうかいい人に貰ってもらえますように!」とお願いをしていられたのはありがたかった。

 お盆明けての久々の参拝だったので、いろいろお願いしたいこともあったのだが(お財布赤信号、とか)、とりあえず今一番叶ってほしいのが、仔猫の里親いい人ばっかりでありますように、ということなので、今回はその願いオンリーで。

 今まで仔猫が生まれた時は、母方の祖母が信心していたお不動さんに泣きつきに行って、毎回良い人と仔猫の縁をとりもっていただいていたのだが、今回は、車が自由に使えない(お不動さんはちと遠いところにいらっしゃる)、&お供えものを購入するのにちと手元が不如意、ということもあって(お供えって言っても、お菓子や果物等千円ちょっとのものなんですけどね、ビンボ臭い話だな、おい)、今回はご近所の神社の神様にすがることにしたのだった。

 お賽銭の額は、人さまが見たらかなり少なめ、でもいいの、出世払い、ということで(いつ出世するんだ? 今生で払えるのか?)。


 お願いした後は、神社をぐるり一周。
 
 昼下がりの神社では、神主さんたちがTシャツとスラックス姿で、境内の物置のようなところに段ボール箱を運んでらした。何を運んでらしたのか?
 参拝客の私に気づいて挨拶をしてくださるので、私もにこやかに御挨拶

 いつ来ても気持ちのいいところなのだが、今日は、あんまり神様の気配は感じなかった。
 自分の‘お願い!’の気持ちが強すぎて、周りのいろんなことを感じ取れるだけの余裕がなかったのかもしれない(でも本気必死だから、仔猫可愛いんだから)。

 それでもまあ、お願いは聞いてもらえているだろう、と、帰路につく。


 翌日、朝から電話あり。
 少し前に老人会のボランティアとしてやった仕事のお金をこれから持ってきます、との連絡あり
 謝礼6千円也をいただく。

 もともとボランティアだったので、別にいつもらえてもいいか、なお金だったのだが、いや、この金欠の時にいただけるとは、非常にありがたやありがたや

 金欠なので何とかなりませんか? とか、昨日は一言もお願いしていなかったのに、不思議っちゃ不思議

 ん? もしかして「こいついつも、金欠の時にやってきて、金かね言ってるから今回も金の話で来たんだろう」とか神様が勘違いして取り計らってくれた、とかじゃないよね

 私のお願いは「仔猫の里親いい人ばかりでありますように」ですからね! 神様

イタコ生体験!!

2006-01-24 | スピリチュアル
 おととい再開したと思ったらすぐ休みやがって、と、昨日来てくださった方にはホント、申し訳ございません。でも、そういう皆様方の厚き心に支えられ、ワタクシのこのブログも今回が三百回目と相成りましてございます☆☆
 今後も皆々様方のお気持ちに添えますよう、努力していく所存でございますので、ぜひともよろしくお願いいたします。 
 というわけで、三百回目の今日のこのブログ。昨日、何故更新しなかった(出来なかった)かも含めて、少し奇妙なお話をしたいと思います。

 ワタクシの父が亡くなったということは、先日のブログでも書いたのだが、おとといの午後、葬式の終わった次の日、家に母方の遠縁に当たるという初老の男性が尋ねてきた。
 一見、ただの貧相なおじいさん、といった感じのその男なのだが、玄関先に立つその男性を見た瞬間、息の詰まりそうな「何か」が、ドーンッ!! と、二回物凄い気の固まりとなってワタクシを圧迫した。
 その男が帰ったのち、なぜか無性に不愉快さ、憎悪さ、ひがみねたみの感情が押し寄せてきて、おとといの夜、ワタクシは物凄く暴れたらしい。物は投げるわ、暴言は吐くわ、それはもう、手の付けられない状態だったそうで、家の中は修羅場と化したらしい。
 昨日も部屋に閉じこもり寝たきり。朝から食事はおろか、水も飲まなければトイレにも行かない。声を掛けても怒鳴り散らす、普段とは全く違う様子のワタクシに、親兄弟はおろおろしっぱなし。
 昨日はちょうど、父の初七日にあたる日であったので、お寺さんが来てくださることになっていた。無性に腹立たしく、なにに対してだか判らない怒りが渦巻く中、それでも「法事にだけは出なくてはいけない」という気持ちに押され、どうにか服を着替え、参列する。
 座っている間も腹立たしさは一向に収まらない。父の遺影さえ睨み付ける始末。
 だがお坊さんがお経を一式あげられたあと、出された茶を飲みながら世間話を始めたとき、そのお坊さんの左肩の少し上辺りに何故か光源を感じた。
 真っ白な光の縦長の穴のようなものがそこにぽっかりと浮かんでいるのが見えた。
 その後、お寺さんが帰られ、ワタクシも不機嫌なまま、自室へと戻り、二時間ばかし眠ったのち目を覚ますと、胸の中にあった憎しみや怒りの感情がウソのように消えていた。
 もう、いつものワタクシの状態。そして昨日なにがあったのかは、なんとなく憶えているかな~、という程度の状態。ぼんやりとした繭の中から見ていたような感覚。

 後から聞いたところによると、問題のその遠縁の家では、それはもう不幸続きなのだそうな。三人兄弟の兄と一番下の弟は離婚し、しかも子供に全く合わせてもらえない状況。そして真ん中の弟は膠原病という珍しい病に冒されているのだという。思うに、その一族を不幸にしている何かが、ワタクシの身体を使って大暴れしたのではないだろうか。
 知り合いの霊能力を持つ人から「人がいいから憑かれやすい」と、つい最近言われたばかりだったのだが、どうやらワタクシ、修行もなしに「イタコ」になっていたようなのである。おおっ、こわっ!!

 信じてもらえるかどうかは判らないけど、これ、ホントの話。つい昨日のデキゴト。
 考えてみると、ここのところ、「霊感が強い」とかとはまた違う感覚がなんだかワタクシの中に生まれてきているような気もするんだよねぇ……。何かが見えたり、ということは、今のところまだ、ないのだけれど……。

 子供のころから“そういう方面”の方々とは全くお付き合いはなかったのに、三十を越えて故ギボアイコさんのような能力が開花したらどうしましょう、と、ちょっと戦々恐々としているワタクシなのでした(ヒヤヒヤ)。