賢(かしこ)に教わるぐらいアホでもできるわ。アホから教わるのがほんまの賢や。
— 一刀斎_森毅教授の名言_bot (@moritsuyoshibot) 2018年2月14日 - 02:37
872 名称と形態とに依って、感官による接触が起る。諸々の所有欲は、欲求を縁として起る。欲求がないときには<わがもの>という我執も存在しない。形態が消滅したときには<感官による接触>ははたらかない(スッタニパータ)
— 仏陀 ブッダ ことば 仏教 (@Buddha_Words) 2018年2月14日 - 08:01
「言語であろうが、科学的発見であろうが、音楽のスタイルであろうが経済組織であろうが、人々の自発的交換によって生み出されたこれらの各種の組織的な構造は、自らの生命を持つようになり、自らの内部に内在する諸力によって発展していく」(フリードマン)
— 自由の至言bot (@hankyou0406) 2018年2月14日 - 10:15
ポリビウス、今われわれは、かつては栄華を誇った帝国の滅亡という、偉大なる瞬間に立ち会っている。だが、この今、私の胸を占めているのは勝者の喜びではない。いつかは我がローマも、これと同じときを迎えるであろうという哀愁なのだ。 スキピオ・エミリアヌス
— 古代ローマ名言集 (@RomensWord) 2018年2月14日 - 08:03
「戦争は空間を通じて繰り広げられ、時間を費やし、閃光にように突然立ち現れるのではなく、国家間関係の流れの中に挿入される。勝利とか敗北とかいっても、それが決定的、絶対的な性質を帯びることは滅多に無い」 レイモン・アロン
— リアリズムと防衛のBOT (@ria_bou_bot) 2018年2月14日 - 10:03
良い定義とは何であるか。哲学者もしくは科学者にとっては、それは定義されるすべての対象に、そしてかかる対象のみに適用されるごとき定義、論理の法則を満足するごとき定義である。 -ポアンカレ
— 瀬下 幽玄 (@undershallow) 2018年2月14日 - 21:02
あるものはその所謂「解析によって」またあるものは「幾何によって」その問題を処理することを好む・・・されば、精神の様々であることには、我々は忍従しなければならない。というよりもむしろ、これを喜ばねばならないのである。 -ポアンカレ
— 瀬下 幽玄 (@undershallow) 2018年2月14日 - 21:03
我々は点、直線、平面と呼ぶ三つのものを考えよう。-ヒルベルト
— 瀬下 幽玄 (@undershallow) 2018年2月14日 - 21:03
まず定義に厳密性を入れなければ推理において厳密性が確立されることはできない。 ・・・数学は厳密性において得るところがあったが客観性において失うところがあった。その完全な純粋性を勝ち得たのは現実から遠ざかることによってであった。 -ポアンカレ
— 瀬下 幽玄 (@undershallow) 2018年2月14日 - 21:04
論理はしばしば怪物を生み出す。・・・かつては新しい関数が作られるとすれば、それは何か実用上の目的を達するためであった。今日では、人はただ先人の推理の誤りを探し出すために殊更に作り出す・・・ -ポアンカレ
— 瀬下 幽玄 (@undershallow) 2018年2月14日 - 21:05
資本論は嘗て推薦できない書物であった。今ではたとえこれを推薦するも、何等の懸念もない。何故なら、読者は先の方まで読み通すことはできないであろうから。縦しんば、最後まで読了したとしても資本主義を打倒できないだろうから。
— 瀬下 幽玄 (@undershallow) 2018年2月14日 - 21:12