一つの文明が繁栄している時には必ず分業化が進みます。
繁栄している時というのは、価値観も社会システムも文化も定まっています。
身分や収入も安定しています。つまり変化は必要ありません。
変化がない時には、なるべく細かく分業して励みます。
その方が楽だし、効率が良いからです。
分業化するほど一人の人が出来る仕事は狭くなりますから、
他人への依存度は高まり、経済は大きくなります。
仕事だけではなく、
政治も学問も、時には芸術までもが分業化します。
分業化された政治・学問・芸術に
創造性を期待することはできません。
創造性の無い政治・学問・芸術は悲惨です。
取分け、日本の高度経済成長時代には、
経済成長をしやすくするような分業化が進みました。
例えば建築家。
高度経済成長時代には、
家やビルをどんどん建てることが必須でした。
その家やビルには個性や創造性は必要ありません。
必要なのはスピードと見掛けの素敵さだけです。
要請に応じて「分業化された建築家」が大量生産されました。
身に付いているのは
分業化されたテクニカル・スキル(技)のみです。
コンセプチュアル・スキル(何をすれば価値が生まれるか? どのように実現すればよいか?……という術)は苦手です。
変化の時代に価値を発揮することは困難です。
(藤村靖之『月3万円ビジネス』より)
いまの日本はどっちか?