ひからびろ 3.0

密かに輝くラクダとビロード、ロバ。お願いだから、ひからびてほしい。

「スケベ心」について。

2012-01-19 | 常々

『○○入門』という新書がよくある。



ニーチェ入門

精神分析入門

行動心理学入門

日本近代文学入門

イギリス経済学入門

ドラッカー経営学入門

日本憲法入門

合気道入門

・・・



「日本人はやたらと入門書が好き」
みたいな話を、
どっかで聞いたことがあるんだけど、
入門書だけ読んで、
結局、現物には一生当たることがない。



なぜか?



はっきり言って、
この手の新書は「入門」と銘打っておきながら、
初心者をつっぱねるような、
難しい専門的な議論が展開されてるからだ。



つまり、
入門したいと思ってる人に、
自分にはとうてい無理だ
と思わせるだけの効果しか
期待できないわけだ。



けど、
こういう新書の著者は、
なぜ分かりやすく書かないのか?



それは、彼らの心のどこかに、
自分の知識をチラ見せしたいという、
そういう「スケベ心」があるから。

これは友人から教えてもらった話。

スケベ心」とはうまいこと言ったなぁ
と感心した。



ぼくらには「スケベ心」がある。
入門書を書く頭の良い人だけがスケベなのではない、
みんなスケベなのだ、程度の差はあれ。

それは、ツイッターでつぶやいてる時点で、
もう多少はスケベだし、
ブログで自分の考えを載せたりしてると、
もうかなりスケベだろう。

その上でリプライとかコメントを待ったりして、
まんじりとしないままに一時間過ごしたりしてたら、
これはもう間違いなくスケベだ。

みんな、スケベなわけだから、
むしろその事実をいったん引き受けたらどうなんだと思う。



もっとも、新書を書く学者さんたちも、
自分がスケベであるという自覚なく書いちゃうから、
わけの分からない難しい本になってしまう。

せっかく自分が頭いいことを示そうとスケベ心を働かせてるのに、
結果的に「頭いい」ってことはぜんぜん伝わらないというのは、
これは悲劇じゃないか。

まあ、「頭いい」を
人に理解できない難しい文章を書くこと
と思ってるのなら、
本人にとってだけの悲劇で済むけど。
(いや、それがいちばん最悪の悲劇か?)

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