あきオジの風景

写真、そして、俳句(もどき)
毎日更新しています。

風寒くふうせん蔓はのぼりつめ  あきオジ

2010-10-03 17:31:28 | 日記
巾着田へ進む道でみつけた風船蔓のすだれ
よく見ると繊細な蔓をもった不思議な植物ですね。
何かに絡まりつかないと生きていけない。
いったいどういうつもりなのだろう
そんなことを考えてしまいます。
でも、人はそんな蔓に手を貸すのですね。
世の中、バランスを維持することはことのほか大切なのですね。

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空に白い陽を置き火葬場の太い煙突  放哉

(放哉は自分で死を選ぶことはできなくても、他人の死は凝視することができる人だったのですね。)

めつきり朝がつめたいお堂の戸をあける  放哉

(あれこれ、語ることもあるのでしょうが、それをしないで、そのままを書いている。ただ、読む人を意識しているのが俳句的ですね。でも、これも俳句になるのでしょうか。また、これを観察と言うか、主観的な世界と言うのか、私はそのようなことは分かりません。ただ、「どうしようもない」自分を抑え込んでいることだけは見えます。)

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流れる水に譬えなくても
人は自分を裏切るのですね。

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コスモスが似合うおやじの無精ひげ  あきオジ

2010-10-03 15:54:06 | 日記
巾着田のコスモス畑です。

花はもって帰るわけにいかないから写真を撮る。
でも、その写真はどうなるのでしょうかね。

それにしてもコスモスはどうしてこのように陽気で
軽やかで、歌が聞こえて来るのでしょうかね。

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雪ふる一人一人ゆき  山頭火

(何を意味しているのか分かりませんが雪が降る日は一気に人が外にでることはない。まばらに人が移動している。そんな情景を思い浮かべますが、一人一人と点と点が脈絡もなく続いている。そんなことなのでしょうか。本人に尋ねれば、あれこれ語るのでしょうね。でも、俳句は説明しないし、説明を求めないものですよね。)

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捨てきれない荷物のまえうしろ  山頭火

(この句、どうしてか何度も出会っています。俳句的というか、表現がユニークなので気になるのでしょうかね。でも、これがいい俳句かどうかは分かりません。それでも、私は好きですね。)

流れ去る水を見送る彼岸花  あきオジ

2010-10-03 15:48:46 | 日記
秋風にふいとむせたる峠かな  一茶

(峠をゆけば秋風が吹く。おもわずむせてしまったが、麦こがしのような味だったぜ。金子兜太訳。どこに麦こがしが出てくるのか不思議ですが、それはそれ、楽しい訳ならそれでいい。特別興味を引いたわけではなく、ただ、何もないから選んだのです。)

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何もなく、落語のおち
話には、そんな雰囲気があるといいですね。

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コスモスの畑に入りぬ夕餉どき  あきオジ

2010-10-03 05:47:04 | 日記
満開のコスモス畑の夕暮れもいいですね。

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菫ほど小さき人に生まれたし  夏目漱石

(俳句は、切りとりの世界であるし、ぶつけ合いの世界であるような気がします。そして、そこにあるのは「驚き」なのでしょうね。よく分かりませんが、そんなことを感じます。意外性を感じない俳句は、面白いかどうかもありますが、興味を引きません。その意外性を楽しむから俳句を読むのですね。この句のような句は「なるほど、これもあるか」と思いますね。でも、これも言葉の楽しみであり、それ以上の詮索はしないのがエチケットだと思うようになりました。命を掛けたような句はそれほど刺激的ではありませんね。)

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いい人に疲れて入りぬ麦畑  あきオジ

2010-10-03 05:24:25 | 日記
巾着田にはずいぶん楽しませてもらいました。
燃える赤の世界もいいですね。

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富士ひとつ埋みのこして若葉かな  蕪村

(いかにも蕪村というような絵柄が想起され、それに言葉を与えている。そんな制作過程を勝手に想像しています。どうなのでしょうかね。)

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松の木も漂わせて咲く彼岸花  あきオジ

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日曜日の朝は「こころの時代」をときどきみます。
宗教者があれこれ語ります。
世襲制になり、金があり、妻帯を当然とする
時代の宗教家です。
上手に語ります。
いい遺伝子をもった坊さんは、耳が大きいですね。
それに食事がいいからでしょうか、色艶がいいですね。
仕事のストレスから解放されているからでしょうかいい表情をしています。

苦悩の時代も「いかにも」なのですね。
そんなことで段々、話を聞かなくなりました。

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自分の仕事が好きで
夢中になっている
そんな人が語る世界は楽しい。

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