(2)の問題を作ろうと思ったけど、江戸の名人の歴史とか完全に忘れてる(涙)。
取り急ぎこちらを見て勉強しましょう。
というわけで前回の解答のみ。
(タイトル数)
升田幸三実力制第四代名人とタイトル獲得数が同じ棋士は?(平成27年8月現在)
南芳一
1つのタイトルの保持期数として最も長いものは次のうちどれか?
羽生善治の王座
下表より参照してください。5期以上タイトル獲得した棋士一覧。
ちなみに内藤九段は4期獲得。南先生はやっぱり強かったんだよね。
なお、将棋連盟の模擬問題に「10期以上タイトルを獲得した棋士数は?」との問いがあったが、やはり時代で追ったほうがわかりやすい。
大山ー中原、米長ー谷川ー羽生、佐藤、森内ー渡辺
こうやって見ると、稀代の棋士(大山ー中原ー羽生)は25年ごとに出ている。となると今20歳の棋士だが…。
ひげめがねは詰将棋選手権優勝の藤井君まで待たねばならないと思っているのだが、果たして??
(九段戦)
十段戦の前身の棋戦名はどれか?
全日本選手権戦。そんな名前だったのか。
昭和27年、大山康晴が新名人となったが、九段戦決勝戦ですでに塚田正夫が大山を破っていたため、ほかの棋士が出場し、名人九段戦三番勝負を行った。その時の名人九段戦の対戦カードを選べ。
木村義雄対塚田正夫。大山名人誕生とともに木村名人は引退したのかと思っていたら、その後も少し指していたことを初めて知りました。
(王将戦)
現在の王将戦挑戦者決定リーグの人数は?(記述)
7名。
王将位を追贈された棋士は?(記述)
阪田(坂田)三吉。これは村田英雄で覚えやすい。
第5期王将戦で、升田幸三は大山康晴名人・王将を指し込んだが、その期の最終結果は升田の何勝何敗か?
5勝0敗
全勝だったんだ!!本当はその後も指す予定だったが、升田体調不良のため5局目までとなった。
ゴミハエ問答が行われたのは、ある対局の後のことだが、その対局場所はどこか?
金沢
1949年に行われた第2回全日本選手権戦は12名(塚田名人・A級全員・B級1名)が参加。トーナメントによる各ブロックの優勝者である萩原淳八段・木村義雄前名人・升田幸三八段の3名による決勝リーグが開催された。ところが、全員が1勝1敗で並んでしまったため、2回目の決勝リーグが行われ、結果、萩原が2勝0敗で優勝した(木村が1勝1敗の2位、升田が0勝2敗の3位)。ちなみに、このときの第1次決戦の木村-升田戦が、翌朝4時過ぎまでかかった210手の対局の後に「ゴミハエ問答」が行われたことで知られる金沢決戦である。(Wikipediaより引用)
そんな激闘を演じたのに、優勝したのが萩原八段だったとは(苦笑)。そういうおもしろ話ってあまり伝わってこないものなのですね。
(順位戦)
次のうち誤りはどれか?
A級・B級1組での師弟戦はリーグの2戦目までに行う。
対局規定をご参照ください。
降級点がつくのは成績下位何パーセントか?
20%
平成26年3月 名人戦第0局としてA級最終戦が行われた場所は?
浮月楼
取り急ぎこちらを見て勉強しましょう。
というわけで前回の解答のみ。
(タイトル数)
升田幸三実力制第四代名人とタイトル獲得数が同じ棋士は?(平成27年8月現在)
南芳一
1つのタイトルの保持期数として最も長いものは次のうちどれか?
羽生善治の王座
下表より参照してください。5期以上タイトル獲得した棋士一覧。
ちなみに内藤九段は4期獲得。南先生はやっぱり強かったんだよね。
なお、将棋連盟の模擬問題に「10期以上タイトルを獲得した棋士数は?」との問いがあったが、やはり時代で追ったほうがわかりやすい。
大山ー中原、米長ー谷川ー羽生、佐藤、森内ー渡辺
こうやって見ると、稀代の棋士(大山ー中原ー羽生)は25年ごとに出ている。となると今20歳の棋士だが…。
ひげめがねは詰将棋選手権優勝の藤井君まで待たねばならないと思っているのだが、果たして??
(九段戦)
十段戦の前身の棋戦名はどれか?
全日本選手権戦。そんな名前だったのか。
昭和27年、大山康晴が新名人となったが、九段戦決勝戦ですでに塚田正夫が大山を破っていたため、ほかの棋士が出場し、名人九段戦三番勝負を行った。その時の名人九段戦の対戦カードを選べ。
木村義雄対塚田正夫。大山名人誕生とともに木村名人は引退したのかと思っていたら、その後も少し指していたことを初めて知りました。
(王将戦)
現在の王将戦挑戦者決定リーグの人数は?(記述)
7名。
王将位を追贈された棋士は?(記述)
阪田(坂田)三吉。これは村田英雄で覚えやすい。
第5期王将戦で、升田幸三は大山康晴名人・王将を指し込んだが、その期の最終結果は升田の何勝何敗か?
5勝0敗
全勝だったんだ!!本当はその後も指す予定だったが、升田体調不良のため5局目までとなった。
ゴミハエ問答が行われたのは、ある対局の後のことだが、その対局場所はどこか?
金沢
1949年に行われた第2回全日本選手権戦は12名(塚田名人・A級全員・B級1名)が参加。トーナメントによる各ブロックの優勝者である萩原淳八段・木村義雄前名人・升田幸三八段の3名による決勝リーグが開催された。ところが、全員が1勝1敗で並んでしまったため、2回目の決勝リーグが行われ、結果、萩原が2勝0敗で優勝した(木村が1勝1敗の2位、升田が0勝2敗の3位)。ちなみに、このときの第1次決戦の木村-升田戦が、翌朝4時過ぎまでかかった210手の対局の後に「ゴミハエ問答」が行われたことで知られる金沢決戦である。(Wikipediaより引用)
そんな激闘を演じたのに、優勝したのが萩原八段だったとは(苦笑)。そういうおもしろ話ってあまり伝わってこないものなのですね。
(順位戦)
次のうち誤りはどれか?
A級・B級1組での師弟戦はリーグの2戦目までに行う。
対局規定をご参照ください。
降級点がつくのは成績下位何パーセントか?
20%
平成26年3月 名人戦第0局としてA級最終戦が行われた場所は?
浮月楼