4月になった。
昨日は4月の一日ということで、自分の好きな神社に行ってきた。
スマホの電波も圏外という田舎のそのまた山奥の神社。
雪深い山奥なので、4月に参拝に行ったことはなかったのだが、今回、初めて行ってみた。
お酒や卵、赤飯や鯛(刺身しか手に入らなかったが)などをお財布の許す限り購入して持って上がる。
4月の一日と、十月の一日は神様の世界でのお祭りの日なので、ここの神社ももしかしたらふもとから誰か神職さんとかが来られていて神事をしていたりするかもな~、そしたらこのお供えどうしよう、神事が終わるまで待って、そのあとこっそりとお供えさせてもらおうかな~。などと考えていたのだが、山奥の神社には、人影は全くなかった。
ほっとするような、滅茶苦茶さみしい気もするような。
街中だったら、小さな氏神さんレベルの神社でも、一日は何かしらの御供えとか、神事が催されていることが多いのに。
ここの神様はかなりの力を持った強く優しい神様なのに。
冬の間は雪で参拝不可になるので、人が集まってくるのは年に一度の大祭の時だけのようだ。
その時のこの境内は空間が何倍にも広がり(感覚的に)、眷属もわんさか居てとても密で明るい空間になっていたのに。
境内から空を見上げれば、光の粉をまぶしたようなきらきらとした青空。
お供えを並べ、祝詞をあげ、ささやかな一日のお祀り、を始める。
そして、これから自分の生活が変わっていくことなどをお話する。
様々な事を一人で背負って生きていかなくてはいけないのは本当にしんどい。
苦しいから神仏にお願いする、一つづつでも状況が改善されますように、と。
でもそんなお願いは全くかなわず。
もしかしたら神仏には“私の人生に関与してはいけないルール”とかがあるんじゃないか? と絶望したくなるくらい、暗闇の中を歩いている気がする。
たとえるなら、私が落っことしそうになったコップは落ちないように助けられるけど、本人自身が苦しみの淵から落ちそうになるのは助けられない、とか。
もう、結構あきらめているから、どうでもいい。
その神社は冬の雪の影響で、境内の灯篭が倒れ、小さなお社の雨どいも壊れてしまっていた。
お金があったらなんぼでも寄進したいけど、今は猫を養うのもカツカツの状況。
なけなしの千円をお賽銭箱に収めておく。
助けてもらえなくても、私はここの神様が大好きだから。
今度いつ参拝に来られるだろう? わからないまま神社を後にした。
山奥の谷あいの神社。
黄色い花が満開で、優しい香りに包まれて、本当に別世界のようだった。