お盆の最終日曜日って、みなさんどんなことをなさっていましたか?北海道言友会は無謀にもこの16日に「北海道版吃音を語る会」を開催しました。入れ替えはありましたが、15人の方々が参加してくださいました。詳細はironさんから報告があると思いますが、私からも感じたことをお伝えしたいと思って書きます。
今までいろいろなはっきつ吃音に関する研修会に参加させていただきましたが、今回は今までとは全く違う雰囲気でした。本当に吃音のことを語る場合にこういうような方向がいいのではないかと思いました。それが「発吃から就業まで」というタイトルに現れています。本当は「ゆりかごから墓場まで」というかつての社会福祉政策の理想をもじったものです。吃音も本当はそれが理想です。
道内のある地区の発吃に関する発症率と回復率にかかわる研究は本当のプライマリーケアをどのように展開したら良いのかということを考えさせられました。幼児を対象とした2例の報告は、今まで「吃音は原因も治療方法もわからない」とされてきた通念に新しい提案をするものでした。模倣・モデリングを主とした指導方法と保護者との連携方法についての報告は誰でも吃音の指導を始められる教材とともに報告がされました。構音障害を併せ持つ吃音のあるお子さんへの指導は、吃音があれば構音は指導しないという常識を打ち破るものでした。両方の指導において一定の吃音の重症度の低下と、日常生活における積極的なコミュニケーションを促し、家族内においても吃音のことを話せるようになったという報告でした。
小学校中学年の吃音のあるお子さんのご両親からはお子さんが発吃してから今までの経過が語られました。「様子をみましょう」、「吃音は指導対象ではありません」と言われたころの苦しさと苛立ちを感じました。そして何とか吃音を新しい指導方法を紹介されたことによるご両親の心情の変化とお子さんの変化が語られました。ことばの教室や言語聴覚士の存在意義について改めて考えさせられました。小学校高学年の指導についての報告では行き当たりばったりが自分の話し方には良いと思っていたお子さんが、成功体験や挫折を通して自分の吃音のこと、話す準備をどのようにしたらよいかということを学んでいった経過が語られました。学級担任との連携の大切さも感じました。
成人の方の発表は2例でした。お一人は就職して一所懸命に仕事をしていたが、吃音のためにうまく話せない部分がありそのことで自分の歩み方が変わったことが話されました。それでも自分で少しでも伝わるような工夫をして頑張って仕事を続けている様子が語られました。勇気ある物語でした。もうお一人は生まれてからこれまで味わってこられた差別と戦いの物語を語られました。お二人のお話は吃音のある人なら必ずどこかで経験するお話ばかりでした。
最後に映画にみられる吃音の取り扱いを吃音研究や臨床の歴史や当事者団体の活動と重ね合わせての発表でした。これらの背景には世界の大きなうねりも関係しているという内容でした。
こうして終わってみると、発吃から就業まで、幼児期から成人までの一貫した吃音の支援にかかわる流れが必要であるということが浮き彫りになってきました。次回は保健師さん、臨床心理士さんにも加わっていただきたいと思った次第です。もっと詳しく話さないと伝わらないことだらけですね。発表された皆さんもどうぞ感想をお寄せください。(とど)
今までいろいろなはっきつ吃音に関する研修会に参加させていただきましたが、今回は今までとは全く違う雰囲気でした。本当に吃音のことを語る場合にこういうような方向がいいのではないかと思いました。それが「発吃から就業まで」というタイトルに現れています。本当は「ゆりかごから墓場まで」というかつての社会福祉政策の理想をもじったものです。吃音も本当はそれが理想です。
道内のある地区の発吃に関する発症率と回復率にかかわる研究は本当のプライマリーケアをどのように展開したら良いのかということを考えさせられました。幼児を対象とした2例の報告は、今まで「吃音は原因も治療方法もわからない」とされてきた通念に新しい提案をするものでした。模倣・モデリングを主とした指導方法と保護者との連携方法についての報告は誰でも吃音の指導を始められる教材とともに報告がされました。構音障害を併せ持つ吃音のあるお子さんへの指導は、吃音があれば構音は指導しないという常識を打ち破るものでした。両方の指導において一定の吃音の重症度の低下と、日常生活における積極的なコミュニケーションを促し、家族内においても吃音のことを話せるようになったという報告でした。
小学校中学年の吃音のあるお子さんのご両親からはお子さんが発吃してから今までの経過が語られました。「様子をみましょう」、「吃音は指導対象ではありません」と言われたころの苦しさと苛立ちを感じました。そして何とか吃音を新しい指導方法を紹介されたことによるご両親の心情の変化とお子さんの変化が語られました。ことばの教室や言語聴覚士の存在意義について改めて考えさせられました。小学校高学年の指導についての報告では行き当たりばったりが自分の話し方には良いと思っていたお子さんが、成功体験や挫折を通して自分の吃音のこと、話す準備をどのようにしたらよいかということを学んでいった経過が語られました。学級担任との連携の大切さも感じました。
成人の方の発表は2例でした。お一人は就職して一所懸命に仕事をしていたが、吃音のためにうまく話せない部分がありそのことで自分の歩み方が変わったことが話されました。それでも自分で少しでも伝わるような工夫をして頑張って仕事を続けている様子が語られました。勇気ある物語でした。もうお一人は生まれてからこれまで味わってこられた差別と戦いの物語を語られました。お二人のお話は吃音のある人なら必ずどこかで経験するお話ばかりでした。
最後に映画にみられる吃音の取り扱いを吃音研究や臨床の歴史や当事者団体の活動と重ね合わせての発表でした。これらの背景には世界の大きなうねりも関係しているという内容でした。
こうして終わってみると、発吃から就業まで、幼児期から成人までの一貫した吃音の支援にかかわる流れが必要であるということが浮き彫りになってきました。次回は保健師さん、臨床心理士さんにも加わっていただきたいと思った次第です。もっと詳しく話さないと伝わらないことだらけですね。発表された皆さんもどうぞ感想をお寄せください。(とど)