巡礼の旅(お遍路&スペイン サンティアゴデコンポステーラ馬巡礼)

当初四国遍路にフォーカスしていましたが、今後巡礼に範囲を広げました。

36番清龍寺&奥の院

2010年12月10日 | 旅行

宇佐大橋を渡り、旧遍路道を抜けてまたなだらかな道になったら直ぐに36番清龍寺到着でした。 36番清龍寺の本堂までは急な階段があり、ここを引退した朝青龍は上り下りして足腰を鍛えたとかいう話があります。 確かに急です。 



登り口前に納経場があり、その隣に美しい大塔があるので、こちらがご本尊かと見間違ってしまいます。 



階段を上り詰めた上にはご本尊 波切不動明王がおられます。 静かな雰囲気でなにかスピリチャルな雰囲気が感じられます。 惜しむらくはご本尊 波切不動明王が格子戸の奥に囲われてしまい、なにかそのスピリチャルなパワーがブロックされてしまっているようです。 確かに階段下の納経場しか人はおりませんから、悪さする人がいても止められないでしょう。 でも格子戸があるとちょっと幻滅です。 





しばしお参りして納経場へ、ここで奥の院への行き方を教わります。 今日の宿泊は国民宿舎 土佐です。 国民宿舎って泊まった記憶がありません。 4時からチェックインですといわれており、36番清龍寺の奥の院はこの国民宿舎 土佐の裏側にあります。 納経場横の林の中の道を登り始めると、ここにも四国88箇所参りができるようになっています。 人影はまったく見当たらず、静かな登りです。 時折国民宿舎 土佐でしょうか音がしますが、静かです。 一度車道を横切ってたどり着いた場所が奥の院でした。






ここにおられます不動明王さん、場所の感じ、本当に目を閉じていたら不動明王さんがでてきそうです。 お堂の両側には烏天狗でしょうか、悪いことをしたら駄目だよと見守っているようです。 時間調整もあるので、リックをおろし、灯明、お経を上げて不動明王さんと心の対話をします。



不動明王さんの真言って長いです。 ちょっと覚えるには長すぎるで、壁にその真言が書いてありそれを読むのですが、それがいかにも雰囲気があり、久々に本当にいいところにきたなと感じました。 



1時間ほどここで過ごし、そろそろ国民宿舎のチェック時間になったので林をぬけて、国民宿舎の裏、調理場あたりの柵の隙間から抜け出るようにして国民宿舎に到着。 ここはいいところでした。


宇佐大橋から旧遍路道で36番清龍寺

2010年12月09日 | 旅行

宇佐の町を抜けて36番清龍寺がある半島に渡る大きな宇佐大橋にたどり着きました。 ここは昔宇佐の渡し(龍ノ渡シ)があり、お遍路さんもここは船で渡っていたそうです。 この渡しにはこのような言い伝えがあります。 
『かつては宇佐から浦の内湾をへだてた対岸へは、龍ノ渡という渡船があったという。 そして、その渡船の権利は、弘法大師のお供をした8人が貰い受け、千数百年以上営まれていたといわれているそうだ。 歩くことを本来とする遍路も、川や海を渡るときは「お許しの舟」と言って乗り物を利用した。この青龍寺へも「龍の串の渡し」があって、スカイラインの開通までは、皆舟で渡った。』
今は近代的な大橋をわたって半島のカーブに沿って作られた道をたどると36番清龍寺に到着というルートになっています。 でも橋を渡り終えたところに小さな看板がありました。 体力と時間のある方へ、旧遍路道があります。 そう龍の渡しで36番清龍寺のある半島に渡ったお遍路は、湾から山を越えて36番清龍寺に歩いていったです。 それは体力と金のない私にとって歩かなければいけません。 早速道しるべに従って右折して湾に沿って歩いていくと、しばらくで旧遍路道の道標がありました。 この道標の奥には墓地があり、丁度墓地にお参りにいくおばさんと一緒になり写真を撮っていただきました。 



(おばさん)最近整備されただけど滅多に使う人はいないのよ、
(私)よかった今おばさんとあったから、何かあったらこんな人が入り込んだって言ってね、
(おばさん)滅相もない。私も自分の墓より奥には入ったことがないのよ。 
(私)はい、危なそうだった戻ってきます。

入ってみましたが、整備がしっかりして危ないところは何もありません。やはり歩き遍路をするならやはり昔の道を通りたいです。 そこから何かパワーがもらえるような気持ちになります。 登りきったところには竜の一本松跡というものがあり、中学生6人で抱えるような大きな松だったそうです。 残っている株の跡だけでもそれは信じる話かなと思う大きさでした。 ここまでが登りでこれから下り、林の間から覗く海はきれいです。









民家の隣に降りきったところに同じように旧遍路道の道しるべがあります。 



もうここから36番清龍寺へは直ぐです。 道端には35番清滝寺と同じように四国88箇所の仏様が並んで、ここにお参りすれば全部お参りできる仕組みになっていますが、今は道の整備中でブルトーザーが入っており遠くから眺めるだけでした。

土佐市から宇佐町 塚地 塚地阿弥陀如来堂

2010年12月08日 | 旅行
清滝寺から戻り、旅館で預かってもらった荷物を受け取り、36番清龍寺を目指します。
途中石柱の道しるべを見つけました。 清龍寺まで一里半余りとなかなか風情があります。 



