ひげめがね日記

基本的に自虐的な日記です。自虐ネタが好きな方はお喜びいただけると思います。

河東線廃線めぐりで雨宮の渡しを知るの巻

2012-03-30 21:40:16 | 日記
 こんな年度末の土壇場に、権利の休暇を取得。この忙しいときに。追い込まれると逃げるタイプなのれす。。。
 河東線(現在は、正確には「長野電鉄屋代線」なのですが、僕たちの世代はやはり河東線のほうがなじみがあります)の廃線を友人のFACEBOOK書き込みで思い出し、なくなる前に乗りに行くことにしました。
 正直なところ、ひげは河東線にほとんど乗ったことはありません。おそらく小学生の時の遠足で2回ほど乗ったことがある程度かと。しかし、ひげが高校生時代、校舎の窓から1両しかないゆっくり走る列車(1両でも列車というのかしらん(笑))をぼんやりと眺めているのが好きでした。あー、授業サボってあの列車でどっかに行きてえなあ、ってしょっちゅう思ってました(よく大学受かったものよのお…)。というわけで、最後の恩返し(?)河東線から高校を見上げようという魂胆です。


 わが母校のすぐ近くの東屋代駅に到着。時刻表も見ずに思いつきで来たもので、そこで1時間待ちなことを知りました(←アホ)。
 仕方ないので1つ離れた雨宮駅まで歩いていくことに。日本一運賃の高い私鉄として長野電鉄は有名ですが、さすが隣の駅だと160円ですみますので安心です(←ケチ)。


 道の途中にわが母校。「ありがとう 屋代線」とは!なんと粋なことを!卒業生のひげめがねとは違って、品行方正素晴らしい学校です(笑)。


 かどやは普通の住宅になっておりました。知る人ぞ知るネタですみません。


 全く本題とは関係ないネタですが、途中のコンビニで飲み物を買ったところ、駐車場に3ドアの初代RAV4が!20年近く前のクルマだが、いまだにそのデザインは色あせません。日本のクルマデザインでは五指に入る秀逸なデザインとひげは思いますが、さすがにあれだけ売れたクルマも最近は見なくなってきましたね。

 雨宮まで歩いている途中でひなたぼっこしていた見知らぬおばあさんに「どこ行くの?」と訊かれました。1分くらいお話ししましたがいまだにそんなこともあるんですねー。ちなみに今日の千曲市は20度超え。おとといまで氷点下6度の中をチャリ通勤していたひげめがねにはこたえる暑さです。


 こんなのも道の途中にありました。意外と気づかないものですね。

 ゆーっくり20分ほどかけて雨宮駅へ。

 ちょっとここから苦言です。読みたくない方はこの段落読み飛ばしてください。
 私は25年前まで、スイミングスクールのバスがこの近くを通っていたためすぐ雨宮駅を見つけられたが、遠方から来た人は見つけられないよ!長野電鉄の駅は場所が須らくわかりにくすぎる!幹線に案内板もない。乗ってもらおうという思いがないとしか思えない。「使う人が使うものだから、利用人員が少ないのは仕方ない」と考えているのではないか?ビジネスモデルが50年前の高度成長期。今のままでは長野~須坂間ですら永続できないかもよ。というのは私も長野電鉄8年使用した人間なので、サービスも時刻設定も、利用者が使いやすいようになんてちっとも考えていないことを知っているから。でも、これは医療機関も一緒かも。住民のためにあるのだから、赤字でも「ある」だけでよい、という考え方、文化は変えていかねばならない。それがひげめがねの仕事なのです。だから長野電鉄に対しても厳しくなるのかも。

 さて、雨宮駅でもまだ30分近く電車が来るまで時間があったため、近くにある「雨宮の渡し」へ。
 昔から看板があるのは知っていましたが、「どうせつまんないだろ」と思って、立ち寄ったこともありませんでした(と思う。ひょっとすると遠足で立ち寄っていたかも)。





 ただの公園のようですが…、どこが渡し??



 だいたい以下のようなことが書いてあります。
「川中島合戦と雨宮渡…史上名高い川中島の戦いは5回あった。その最大の激戦が1561年9月9日夜半、謙信は信玄の策略を事前に察知し、人馬ともに声なく鞭声粛々とこの雨宮渡を渡り川中島平に兵を展開し、主力同士の戦いが領有一騎打ちで知られる第4回の八幡原の戦いである。今は千曲川の流れも北に移り、昔時をしのぶよすがもない。そのため碑を建立する。」
 いやあ、そんなところとは知りませんでした。こんな小さな場所ですが、観光客も2組来ていました。歴女におすすめ?
 ひげは歴史に全く興味がありませんが、それでも有名な逸話なので感慨に浸りました。

 そして雨宮駅に戻りいよいよ乗車。


 線路に入らないでください!!


 危険です!運転手に注意されていました(笑)



 乗車したら満員電車で、電車から高校見るなんてとてもできない状態でした(泣)。


 何はともあれ、河東線、お疲れ様でした(←最後まで「河東線」かよ…)。