白鵬の引退のニュースを聞いたのは、昨日の夜中3時のラジオ。
へ~、やっとか、と思い、そして照ノ富士が優勝したその日の夜に引退を表明したんかい、後はてるりんに任す、という気持からなのか、それともてるりんの優勝に向かう人々の耳目を少しでも自分に向かせようという魂胆なのか? と、真夜中に考えていた。
名古屋場所でエルボーかちあげ何でもあり、で、とにかく勝てばいいの意識満載で勝った瞬間にガッツポーズ。
平成の大横綱の最後の取り組みは、みんなから失望と違和感を持たれ、非難と悪評ばかりを向けられるという、なんとも哀れなものだった。
まだ十代の頃にモンゴルから日本の相撲界に飛び込んできた62キロの少年。それが白鵬。
身体的にもさほど恵まれていなかった彼が、今のような立派な体躯になったのは、貧弱だったその頃の彼のたゆまざる努力のたまものだ。
努力して強くなり、横綱にまで上り詰め、角界に激震が走った八百長事件や東日本を襲った東日本大震災のときも、彼は一人で立派に横綱を務めあげていた。
本当に、立派に勤めていた。
いつからだろう、そんな彼におかしな言動が目立つようになってきたのは。
本来横綱が、しかも格下の相手に使うなんて考えられない張り手やかちあげを常用し、土俵の上でも、相撲協会に対しても俺様的な言動を繰り返し、それは最後まで改められることはなかった。
どこかで彼は、横綱ではなく、アスリートになる道を選んだ。
横綱はとても過酷な地位だ。
勝ち続けて当たり前、負けが続いたら引退、怪我で何場所も休むなんて横綱の美学からしたら全く考えられないこと。
でも、どこかの時点で、野球だってサッカーだってもっともっと金も入ってくるし、選手生命だって長いし、なんで相撲は、少なくとも横綱は責任ばっかり重くていいことなしの立場なんだ? 負けが込んだら引退、怪我して休むのもダメで引退なんてばからしいじゃん、まだそこそこ相撲取れるし、そこでお金が入ってくる道が絶たれるなんて割が合わねえじゃん。という方向に心が向かったんだろう。
よくは判らないが、白鵬が「記録」に固執し始めたころがその時期なんだろうな。
すべてを持った者は、何か一つでも失うことを極端に恐れるようになる、
新たな力の台頭、自分を脅かす人気者、それらがすべて横綱にとっての敵になる。
それどころか、自分以外の強いものを押す世間の流れも、彼にとっては我慢ならないことだったのだろう。
横綱は白鵬一人の称号ではない。相撲ファンはいつだって新たな強い力士、横綱が出現することを望んでいる。
そこのところで彼の考え方のずれが修正できないほどに大きくなってしまったのかもしれない。
俺は横綱だ、立派な横綱だ。みんな俺を尊敬し、敬い褒めたたえよ、すべての相撲ファンも俺を敬愛せねばならない。
ものすごい記録、山ほど持ってるんだぜ、俺は。
だから自分のやるとこいうことすべて押し通す。
だって、俺、横綱だもん。
そうやって、負けがちょっとでも続いたらすぐ休場して、傍若無人な態度も改めず、横審に何を言われようと土俵の上に居座り続けて。
その結果、自身の相撲人生の最後の取り組みは、優勝して勝利の雄たけびとともにガッツポーズをとろうとも、観客の視線はそして拍手は土俵に落ちた照ノ富士に向けられた。
あの瞬間、白鵬は相撲の神様から引導を渡されたのだろう。
横綱になった最初の頃は本当に立派な横綱だった。
でも、その地位に固執し続け、降りるべき時に降りず、横綱の俺が言うことやることが正しいことなのだ、と、誰の言うことも聞かず、結果、捻じ曲がったいびつな横綱になり下がってしまった。
白鵬が悪いわけじゃない。
長く日本人の強い力士も出ず、長い期間一人で横綱を勤め続け、そして悪いことに、その地位の本当の意味を正しく理解できていなかった、それだけかもしれない。
ただ、横綱という存在を正しく理解していない白鵬に、親方の資格はない、個人的にはそう思う。
お疲れさまでした。