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巡礼の旅(お遍路&スペイン サンティアゴデコンポステーラ馬巡礼)

当初四国遍路にフォーカスしていましたが、今後巡礼に範囲を広げました。

逆うち 番外霊場&別格20霊場自転車参拝 【第十七番 海岸寺 】

2012年05月15日 | 日記



ここから海辺にある別格第十七番 海岸寺に向かいます。 最初の山門がびっくりです。仁王様がおられる所になんと力士像が鎮座しています。 さすが引いてしまいます。 近所の方でしょうかお参りの方々が来ています。 ここも地元に基礎を置くお寺ですね。 お経と唱えて、納経をして今日の第二の目標地 捨身ヶ嶽禅定にさっさと出発してしまいました。 後で調べてみたら本当の霊場は表ではなく道路を隔てて西側にある奥の院でした。 ここは)弘法大師の母である玉依御前がこの地で大師を出産したというところだったそうです。 しまった。調べが足らなかった。 

 



88箇所の73番 出釈迦寺の奥の院にあたる捨身ヶ嶽禅定は、前回出釈迦寺から遥拝だけして宿泊先の善通寺に急いでしまったのですが、奥の院そのものが見えているので今回是非行きたいと考えていました。
曼陀羅寺の隣に巡礼宿があるので、ここで荷物を預かってもらい、参拝用具とカメラだけを持って早速捨身ヶ嶽禅定に向かいます。

 




逆うち 番外霊場&別格20霊場自転車参拝 【第十八番 神野寺】

2012年05月14日 | 日記



善通寺宿坊の朝は6時の朝の勤行です。 抑揚のついたお経を聞いて、真っ暗な戒壇めぐりをしてから今日の最初地、満濃池に向かいます。 満濃池は遍路ルートから外れていますが、ここには別格20霊場の一つ、神野寺があります。 何度も決壊を起こした満濃池の工事を弘法大師が託され、3ヶ月で完成させたという伝説の池です。 この工事に関しては大林組が面白い資料を作成しています。 季刊大林No.40 「満濃池」 1995年 「弘法大師・空海の修築した「満濃池」の想定復元」URL=http://www.obayashi.co.jp/kikan_obayashi/manno/p01.html)
です。 その中の記載を読むと3ヶ月で作り上げたこの工事には意外な事実が浮かび上がってきます。

①アーチダムだった事
『空海の築造した満濃池の堤体は、谷のもっとも迫った部分を避けて少し上流側に立地し、現代のアーチダムとは構造的に異なるものの、アーチ型をしていたとされる。』
工学が進んでいない古代においてアーチ型の堤防を考えること自体弘法大師と知られる人間が仏教だけでなく、工学技術も中国から伝えたと推定されます。

②3ヶ月ではなくもっと長い工事期間だったみたい
『空海が満濃池の築池使別当に任命されたのは、弘仁12年(821)5月27日であり、工事に着手したのち、7月末には竣工している。空海の徳望を慕って近在から多くの労働力が集まったとしても、築造工事全体の工事期間をわずか2ヵ月余とする伝承には無理がある。先行していた路真人浜継による工事は未完に終わったもののかなり進行しており、それを前提として空海の最終工事が行われたと考えるべきである。
工程のなかで注目されるのは、仮排水路をふさぎ底樋に水を通し、越流を防ぎつつ中央部の盛立を行う最後の工事で、2ヵ月余で完了する。この一連の工事は、技術的にも労働集約の面からも、古代における溜池築造のハイライトとも考えられるだけに、あるいは空海伝承にみられる短期間の工事はこの部分を指したものであろうか。現代の暦に直して考えると、梅雨明けを期して一気に水路を締め切り、台風前に提体の盛立を終えて竣工したものと思われる。』



善通寺から約15Km走ってたどり着いた満濃池は満々と水を湛えた大きな溜池で池の周りに遊歩道があるのですが、余りに長いので途中で断念、取水口の近くにある神野寺に行き参拝しました。


逆うち 番外霊場&別格20霊場自転車参拝 【第十九番 香西寺】

2012年05月13日 | 日記

昨晩 横浜/天理ビル前発22:20の夜行バスに乗車、JR高松駅 08:05に到着。
早速駅前で自転車を組み立てます。 朝日がことのほか眩しく汗をかきながらものの5分で組み立て完了。 駅前のうどん屋で朝食。さぁ出発。
今日は別格19番の香西寺を参拝のあと、五色台に登り、根香寺、白峯寺 、それから天皇寺、郷照寺と経て善通寺宿坊までの68Kmです。 結果盛り沢山過ぎで善通寺宿坊に着く頃には脚がぴくぴくと痙攣してしまいました。 夜行バスでは寝たようで充分寝ていなかったようです。

高松駅を出て大型ショッピングモールイオンを目指して海岸沿いを走り出します。 前回根香寺から鬼無に下るのを雨で道を間違えて海岸側に降りたことがあります。 その道に香西寺、その先にイオンがありますから一度通った道で今度は迷ず香西寺に到着。 誰も参拝しておらず、ゆっくりお経を唱えて納経所へ。 納経所で念珠を見せてもらうと結構いいいい記念になりそう。 別格20霊場でそれぞれ1個念珠を有料で配布しています。 ここに親玉を出すと21個の念珠になります。 スタンプラリーに代わるいいビジネスプランで乗せられているとも思いましたが、別格20霊場の記念になるかなと考えて集めることにしました。 そしたら納経所の方が爆弾発言、別の色だけどこちらは東日本大震災復興を願って昨年作成したもので、今は数少なくなってますけど全部21個整っていますが買いませんか? 欲しいけど今購入したら別格20霊場を全部行く気力が無くなるから無事戻ってきたら考えますとお答えしました。


