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大発見、関谷に関谷姓あった、明治中ごろまで

2011-12-09 22:29:12 | 日記・エッセイ・コラム

朝154-59-72夕方171-69-68今十時前148-64-64寒いから高い、六時半に起きて隣の家にお茶を沸かしに、布団にすっこむ、八時過ぎに起きる、朝飯食べて九時過ぎ、明日の東京行きの為、絶対必要な心臓の薬をバックに入れる、十時すぎ右首痛いので大野原の石川整骨に、待合室で雲辺寺が雪ふり白くなっていると話していた。帰りがけに見ると少し薄化粧、二時ごろ薦田先生の親が関谷に建てた綿会社の資料見ていると出資者に関谷タケ箕浦十九番戸とあった、関谷の名前は聞いたことない、しかも明治二十年代に五百五十円も出資している、夕方森川さんに電話して尋ねるがしらない、森川さんとこ三四代前和田村の村長していたと言った、和田村の時代「和田村の実相」なる本を役場で書いてガリ版ずりで厚さ五センチぐらいの本を拵えていると教えてくれた。夜マルナカで石井の慎ちゃんに会う、関谷の綿神社本村の石川稠さんが文面考えて作らせたと言った、寒いので八時ごろ風呂に入る、血圧少し下がるが今同じ、寒い、特に背中が寒すぎる、ハロゲンヒーターでは駄目だ、今から冬が来るのに後ろの窓をもう少し目張りするか、隙間一杯の家、何してもだめだろう、山本さんからメールあり、五時にプラザで会う。帰ってから背中にカイロ張るか。今夜は十二時には寝る。