あきオジの風景

写真、そして、俳句(もどき)
毎日更新しています。

黄色とはかくたるものか薔薇の夜  あきオジ

2010-10-10 20:34:27 | 日記
薔薇の写真を撮ると
素人ですから植物図鑑のようになってしまいます。
まあ、あれこれ難しいことを思わず
日記の記事内容であることぐらいでちょうどいい。

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めしたべにおりるわが足音  放哉

(静かさが当たり前になると針が倒れる音にも気づくようになるということを聴いたことがあります。放哉も自分の足音の大きさに驚いたのでしょう。)

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今日
ここにいる
それを残したい
これって人間の業みたいなものですね。

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櫨の葉や願いの深さが赤となる  あきオジ

2010-10-10 20:23:22 | 日記
いやはや「赤い葉はそうなりたいと願ったか」
それを書き残したかっただけなのです。
キリンの首が長いのは
あるとき「長くなりたい」と思った。
勿論、言葉ではなく
だから、長くなった。
そう思うのが自然です。
高いところの実を食べているうちに長くなった。
それよりも「首が長くなりたかった」と願っていたら
「願いがかなえられてた」というのが文学的ですね。
そう思うのです。

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小さい家をたてて居る風の中  放哉

(どのような状況であり、放哉のいる場所が見せませんが、詩人の気配を感じますね。でも、研究者でもない私には、どのような状況の中で、どのようなことを表現したかったのか分かりません。でも、冬も近いし、取り急ぎ家を建ている。そんな気配を感じますね。傍観的な観察なのか、自分がかかわっているのか見えてきませんね。)

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人の品定めを始めたら、品性が一気に下落してしまう。
でも、アダムとイブの現在と比べたいほど
人間的なものですね。
品性を疑われても語り合いたいことですからね。
ご苦労様だね。

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匂いたつ薔薇咲くこともなげに  あきオジ

2010-10-10 17:05:58 | 日記
この時期
微妙です。
後数日で見ごろになる。
でも雨だと写真も撮れない・
そんなこんなで、晴れたから出かけようと思ったですが
明日も休みであることに気づきました。
それなら、昨日の今日より
一日おいた方がいいような。
ものを決めるのは、こんないい加減なのです。

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秋たつや何におどろく陰陽師  蕪村

(「秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞおどろかぬる」の俳諧化だという解説がありました。このような下敷きとなる古典的教養は当時の人は常識のようにもっていたのでしょうね。だから、この句が通じている。悔しいけれど、そのような教養はない。だから、ぼちぼち読んでいるのですが間に合わない。そんな感じですね。まあ、ぼちぼちですね。)

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「名もなく貧しく美しく」(松山善三監督)
懐かしい映画ですね。
しゃべるのが不自由な若い二人の物語です。
結末は悲しい終わり方ですが
「懸命に生きている」姿が、今の時代では貴重ですね。
高峰秀子が美しいしですし
母親を演じた原泉がいいですね。名女優ですね。
思えば、杉村春子など年配者を演じる女優さんが
本当に少なくなって淋しいですね。

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風流るコスモスみちを走るごと  あきオジ

2010-10-10 16:53:29 | 日記
この写真は神代植物公園のコスモスです。

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枝ぶりが日ごとにかわる芙蓉かな  芭蕉

霧雨の空を芙蓉の天気哉  芭蕉

(観察が鋭いですね。さすがの芭蕉ですね。描いている風景が美しいですね。)

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いろいろなこと
きれいな空に浮かべる
それがいい。

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雨上がり薔薇がふるえて立ち上がり  あきオジ

2010-10-10 16:34:02 | 日記
午前中は雨でしたが
午後からは雨があがりました。
コスモスも薔薇も見ごろでしょうね。

写真は雨の中薔薇です。

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木がらしや物さしさいた小商人 一茶

(擬音、擬態語、俗語、それが一茶らしさであり、卑屈さなのかもしれません。でも、当時の俳諧の世界では芭蕉を越えるに越えられず
個性を発揮するにしても俗に向かうしかなかったのでしょうね。一茶の格調が低いと言われるのは、それなりの理由があるのと同時に一茶スタイルを選択するしかなかったのですね。そんな気がします。)

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悲しいので泣いている。
というより、泣いている心地よさからぬけられない。

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旅するに憧れたままの夜長かな  あきオジ

2010-10-10 05:52:13 | 日記
マンションに住み
ときには、出かけよう
パック旅行でいいや
そんな横着で
花をみるなら植物園

それも現代のスタイルだなんて
開き直ってでも誰も聞いてはいない。

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旅人と我名よばれ初霽(しぐれ)  芭蕉

(旅が生活であり、句会に招かれ、そこで「わび」「さび」で営業して、そんな日々が続く。そう簡単ではないと思います。私たちは無一物で、清らかな心根で、慎ましい人に憧れ、そんなイメージを芭蕉に与えて、自分で思い込む。そんな尊敬をもちます。でも、現実の旅は半端ななかっただろうし、随行の弟子もあれこれ苦労も多かったでしょう。、句会ではスポンサーとなる旦那衆にも気を使い、「わび」「さび」のポーズもときには必要だっただろうし、きれいごとではない。そんな気がします。)

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目覚めがよい日は
言葉にしたい
そんな軽い気持ちが湧いてくる。
手は道具
口に柔らかい言葉

そうすればきっと、素敵な顔になるでしょう。

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白薔薇やぐうたらおやじの昼寝かな  あきオジ

2010-10-10 05:40:08 | 日記
神代植物園の薔薇です。
写真にするのが難しいですね。
きっと、カメラマニアだったらじっくり時間をかけ
レンズもいろいろ駆使して立派な写真を撮るでしょうが
どうも、そこまでの熱心さがありません。

まあ、いいか
写真はアリバイ証明なのだ。

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朝は涼しい茗荷の子  山頭火

(定型でいけなかったのか、そんな思いがありますが、山頭火は自由律を選び、その語り口で作っているうちに、山頭火の語調と言うか調べができたのでしょうね。読んでいるうちに、その流れに読んでいるうつに馴れてしまいました。山頭火の場合、自由律が先にあり、言葉がそれを追い掛けたのですね。理由などどこにもありませんが、そんな気がします。)

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旅することに憧れて
そのまま
薔薇の季節になりました。

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夕暮れで人懐かしい菊舎かな  あきオジ

2010-10-10 05:18:19 | 日記
神代植物公園のダリアですが、豪快に咲いてます。
手入れがいいので見事ですね。

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「こころの時代」で田上菊舎を特集していました。
若くして夫に先立たれ
一念発起して出家
そして、芭蕉の足跡を追って旅に出た俳人です。
江戸時代の人ですが
今日は、その興味の火がつきました。
面白そうな人ですし
期待できそうです。

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菊舎の句

秋風に浮世の塵を払いけり

月を笠に着て遊ばゝや旅のそら

故郷や名も思ひ出す草の花

敷しのぶ秋や竹田の稲むしろ

錦着るや一世の晴の月の笠

いく春も絶ぬ流れの産湯かな

月に花に戸ざゝぬ関の往来かな

吾笠に淋しさしめや蝉しぐれ

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横着な私はだらだらと暮らしていますし
俳句に取り組む気もありませんし
旅する活力もありません。
ただ、ぐうたらしています。

それが私のスタイルです。

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