根香寺は標高400m弱、香西寺は海岸沿いですからしばし上り坂を自転車を押していきます。 これが夜行バスで来た体にはきつかった。 今日は晴天、前回雨の根香寺とは違う印象です。 回廊になった本堂、薬師堂、大師堂に参拝して、白峯寺へ一気に下ります。 どのくらいスピード出るか試してみると40Km/時は軽く出ています。 無理をしないで30m/時に押さえて下るようにスピード調整をしましたが直ぐに白峯寺です。

白峯寺では崇徳天皇の御霊所の頓証寺殿が前回パスしたので参拝します。 車で参拝に来た方々が拝んでいるので、ここは本堂ではなく、崇徳天皇の御霊所ですよ。 本堂はあの階段を上がったところにありますが、かなり登らないといけないの、無理だった護摩堂でお参りしてもいいですよと護摩堂に書いてありますよと知らせするとありがとうと言われて護摩堂に向かわれていました。 納経所を兼ねている護摩堂から真っ直ぐくると頓証寺殿ですから間違えますよね。 頓証寺殿左側には天狗の相模坊が、崇徳天皇を助けるために神奈川県大山からこちらに飛んできた天狗です。


白峯寺から一気に下って、崇徳上皇を祀る白峰宮に隣接し、元は白峰宮の神宮寺でした。今回は「八十場の霊水」が目標です。この清水は亡くなった崇徳天の遺体を甕に入れて外側から清水を流して腐敗しないようにして、京都まで葬儀を問い合わせをしたそうです。 また“弥蘇場”と記載される土地であり、崇徳上皇の事跡以前にも、次のような伝承が残されている。古代には毒魚という怪物がおり、日本武尊が退治をしようとしたが、逆にその毒気に当てられて全員が昏倒した。 しかしこの清水を飲ませたところ生き返ったという伝説があります。 今はここには清水屋といわれるところてん屋があり、味わいあるところてんを出しています。 さすがここまで来る遍路は少ないようです。 今も崇徳上皇の遺体を冷やした清水は流れていますが飲まないほうがいいとお店の方に言われました。

 



88箇所唯一の時宗のお寺、郷照寺に立ち寄ってから善通寺に向かいました。


高野山奥の院への道(5) 町石道 神田地蔵堂

2012年03月02日 | 日記


 山の中をたどっている道に場違いな風景が急に出てきました。 ゴルフ場です。 こんな山の中でゴルフ、何が楽しいでしょう?? そんなゴルフ場を抜け切ったところに急に前が開けます。 そこが神田地蔵堂です。 向いに小さいながらも集落が見えた南側が開けた高台にこの地蔵堂はあります。 気持ちいい場所でここでお昼とハイキングガイドにありますが、その通りの場所です。これで「こうだ」と読みます。ここは横笛が高野山で修行をした滝口入道を待った所とも伝えられています。
地蔵堂にはお地蔵さんがおられますが、鍵がかかっていて中に入る事はできませんでした。


高野山奥の院への道(4) 町石道 丹生官省符神社(にうかんしょうぶじんじゃ)

2012年03月01日 | 日記


慈尊院の本堂を左回りにある行くと丹生官省符神社に登る長い階段があります。 ここを登っていく途中に180番目の町石柱があります。 ここが町石道の始まりになります。 

 

上りついた上には3つの社からなる神社があります。 これが丹生官省符神社です。 お参りしてからご朱印をいただくために社務所にあるベルを鳴らしたところ、反対側から神主さんが現れました。 そしてお朱印を書いていただいた後に以下に書いてあるようなことを説明してくれました。

丹生官省符神社ホームページ http://www16.ocn.ne.jp/~niujinja/
丹生官省符神社は弘仁七年(816)弘法大師によって創建された社です。 弘法大師が真言密教修法の道場の根本地を求めて各地を探していた時にここで一人の猟師に出会い高野という山上の霊地のあることを教えられました。猟師は従えていた白・黒二頭の犬を放たれ空海を高野山へと導かれました。 高野山の大伽藍のあるところに行くと、そこの松に中国から投げた法具があり、ここを聖地と決めたという逸話からきてます。
この山は狩場明神を祀って神社を造ったが明治維新の神仏分離令により多くの建物は取り除かれ、三棟(国指定重要文化財)が往年の姿をとどめ今日に至っています。



 

そこで神主さんが言われたことは昔は神さんも仏さんも区別は無く、みんなの心の拠り所として神社もお寺もあったです。神仏分離令でここも四つのお社が無くなってしまって、今は三つしかないけど本当は七つなんです。 心の拠り所をなるように今頑張っていますというお話でした。

 

そしてもう一つあった話が「高野山奥の院の遙拝所」です。 社の左側から見える山、あれが高野山の奥の院です。 ここから遙拝するんです。 遠く霞んだ先に見えるところまで今日行くのかと思うと人間の足は凄いと思ってしまいます。