きょうは10月5日(水)です。
38年前の1984年(昭和59年)10月5日(金)は私にとって記念日のひとつです。札幌市天文台で私が更新を担当した2代目望遠鏡の初めての夜間公開日だったからです。
この2代目望遠鏡は初代と同じ口径20cmF12屈折望遠鏡です。
1958年(昭和33年)に設置された初代20cm屈折は色収差などの残存収差が多めに残っているアクロマートレンズでしたが、2代目は色収差などが少なく見え味が鮮明なアポクロマートレンズへとレベルアップされています。
さて、ブログタイトルになった札幌市天文台報というのは、1960年(昭和35年)から札幌市天文台でほぼ毎年発行されていたB5版30ページほどの研究紀要的な冊子です。

1960年3月に発行された第1号から1970年3月に発行された第10号までの台報を並べてみました。
札幌市天文台の臨時職員として働いていた私が退職した1973年11月に、正職員の林耕輔さんから退職記念にと頂戴したものです。なぜか第6号が欠落しています。
最終発行は第10号だと記憶していますが、いずれも非売品で関係者に配布されたようです。
第1号の見開きページを接写しました。

「20cm赤道儀完成直後 1958年7月5日午前3時」と印刷されています。
北海道大博覧会の期日は7月5日から8月31日までなので、北海道大博覧会の開催日当日の明け方前に組立て調整が終わったという記録的な写真です。
左端の「林」は、天文台技師として着任した北海道大学農学部出身の林耕輔さん。天文台開設から20年以上も1人で天文台を守ってきました。
その隣りの「下保」は、北海道栗沢町出身で1935年(昭和10年)から東京天文台技手(当時)として活躍していた下保茂さん。日本人が発見した彗星としては2番目となるC/1936 O1 下保・コジク・リス彗星の第1発見者で、1936年(昭和11年)7月の発見です。
望遠鏡架台の右側の「福島」は、1956年(昭和31年)に新たな名称で再発足した札幌天文同好会(注釈)の初代会長の福島久雄さん。北海道大学工学部名誉教授です。
その隣の「同好会」は、札幌天文同好会の2代目会長の後藤栄雄さん。当時は札幌天文同好会の幹事で北海道電波管理局(当時)にお勤めでした。
北海道大博覧会の開催当時は、設置スポンサーである雪印乳業のシンボルマーク看板が屋上に掲げられていました。
北海道大博覧会が終了した直後の1958年9月1日に雪印乳業から札幌市に天文台が寄贈され、札幌市天文台が正式に発足。10月25日から一般公開が始まりました。それから26年後の1984年10月5日に2代目望遠鏡の夜間公開が始まったという訳です。

2022年現在、天文台入り口に掲げられているプレートです。
1958年の新設時と同様、1984年の望遠鏡更新費用も雪印乳業株式会社の寄附でまかなっています。
(2000年に発生した雪印集団食中毒事件の影響で、現在は雪印メグミルク株式会社となっています。寄付へのお礼の意味で、私は雪印メグミルクの牛乳を毎日飲んでいます。)
なお、札幌市天文台が設置された詳しい経緯については、2011年9月に書いたブログ記事 【 札幌市天文台の発足 】に書いてあります。
◆注釈◆
札幌天文同好会の創設は1956年(昭和31年)とされていますが、京都大学の山本一清先生(1889-1959、1918年に助教授、1926年に教授)が主催した天文同好会(後の東亜天文学会)の存在があり、「天文同好会北海道支部」の発会式が1924年(大正13年)10月4日(土)に行われたことが契機となっています。
太平洋戦争などの影響で「天文同好会北海道支部」の活動は低調気味となりましたが、1956年(昭和31年)7月7日(土)に札幌天文同好会として再発足しています。
山本一清先生の導きから始まった我が国アマチュア天文家の先人たちの流れの中に私がいることを感じながら、天文普及活動に邁進したいと思います。
★参考文献★
・札幌天文同好会初代会長の福島久雄さんが1985年ごろ北海道新聞に20回連載したコラム記事「星空と私」
・札幌天文同好会会報「プレアデス」第8号 1967年4月16日発行 札幌天文同好会創設の頃の記事を書かれた福島会長が「昭和31年7月7日の再発足‥‥」と書かれています。
38年前の1984年(昭和59年)10月5日(金)は私にとって記念日のひとつです。札幌市天文台で私が更新を担当した2代目望遠鏡の初めての夜間公開日だったからです。
この2代目望遠鏡は初代と同じ口径20cmF12屈折望遠鏡です。
1958年(昭和33年)に設置された初代20cm屈折は色収差などの残存収差が多めに残っているアクロマートレンズでしたが、2代目は色収差などが少なく見え味が鮮明なアポクロマートレンズへとレベルアップされています。
さて、ブログタイトルになった札幌市天文台報というのは、1960年(昭和35年)から札幌市天文台でほぼ毎年発行されていたB5版30ページほどの研究紀要的な冊子です。

