庭瀬城跡前の駐車場に車をとめたまま、歩いて数分の距離にある撫川城跡に
向かいました。大きな樹木が立ち並ぶ西の方に向かって住宅地の中を縫うように
進んで行くと、先ず滑り台を備えた公園が現れ、その奥の方に風格のある総門を
発見しました。この門は撫川知行所総門を明治になって現代地に移築したもので
昭和30年に県の史跡に指定されました。
堀に架かった橋を渡り総門を潜って進むと正面奥の方に神社がありました。
見た感じそれ程古くはないように思われました。上方写真の如く城跡は雑草が
綺麗にカットされていて公園のような趣きでした。
この城は泥沼の地に築かれた典型的な「沼城」で、城の平面形状は東西が
77m南北が57mあります。城の周囲は幅15mの堀がぐるりと巡っていまして
敵を容易に近づかせないようにしています。
当城は永禄2年(1559)に備中成羽の城主の三村家親が、御存知備前の
宇喜多直家の侵攻を防ぐために築城したと伝えられています。
甚だ簡単ですが撫川城跡のリポートを終了致します。