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あきオジの風景

写真、そして、俳句(もどき)
毎日更新しています。

コスモスの丘から見ゆるビルの街  あきオジ

2010-10-13 17:39:14 | 日記
昭和記念公園の黄色いコスモスです。
黄色のコスモスもいいですね。
何よりも淡くて押しつけがましい色でないことがコスモスらしい。
単体だと淋しげでいっぱいあると賑やかになるけれど
鬱陶しくはない。
珍しい花ではないでしょうか。

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秋風や藪も畠も不破の関  芭蕉

(芭蕉の教養的な句にはてこづります。教養人である人たちは容易に句の背後にあるものを読みとって「なるほど」になるのでしょうが、そんなもののかけられもない者には、教養のなさを指摘されるだけでなく揶揄されているような気分になってしまいます。その句だけですべてを語るようにしてほしいですね。)

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悪人は地獄へ落ちるといいます。
その地獄へ落ちる人まで救う。
そう発想するのが宗教ではないでしょうか。

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「ただいまの」の声だけのこる金木犀   あきオジ

2010-10-13 17:28:57 | 日記
昭和記念公園は老人会
保育園
いろいろな団体の遠足で賑わっています。
楽しそうですね。

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最近、中年以上のおばさんのおしゃべりが耳に入ります。
どこかで聞いたような言い方です。
あの大きな家の人
犬飼っている家の人
という人物の表現

そして、この花、私の家にある。
この花育てたことがある。
所有と育てた過去の体験を話題にする。

そして、欲しがる。
これ、どこかで売ってないかしら?

これで半日もつからたいしたものです。

最後は、満開のときにきましょうね。で終わると思うのは男の気楽さ
これから帰りの電車が仕上げ段階なのです。

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落葉して遠く成けり臼の音  蕪村

(蕪村の句にある独特の時間差、あるいは距離感が面白いですし、個性と言うだけでなく普遍性のある形式の変革ですね。ときおり見られる色彩の組み合わせ、時間のずれを生かした句作りは面白いですね。平面である絵画における立体表現の革新を起こしたセザンヌのようなものです。コロンブスの卵といようなことなのでしょうが、そのから生まれる美意識の広がりは相当のものがありますが、これはどうしてか伝統的な芸術論して大切にされていませんね。そんな気がします。)

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冬の風は、下を向いて身を小さくしていれば通り過ぎる
これって私の知恵です。

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善通寺しゅうめい菊が迎え入れ  あきオジ

2010-10-13 17:01:08 | 日記
善通寺は懐かしいところですね。
田舎町でバスさえ通っていない。
スーパーが一軒あるだけ
それでも田舎町の明るさと長閑さがあふれていて
今でも懐かしい場所ですね。

昭和記念公園の中でしゅうめい菊をみつけて
善通寺の境内を思い出しました。
大きな門と五重の塔が印象的で
いつも遍路さんがお参りしていました。

今も変わらないでしょうね。

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日の暮の背中淋しき紅葉哉 一茶

(一茶が色彩を意識して句を組み立てたとは思われません、きっと、近代的な意識で、色の組み合わせを計算したのは蕪村ですね。そのように思いますし、色彩の組み合わせを知って感動さえします。この句のようなサラリーマンの悲哀と重なる句は切ないですね。)


女郎花看板となる蕎麦屋かな   あきオジ

2010-10-13 04:54:44 | 日記
深大寺門前町には、土産物店とか蕎麦屋が並んでいます。
そこでは、花に興味がある店主がいるらしく
花を飾ったりしています。
しかも、店頭ということもあり
大きな壺にほおり込むような大胆さあり
それが楽しいです。

植物公園を楽しで深大寺を抜けて
階段を下りて土産物店を抜けるとバス停です。
最後の楽しみがこの花を活けた風景なのです。

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寝仲間に我をも入よ春山  一茶

(寝ることを楽しむ人たちがいる湯治場だと分かりやすい。そんな贅沢なことではなく、農作業の合間のいっときでもしいし、花見でもいい。何も語ることもなく寝ている。そこにお邪魔することにしても、よそ者。「仲間に入れて下さいよ」ということわりも必要な微妙な関係。でも寝ている人は何も言わないで受け入れてくれる。そんな牧歌的な季節なのですね。春の温かさが楽しい。このあたりで留まってくれると一茶でなくなるけれど、この程度でちょうどいいですね。時として、一茶の露悪趣味というか子どもが親を驚かすためにわざと汚ないものを持ち出すようなことがありますが、芭蕉を越えられない苦々しさなのでしょうかね。)

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硯洗ふ墨あをあをと流れけり  橋本多佳子

(写生そのものの爽快感がいいですね。こんな句を作れたら楽しそうですね。そのうちに・・・・。)



森ゆけば木霊飛び交う夕まぎれ  あきオジ

2010-10-13 04:41:36 | 日記
神代植物公園には森の中に入り込むような
突然の場所があります。
それが楽しいですね。
森の中をあるいている。そんな体感も嬉しいですね。

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葱買で枯木の中を帰りけり  蕪村

(この「ネギカヒテ」がいいという解説もあります。確かにいいとしのオジサンが葱だけ担いで歩いている景色は不思議な気もしますが、そのちぐはぐそうに見えるのも一時のことで、景色に馴染んでいるように見えます。そこがこの句の面白いところですね。私にはそんな風に思えます。蕪村については研究者も多く、評論家もあれこれ書いています。そして、「葱」の扱いを技巧的に言っています。まあ、素人はそんな技巧的なところを楽しむのではなく、「葱とは思いつかなかったなあ」ということでいいじゃありませんか。)

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眠りたい
そのまま眠る
それができればいいなあ
これからですね。

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コスモスが秩父の山を乗りこえる  あきオジ 

2010-10-13 04:20:18 | 日記
神代植物公園の薔薇です。

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ここで寝るとする草の実のこぼれる  山頭火

(日本人は「旅する人に憧れる」という気がします。これおは私だけでしょうか?西行、芭蕉、山頭火みな旅の人でした。旅への憧れを体現した人という意味でしょうかね。その気になるのにはちょっとした覚悟が必要ですから、そう簡単にはいきそうもありませんが、日本人をするためには旅する人を求めよ。そんな気さえします。山頭火の句を読んでいると、旅が生活そのものということで、野宿も違和感なく伝わってきます。)

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じっとしているから見えるものもあれば
動くから見えるものもある

また、ぼんやりしていないと見えないものもあり
人とは分からないものです。

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