ひげめがね日記

基本的に自虐的な日記です。自虐ネタが好きな方はお喜びいただけると思います。

生きている意味と眠れる能力の開拓について考える

2013-04-06 22:34:43 | 日記
 今日の電王戦第3局は、最後の数十分しか生で見られなかった(棋譜は携帯で追ってはいたものの)が、ひげめがね史上最高の将棋であった。なぜなら、人間の感情の揺れというものが如実に表れていたから。
 将棋なんて所詮ゲームなのに、そこに200人弱のプロがいる意味は「自己表現」であり、芸術だからなのだ。棋譜によってその人の考え方や人間性みたいなものが表れる。もちろん、北浜七段や木村八段みたいに人間性と将棋の表現方法が180度違う人もいるが(笑)、プロそれぞれが将棋の人間性を持っており、私たちはそれに感心したり感動したりするのである。
 その意味で今日の対局は、人生みたいに山あり谷あり、その瞬間瞬間の感情が見事に棋譜に表れており、本当に感動した。人間が生きている意味は、この棋譜のように自分の何かを残すためなのではないか、などと高邁なことを考えたりもした。船江五段が勝っていればさらに文句なしであったが…。

 それにしても▽5五香。見た瞬間「だからコンピュータはダメだ」とまで思ったことは内緒(笑)。

 こんな発想をするのは人間ではいないだろう。そしてこれが好手であるとは!
 こういう手を少しずつ知っていけば、将棋というゲームはさらに面白くなる。船江五段が、「ツツカナと3か月指して将棋が強くなった」的な発言をしていたが、むべなるかな。
 コンピュータの感覚が人間を成長させるのだ。そんなこと一度も考えたことなかったけど。ひげもコンピュータを人類の敵として嫌悪するのではなく、眠れる能力発揮のために共存共栄して使用したいものだ。なお、ひげめがねに眠れる才能があるのか?とかいう突っ込みは受け付けないことにする。