1960年3月に発行された第1号から1970年3月に発行された第10号までの台報を並べてみました。
札幌市天文台の臨時職員として働いていた私が退職した1973年11月に、正職員の林耕輔さんから退職記念にと頂戴したものです。なぜか第6号が欠落しています。
最終発行は第10号だと記憶していますが、いずれも非売品で関係者に配布されたようです。
第1号の見開きページを接写しました。

「20cm赤道儀完成直後 1958年7月5日午前3時」と印刷されています。
北海道大博覧会の期日は7月5日から8月31日までなので、北海道大博覧会の開催日当日の明け方前に組立て調整が終わったという記録的な写真です。
左端の「林」は、天文台技師として着任した北海道大学農学部出身の林耕輔さん。天文台開設から20年以上も1人で天文台を守ってきました。
その隣りの「下保」は、北海道栗沢町出身で1935年(昭和10年)から東京天文台技手(当時)として活躍していた下保茂さん。日本人が発見した彗星としては2番目となるC/1936 O1 下保・コジク・リス彗星の第1発見者で、1936年(昭和11年)7月の発見です。
望遠鏡架台の右側の「福島」は、1956年(昭和31年)に新たな名称で再発足した札幌天文同好会(注釈)の初代会長の福島久雄さん。北海道大学工学部名誉教授です。
その隣の「同好会」は、札幌天文同好会の2代目会長の後藤栄雄さん。当時は札幌天文同好会の幹事で北海道電波管理局(当時)にお勤めでした。
北海道大博覧会の開催当時は、設置スポンサーである雪印乳業のシンボルマーク看板が屋上に掲げられていました。
北海道大博覧会が終了した直後の1958年9月1日に雪印乳業から札幌市に天文台が寄贈され、札幌市天文台が正式に発足。10月25日から一般公開が始まりました。それから26年後の1984年10月5日に2代目望遠鏡の夜間公開が始まったという訳です。

2022年現在、天文台入り口に掲げられているプレートです。
1958年の新設時と同様、1984年の望遠鏡更新費用も雪印乳業株式会社の寄附でまかなっています。
(2000年に発生した雪印集団食中毒事件の影響で、現在は雪印メグミルク株式会社となっています。寄付へのお礼の意味で、私は雪印メグミルクの牛乳を毎日飲んでいます。)
なお、札幌市天文台が設置された詳しい経緯については、2011年9月に書いたブログ記事 【 札幌市天文台の発足 】に書いてあります。
◆注釈◆
札幌天文同好会の創設は1956年(昭和31年)とされていますが、京都大学の山本一清先生(1889-1959、1918年に助教授、1926年に教授)が主催した天文同好会(後の東亜天文学会)の存在があり、「天文同好会北海道支部」の発会式が1924年(大正13年)10月4日(土)に行われたことが契機となっています。
太平洋戦争などの影響で「天文同好会北海道支部」の活動は低調気味となりましたが、1956年(昭和31年)7月7日(土)に札幌天文同好会として再発足しています。
山本一清先生の導きから始まった我が国アマチュア天文家の先人たちの流れの中に私がいることを感じながら、天文普及活動に邁進したいと思います。
★参考文献★
・札幌天文同好会初代会長の福島久雄さんが1985年ごろ北海道新聞に20回連載したコラム記事「星空と私」
・札幌天文同好会会報「プレアデス」第8号 1967年4月16日発行 札幌天文同好会創設の頃の記事を書かれた福島会長が「昭和31年7月7日の再発足‥‥」と書かれています。