朝140-67-58夕方117-54-59十時112-53-59朝六時半に目覚める、八時に起きる、お茶にスイッチ、冷たい牛乳飲む、湧いてパン納豆で朝食、薬、血圧測定記入で九時、新聞読み後こちらに移り少しパソコン、十時半に注射のため三豊に行く、十一時過ぎに看護師基本票持ってくる看護師にこの注射すると顔痺れると伝える、先生に報告し大丈夫ですと言ってますと言われる、十二時前に帰り下剤飲み十二時半に弁当たべだす、一時に終わり薬、曇っているが歩く代わりに打ちっぱなしに母神に行く、一籠殆どドライバーで打つ、帰り役場により五月十一日のコルセット代領収書持ってきたか尋ねる、持って来ていた、そこに広侍來る、二年ぶり、物凄く痩せていて物言い方オカシイ、頭やられた人の言い方する、本人は首の後ろの頸椎がヘルニアになりゴルフ出来ないと言った、豊浜支所長としているらしい、顔は真っ黒に焼けていた、練習には行っているか、帰って四時半、少しパソコンの前に、五時過ぎにお茶でもと立ち上がり歩こうとすると足硬く動かない、十日ぶりに動いたからか、何とかして秀ちゃんとこの関谷港の改修記念碑を撮りに行く、碑の側に松あり碑には茂一の松明治十一年五月とあった、綿屋の歴史に書くか載せるかする、帰ってウドンと野菜、イワシ煮た奴食べる、後身体固くなっているので風呂に入る、明日は生ごみの当番、朝六時過ぎに行かないと、昼から高石さん、眼科診察二つ、朝から雨の予報だ変な日に当番当たる。今夜は十二時には寝る、時計六時前にセットす
朝135-64-60夕方142-69-61今十時132-60-63朝六時半に目覚ます、怠く八時過ぎまで蒲団の中、やっと起きて慌ててゴミを出してお茶にスイッチ、冷たい牛乳飲み、お茶湧いてパン納豆で朝食、終わり薬、血圧測定記入で九時、新聞読み、直ぐ十時になる、台風来ているし食パン無くなったのでマルナカに買いに行き、八十八円の六枚入りの食パン、納豆一包み、お茶一袋ウドン買う、雨少し降っている、帰って十一時過ぎ、下剤飲みテレビ無いので台風情報見るためパソコンの前座る、台風高知沖通りこちらには影響ないと確信する、築九十年の家何時も縁側の窓ガラスやられるか、木枠の出窓何時飛ぶか台風来るたびひやひやしている、飯食べて一時過ぎ夏祭りの抽選券一軒だけ昨日居なかったので行く、これで夏祭りの抽選券配り終わる、三時過ぎから雨少し強く降り出すが一時間くらいで終わる、以後雨無し、風なしで過ぎている、夕方頭少しぼーとなったが何とか直り、今は何日ぶりに顔の痺れも無い、でも明日又整形に注射しに行くから右半身痺れる、本当に大丈夫な注射かな、明日看護師に注射すると右半身痺れると先生に言ってとゆう、何か言ったとゆう証拠がほしい、取るか、昨日から青木に電話しょうとしたが中々BBほんにならず今日あずりやっと電話繋がりADSLを取り変える事にした、その後半年ぶりに青木と話す、同期会百人ほど来たらしい、毎日酒飲んでいて元気だ、
朝113-58-68夕方115-49-68今十時122-60-61朝六時半に目覚める、身体怠く起きられない、やっと八時前に起きる、お茶にスイッチ、冷たい牛乳飲み、お茶湧いてパン納豆で朝食、薬、血圧測定記入で八時半、新聞読み裏に出る、見るとドクダミの中にバラがあちこち伸びているので挟みで根元から切る、この前切ったのが半月前、雨が降ったので良く伸びた、根元からおがさないとダメ、終わり少しパソコン触り十時半、シャツとズボン履き替え整形に行く、整形に行くと直ぐ看護師が注射室に基本票入れた、十一時半過ぎに呼ばれてプリンクを注射、今日の注射は上手、明日万一ゴルフに行くかもと三万下ろす、支払い機で医療費三百三十円払う、家に十一時五十九分に帰る、下剤飲み、お茶にスイッチ、一時前に弁当食べる、明日雨なので夏祭りの協賛金千円集めに行く、五軒回るが協賛金だけ、お札、神