そういえば告知だけして何も触れていませんでしたが、朗読コンサートは無事終了しました。
当日までどうなるものかとソワソワしていましたが、ゴーシュは特に、すごくいいものになったんじゃないかな。
それにしても、語りを聞きながら自分で音楽を奏でていくという作業は、本当に難しいものであります。
でも、いい間合いになったときの「おっ」っていう感じが快感。
物語に溶け込めそうな音楽はたくさんあります。
新しいものが開拓できたらいいな。
今日はいい天気。
洗濯を3回(普通の、ニット、アイルの)し、取り込んだ洗濯物をたたみ、お掃除して、アイルの周辺の毛布やタオルなどを干しまくり。
(溜め込んだ家事を一気にワーッとやるのが好きかも。)
家中の窓を開け放って空気の入れ替え。
日が良く当たるので、あまり寒くなくて気持ちいい。
一仕事した後のお茶のお供。
足利で買ってきた古印最中。
あんこぎっしりで重い。おいしい。
地元のお菓子。
どんぐり山のマドレーヌ。
お店でこれを手に取り眺めていたら品の良い店員のおばさまが、
「どんぐり山と言いましても残念ながら中身は栗なんですけれどね・・・」と申し訳なさそうに呟いてきたのがなんだか印象に残って買ってみると、とても素朴で甘さもちょうどよくておいしかったのです。
おうちでポトフ。
鍋のふたが閉まらないほど山盛りの野菜を入れました・・
staubを使用してからというもの、この鍋で蒸すか煮るかしてそのまま食卓へドーンと出すことが増えてしまい、非常にラクというか手抜きです。
でもこういう、素朴でシンプルな料理が大好き。
出汁をきちんととることは欠かさないよう心がけてます。
話が少しそれますが、料理とか、ライフスタイルとか、はたまた演奏することとか仕事とか、
何においてもですが、自分のものさしをきちんと持っている人が好きです。
ものさしを持っている人は、それが自分に必要か否か判断できるわけですから、無駄がないです。
人の価値観に流されません。
逆に、ない人は、社交辞令を真に受けたり、人の言うことにいちいち振り回されるので外から見ていて何がしたいのかよくわかりません。
上辺に翻弄されているので無駄が多いです。
物事の本質も見失いがちです。
(ここでいう無駄とはいい意味での無駄じゃないですよ。)
そんな話を先日足利の喫茶店でしていたのを思い出しました。
ものさしのはっきりしている人でも、そのものさしが全然違えばあまり仲良くならないかもしれないけれど、でもあの人はああだから、と割り切って付き合えます。
ものさしがなくて翻弄されっぱなしの人って結構いるのです。
別にどんな人がいたっていいんですけど、
そういう人と話をするとだいたいらちが明かないことが多いので、少々疲れます。
あれ、でもそれって自分も振り回されているのか・・・?
少し前に食べログのやらせが問題になったことがありましたけど、
そこまで皆食べログの評価に翻弄されているのだなぁとしみじみ思ったりしました。
歳を重ねるごとに、自分と近いものさしを持った人、あるいはだいぶ違うものさしだけどある特定の分野において好みや感覚が似ている人、非常に興味をそそる人、くらいしか関わろうと思わなくなってきました。
一日一日が本当に短く感じるのです。
自分の人生がいつ終わるかわからないのに、自分のためにならない時間なんて過ごしたくないのです。
なんでこんな長文になったんだか・・
ツラツラと書いてしまいました。
アイルの散歩にでも行ってこよう。
先日買いこんだ本も残り1冊。
一つ前に読んだ本があまりにも心に残ってしまい、なかなか次に取り掛かれない。
結構物語とかに取り付かれてしまうタイプです。
そういえばこの間Gちゃんに薦められた取り付かれちゃう人の物語が気になるな。
探してみよう。