ひげめがね日記

基本的に自虐的な日記です。自虐ネタが好きな方はお喜びいただけると思います。

第1打ダブ東切りは有りか無しか?福地誠氏の「麻雀論考」を読んで

2019-05-29 21:46:35 | 麻雀
 久しぶりに麻雀のことをブログに書くなあ。と思いつつ(←そもそもブログ自体を書いてないじゃん!)。

個人の視点と神の視点――福地誠の「麻雀論考」

 有料(100円)なので、あまりネタバレしないように書くが、おもしろかったのは、「第1打ダブ東切りがなぜこんなに熱い議論になるのか?」という観点。私はどちらかと言うと麻雀は門外漢なので、こういう議論が起こるのはとても楽しく感じる。
 だって、仮に将棋のプロ棋士が大悪手を指しても、もろに結果として反映されるので、そもそも手の善悪とかが「議論」になることはない。ひげめがねなんかは、むしろ最終盤で悪手指しあう泥仕合の方が好きだけどなあ。だって人間だもの。

 でも、麻雀は議論になる。それって素敵なことよね。と将棋好きのひげめがねは思う。
 だって、それって「答えがない」ということでしょ!
 そして、「答えがないのに、『自分の答えが正しい』と思っている人がとてもたくさんいる」ということだもの!

 将棋指す人に「俺は将棋が強い」と偉ぶる人はいない。対局すれば自分と比べて相手が強いか弱いか、すぐわかるから。
 でも、、麻雀打つ人に「俺はすげえ」と言う人がたくさん(←は言い過ぎか?)いるのは、いまだに麻雀に「答えがない(と思っている人がいる)から」なんだと思う。

 ひげめがねは将棋しか興味がなかったので、30代半ばで麻雀を知ったとき、「なんて自由なゲームなんだ」と感動した。牌姿を見てどんな手役を想像するかは、打ち手に委ねられているのだから。しかも勝ち、負け以外に、「おりる」という選択肢があること、2着や3着があることにも衝撃を受けた。
 でも、自由があるからと言って、運のゲームでないことも知った。みんなの勝率やラス率が平等に.250になることはなく、最高位を10期とったり(飯田正人プロ)、どんなタイトルでも決勝に絡んでくる人がいたり(例えば多井プロ)するのは決して4分の1の運のゲームでは断じてない。「絶対的な正解の打牌」は少ないにせよ、勝つためのテクニックや考え方、哲学みたいなものは必ずあるはずというのがひげめがねの認識である。

 では、「麻雀には正解がある」と仮定して、将棋の考え方を麻雀に当てはめるとどうなるか?

 将棋界は、序盤は自由で、だんだんと選択肢が狭くなり、最終盤は「答えは1とおり」になる、というのが基本かと。もちろん、羽生世代の影響(30年前)とコンピュータ将棋の影響(ここ10年)で序中盤の自由さはかなり失われつつあるけれども。
 麻雀も同じじゃないのかな?どんな手役を狙うかは、将棋でいえば「角換わりにしようか、横歩取りにしようか、振り飛車にしようか」ということ。戦法選択に優劣はない。
 もしダブ東切りが、将棋の「角頭歩」や「鬼殺し」のように、プロ同士が戦えば明らかに勝率が低い、という打ち方であれば、それは間違いと言える。でも、今の若いうち手はほとんどダブ東を第1打から切ってそれで有意な勝率差がないんでしょ。だったらそこに正解も不正解もないのでは?というのが、ひげめがねの理性的な意見。
 でも、「ダブ東」が相手に利する場合もあるのが麻雀の奥深さだし、自由さなんだと思う。
 こういう議論が起こるのは、結局いろいろな意味で麻雀が自由なゲームだからなんですよ!素晴らしい!麻雀万歳!

ちなみに3年前にこんなブログを書いていました。
将棋クラスタひげめがねが考える「福地誠氏vsIQ180真剣様」


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