社費誰も出さない、皆生活苦しくなっている、温度二十八度どこも窓開けて風入れている、帰って少しパソコンの前座り、マルナカにでも食べ物買に行くかと思い立ち上がると右足重く動かない、何とか車に七時半に乗る、右頬痺れ右腕重く大丈夫かと思いながら運転、駐車場に止めて買いに行くがゆっくりとしか動かない、中に入ると出来るだけ足動かして追い越し弁当売り場に行く、十五品目の弁当、イワシの煮付け、野菜二箱買ウドン買うの忘れて帰る、運転中顔の痺れ頭まで行く、心配しながら帰る、帰りの車窓曇り出す、熱が出たのか身体熱る、帰ってから計ると六度九分、痺れ、熱有るので風呂止めて此方に移る、パソコン触り出す、これが一時まで続く、する事無いからこんな事で時間過ごしている。これも私の一日。
朝115-60-63夕方135-59-68今十時106-47-63朝六時半目覚める、七時過ぎに起きる、七時に避難訓練でサービスエリアまで行く事になっていたが参加せず、集会場に集まり行ったらしいが間違っている、自分の家からサービスエリアまでの道順、時間を把握しなければ駄目、集まり団体行動では趣旨が間違っている、朝飯、薬、血圧測定記入八時半、新聞読み、裏に出ると都が木村屋に連れて行ってと言われる、行くつもりだったので用意して山本産直に行き、ネーブル買う、そして観音寺の木村屋に弁当買に、帰ると十一時、都嫁はん親の法事で帰るからオカズ買っていた、一時過ぎシャツ一枚でパソコン触りだすと寒く為る、外二十八度もあるが動かないと血液の循環悪くなり寒くなるか、外に出て宝将にコーヒ飲みに行く、十九日のゴルフ朝雨降っていると止めると言った、五時過ぎ裏にでると秀ちゃん都に遊びに来ていたので行き関谷の港の事尋ねる、明治十一年の港改修の時山口の防府からも寄付が有った、と言った、関谷の港から山口まで何を積んで行ったのか、積む品物関谷にあるか、七時に帰り晩飯、七時半にマルナカに買い物、帰って風呂に入る、出て九時、約一時間湯に浸かっていた、長湯、風呂出ると身体熱くなりふらふらしだす、直ぐに此方に移るが今も頭少しぼーとなっている、鼻水も出ているし顔痺れだす、これで寝るのは一時、今日吉本のゲイニンの生活保護費の事書こうと思っていたが明日注射から帰って書く、産直のネーブルきれいと思ったが中腐っていた、木村屋も今日行くと弁当全体に値上げしていた、この調子だと間もなく行かなくなる。
朝134-68-61夕方119-50-64今十時110-48-59朝六時に目覚ます、身体怠い、八時過ぎに起きる、お茶にスイッチ、冷たい牛乳飲みお茶湧いてパン納豆で朝食、薬、血圧測定記入で九時、昨夜から雨、濡れながら此方に移る、新聞読み、パソコンの家に移る、綿屋の歴史の関谷の港について書く、明治十一年に出来たが港まで行く路は中道から馬車も通れない道が一つ有っただけ、十一号が出来て車が出入り出来た、町誌にも現在から見た港を書いている、書いているうちに頭ぼーとなり、身体寒く為る、寒いから布団に入り三時過ぎまで居る、昨年手術後UCCに居た時見た幻覚見る、四時過ぎに起きて寒いので半纏着る、起きて両方の家を行ったり来たりする、六時過ぎても頭ふらふらするので七時から夏祭りの班長会があるが山地に電話して、行けないと伝える、夜ウドンと野菜食べて風呂に入らず此方に移る、パソコンの前座り触ったり、後ろに凭れたりで過ごしている、いろいろと副作用があるヘルニアの注射しだして体調悪くなった、それと昨日まで三日続けて県立図書館、財田役場、多度津教育委員会と行ったのが少し堪えたか、北海道移民の資料探しに行っただけ、終戦後車普及するまで農家に必ず一台あった引っ張る車の名前何と言ったか明日誰かに尋ねる、その車に積んで棉屋から港の船まで運んでいたから荷車かきちんと調べて書かないといけない、頭動かすとぼーと今もなる。顔右痺れている。頭もだ。