そんな道でまた歩きお遍路だけの秘密の場所 塚地阿弥陀如来堂がありました。 道路にこの看板がありお遍路さんどうぞと書いてあります。 200mですし、今日の道のりは大した事がないんで興味心一杯の私は寄り道することにしました。 



たどり着いた塚地阿弥陀如来堂は山肌にへばりついた小さなお堂です。 でも歴史は800年あるとか、早速お線香と灯明(帰る際には消してくださいとの事、防火の観点からも消してきました)を灯して古ぼけた椅子の上で吹き出る汗が収まるのを待ちます。 



それにしても道から200mしか離れていないのですが、こころ休まる場所です。 地域の人にあされた小さなお堂と阿弥陀様なのでしょう。 変な理屈を考えてしまいました。 大きなお寺の仏様も小さなお堂の仏様も同じようにご利益があるなら、沢山の人が訪れるお寺だとそれぞれのご利益は薄まってしまうのかな、そうすると、今日ここを訪れたのは一人かな、凄いご利益があるかもしれないなんて。





なにか36番清龍寺に着く前に大きな徳をいただけたような経験でした。

35番 清滝寺

2010年12月07日 | 旅行

昨晩は土佐市中央にある旅館白石屋に泊まり、荷物を預かってもらい朝のすがすがしい雰囲気の中35番 清滝寺にのピストンです。 市内を抜けると山肌にしがみつくようにして作られた35番 清滝寺が見えてきます。 



途中タクシー会社の事務所に「お遍路さん、荷物預かります」という優しい申し出があります。 たどりついた時には丁度朝のラジオ体操をしているところです。 高知は一番お遍路にやさしくないという調査があるとネットの記事を読んだおぼえがありますが、このような看板をみるとそうでもないよ、高知の人もお遍路にはやさしいです。





高知自動車道を潜って集落を抜けたあたりに石柱が二本あり、ここから参道が始まります。 道の両側には1番からの四国88箇所の石像があり、ここに清滝寺に参詣するだけで、88箇所をお参りできるみたいです。 道は細く自動車道と一緒なので気をつけないといけないのですが、幸いまだ朝が早く車の往来は殆どありません。 



しばし登ると車道と分かれて、お遍路道になり、程なく山門に到着、 さすが空身は楽です。 ここの山門には龍の素晴らしい絵が描かれています。 






山門を潜って階段を登った先にぽっかりと大きなスペースがあり、ここに本堂、大師堂、それに薬師如来像、その下に入り口があります。 


しばし弾んだ息を整えてから薬師如来像下の入り口に向かいます。 中は真っ暗で戒壇巡りが出来ます。 戒壇巡りで有名な善光寺の説明だと、『お戒壇巡りとは、瑠璃壇床下の真っ暗な回廊を巡り、中程に懸かる「極楽の錠前」に触れることで、錠前の真上におられる秘仏の御本尊様と結縁を果たし、往生の際にお迎えに来ていただけるという約束をいただく道場です。』という事ですが、ここの戒壇巡りはそのような仕掛けはなかったようですが、一人真っ暗な中を進むスリルはわくわくするものです。




戒壇めぐりを済ませて、本堂、大師堂とお参りして納経を済ませました。 ここの素晴らしさはお寺境内からの眺めです。 



今登ってきた土佐市の田園風景が目の前に一杯広がります。 いつものことなのですが、そこを横切る高知自動車道だけは邪魔です。 目の前の風景を楽しんでいるとタクシーに乗ってきたお遍路さんたちが登ってきました。 ここの駐車場はなんと本堂、大師堂の前なんですね。 たしかに狭い場所なので仕方ないといえるのでしょうけど、車で山門も潜らず、本堂、大師堂前に乗り付けて、それから10歩で本堂に参詣というのはなにか納得いかないですね。やはり参詣ですから、山門で手を合わせ、本堂、大師堂とお参りしていくのが筋かな。それまで目の前の景色、古めかしい山門、本堂、大師堂の建物、戒壇めぐりといい気分だったのが、ちょっと幻滅してしまいました。

仁淀川のお弥勒さん 『いびらさん』

2010年12月06日 | 旅行


仁淀川の橋の下を潜った直後に堤防にあがる細い道を登って橋の歩道に導かれます。 長い橋で途中から川を覗き込むと澄んだ水に魚の姿が見えます。 やっと反対側の橋のたもとに着くとそこには35番 清滝寺 36番 清龍寺のサインが出てきました。 疲れでしょうか、なにか同じサインのように見えてどっちにいくんだっけと迷ってしまいました。 



このサインを通り過ぎた直後の道路の右側に小さな社みたいなものがあり、その前にこんな看板がありました。



いびらとは出来物のことで、この起源は明治の大洪水で流れ着いた社を国則家が祭ったものです。国道の傍で誰も居なかったですが、この前に座ってしばし心を静めて半跏思惟の弥勒菩薩を拝んでいました。 



広隆寺(京都) 弥勒菩薩半伽像のコピーなんでしょうが、この地で大事にされていたんでしょう。 同じ信仰対象でも庶民に愛されたここの弥勒菩薩さんには、広隆寺の弥勒菩薩とはまた違った良さが感じられました。 バス遍路ではこんなローカルな場所に寄る事はないでしょうが、歩き遍路の特権でこのような機会が与えられた事は、本当に縁だなと感じた弥勒菩薩さんでした。
(この日は4つのお寺に参詣してきたのですが、もしかしたらこの弥勒菩薩さんが一番心を込めて般若心経を唱えたかもしれませんね)