折々スケッチ

小さなスケッチブックやハガキに水彩と鉛筆ペン等で描いた絵を中心に、感じたこと等日記代わりに添えています。

鏡開きのぜんざい

2017年01月11日 | 日記
  
11日は「鏡開き」
我が家の鏡餅はは鏡開きと言うほどの大きさはなく、ほんの形だけ。
それでも11日は毎年のことでぜんざいを作る。

以前は10日の夜から大きな鍋で薄いの甘いのと言いながら小豆を煮て
家中に小豆の匂いが広ると、ほかほかと幸せ気分に。
それから何日か煮返すたびに豆がとろりと崩れてそれもまた美味しかった。

体重と健康を気にしなければならない今は小豆も少しだけ。
たっぷり大きなお椀で食べたいけれど、小さめのお椀に少しずつ。
大きなお椀でお腹いっぱい食べたいなぁ・・・
    
・・・痩せなければ・・・やせなければ・・・今年の課題5キロ減。

高速ひるがの高原(3)

2017年01月10日 | ひるがの高原
上り線バス停から大日ヶ岳  F3

高速道路のパーキングエリアでバスを降りたのは下り線。
帰るために名古屋方面上り線に行くのは簡単ではなかった。
エリア内のコンビニで反対車線への道を聞くと「ETCですか?だったら・・」と。
「いえ、バスで来たので歩きです」「あ・・・」と想定外な様子でした。

サービスエリアから外に出てテクテク坂を登り、陸橋を渡り坂を下り
また、テクテク テクテクやっと上り線のサービスエリアへ。

サービスエリアの上りと下りでは全く様子が違うのは面白かった。
おしゃれな雑貨店があり(とても高い)色々眺めてコーヒータイム。


エリアの一番隅っこにある高速バス停留所は小さな小屋。
普段は1日1便、季節運行時は3便止まるだけの停留所です。
椅子があるのでバスが来るまで腰かけてちょっと1枚。

下り線から上り線までの移動を考えると、再訪するのは山に残雪のある春が
いいのかなと思いました。また行こう!

※「高速ひるがの高原」終わり


上り線側からの白山 

高速ひるがの高原にて(2)

2017年01月09日 | ひるがの高原
 頂上だけ見える「白山」 F3

何年振りかで乗った高速バス白川郷線、いつから変わったのか驚くことばかり。

私は名古屋駅から乗車して途中の「高速ひるがの高原」で下車するのですが
ほとんどの乗客は白川郷まで。そしてほとんどアジア系の外国人ばかり、
日本人はいたのかしら・・・
食べ物のガサガサした音以外は皆さんとても静かなのも、ちょっと驚き。
私の難聴が進んだせい・・・か?
以前、中国の高速バスでは賑やかなのに驚いたものでした。


車内放送は日英中韓の4か国語になり、以前は1日1便だったのにお正月が近かった
からか1日3便と増えていました。

 サービスエリアから名古屋方面を望む

高速道路サービスエリアは食事所もトイレも完備、ちょこちょこ戻って
休憩しながら周囲をスケッチするのは打ってつけ。
室内のストーブに当たりながら外を眺めたり、ホカホカ焼き芋をかじりながら
外のベンチで過ごしたり。

犬を連れた方が多く、たまに激しく吠えられた・・・寒空のもとスカーフかぶって
芝生にうずくまるおばぁさんはかなり怪しく見えたかも。


遊歩道、向こうの山の名は?

「高速ひるがの高原」にて(1)

2017年01月08日 | ひるがの高原

F3 大日ヶ岳 1708m


今年は年明け後も良い天気が続きました。
予定の入っていない6日、膝の調子がいま一つでも
雪山が見たくて、スケッチしたくて寒さ対策万全に
貼るカイロ、滑り止めアイゼンも持って出かけました。

歩かなくても雪山が見えるところ「高速ひるがの高原サービスエリア」
名古屋から高速バスで2時間、サービスエリア内のバス停に着くと
目の前に裾野を広げ雪を冠った大日ヶ岳…スキー場のはずでした。
 でも、雪は無し。縞模様に白くなった山腹では盛んに雪煙が上がって
人工雪を製造中。
あたりは初冬の風景が広がっていました。

右手の山の向こうに真っ白な白山を少し見ることができて、まぁ良しかな。

「去年、今年と続いて1月にこんなに雪がないのは珍しい」
「でもこの頃は降ればドカ雪でねぇ」と売店の方。ここも異常気象のようです。
お天気はいいので、霜柱の残る芝生の上で何とかスケッチ出来ました。

  

レストランでランの窓越しに「白山」スケッチ


七草のわらべ歌

2017年01月07日 | 
七草の「なずな」

私の父は明治31年農家の生まれ、そして私は7人目の末っ子。
子供の頃に教えてくれた七草の歌  
  「ななくさなずな とうどのとりが 
   にほんのくにに わたらぬさきに 
               トントントン」でした。
子供の頃、庭に放したニワトリを「とう とう とう」と追いたてました。
だから「とうどのとり」とはニワトリと思っていました。
「とうとのとり」が「唐土の鳥」と知ったのは大きくなってからの事。

実家でしていた通り有り合わせの青菜と小さく切った餅を入れたお粥。
歌いながトントンするのは恥ずかしくて、今年も黙ってトントンです。


お正月、父は「昔は白飯や餅はおおご馳走だったでな」と歌ってくれたのは

  「しょうがつは ええもんだ
   ゆきのような ままくって
   こっぱのような ととくって
   げたのはのよな もちくって
   しょうがつは ええもんだ」
貧しかった昔、お正月は今よりもっと楽しみが多かったんだろうなと
思います。
ちょっと怖い明治の父でしたが、今ごろなっていろいろ思い出します。


 七草の「すずな」

孫の着物

2017年01月06日 | 孫ちゃん
 Kちゃん 

お正月、5才の孫に着物を着せることになりました。
娘が七五三に着た着物で、孫のKちゃんも3歳のお祝いで着たものです。
3歳の時は被布を着たので帯は無し。
今回は帯を結びたいと娘の希望、ところが私も娘も子供の帯を結んだことは
無くて・・・試行錯誤・・・なんとか。
孫ちゃんのご機嫌が斜めになる前に結べてほっとしました。

晴れ着で氏神様へ初詣、でも、なれない草履では長くは歩けなくて
用意のブーツに履き替えてご機嫌で初詣を終えました。

大人も子供も着物姿には出会いませんでしたね。
私も・・・洋服でした・・・が。

娘から孫へ着物が受けつがれるのはとてもうれしい事でした。

想い出がつながって・・・

2017年01月05日 | 身のまわりの物
ピーターラビット 

今年の年賀状の中に20年も前の夫のイギリス研修旅行のお仲間からの一枚がありました。
一昨年末、喪中はがきを出したところ「今までのつながりが消えてしまうのは残念なので
これからも年賀状を出してもいいですか」と言われ今年は私宛にいただきました。


語学研修とロンドンからエディンバラまでの旅は何度も何度も
「素晴らしい仲間と過ごした素晴らしい一か月だった」と話てくれました。
年賀状をくださった方にも忘れられない体験だったようです。

「宿舎の周りをジョギングすると小さな野ウサギが飛び出すんだ」と楽しそう。
そして私へのお土産は「ピーターラビット」のぬいぐるみとネックレス。
ぬいぐるみはねじを回すとゆっくり首を振りならがオルゴールが鳴るのです。

今では上衣も人参もすっかり色あせた「うさぎさん」は孫のごっこ遊びのお相手で
赤ちゃんになったり、スカーフを着せてお姫様になったり・・・。
普段は夫の写真の前に置いてあるのでイギリスの想い出話しでもしているかな。





蘇州からの電話

2017年01月04日 | 中国の想い出
 レンガ工場

毎年、元旦に夫の教え子Y君から新年の電話がかかってきます。
もう16,7年前中国安徽省の学校で夫が日本語を教えた頃の生徒です。
夫が亡くなったと知らせた後も「奥さん元気ですか」と今年も電話をくれました。
今は蘇州で就職、結婚して日本に出張で来ることもあり我が家で
泊まっていったことも。

電話の後、久しぶりに当時を思い出していました。
安徽省蕪湖市の町はずれにある学校周りはまだあまり開発されず
幹線道路のほかは長江が運んできた細かい土埃の立つ道でした。
水田やアヒルの泳ぐ小さな池、レンガ工場と小さな集落と学校があるばかり。
そんな道の脇でスケッチしたのが今日の2枚です。

はじめて行った中国、絵を描いていると子供たちに取り囲まれ
話しかけられても何もわからない。とても残念!
1ヶ月して私だけ日本に帰りるとカルチャーセンターの中国語教室に
入りました。3ヶ月で話せるわけはないのですが、半年後に蕪湖市へ
行った時には単語だけ並べて子供たちと少しは通じて楽しかった!

言葉は大切だと実感したのに、私の中国語はそれ以上にはならず仕舞い。
そんな懐かしい事を思い出させてくれたお正月の電話でした。

絵の風景は今ではすっかり変わってしまったようです。 

 合肥への道 </font

はや 三日

2017年01月03日 | 日記
水仙   
年末からお正月も穏やかな良い天気が続き公園や街角に
水仙が咲いています。香りも姿も優しい花です。


  
我が家のお正月、二日の夜に子供達が帰ってゆき、三日は朝からのんびり
お節の残りを食べながら頂いた年賀状を見直し。
天気は良さそうなので愛知県美術館で今日から始まる
「ゴッホとゴーギャン展」を見に行こうかな・・・。
4日には絵の会の4月分の会場抽選会があり、日常の暮らしに戻ります。


 平成16年(木版画)   
この頃は忙しい年末に木版画を1枚ずつ手で刷っていました。
元気があったんだなと思います。
今では便利なプリンターに頼って、とても楽にはなったのですが・・・。

古い年賀状  酉年

2017年01月02日 | 日記


平成17年 サツマイモ版画
この頃から自分で掘った版画を年賀ハガキにプリントしていました。






平成5年 木版画…文字は毎年同じものを使用
この頃は年賀はがきに1枚ずつ手刷、失敗も多かった。


 
熱田神宮神楽殿にて
  「緋袴を ゆるりと返し 初神楽」 
  「巫女さんの 手ののびやかに 初神楽」   ひろ
 

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