たかが親子されど親子、そして兄弟そして夫婦そして自分

いづみかほるの様々な想い(世のファミリーをテーマにエッセイ風に綴っています)

『父を想う日』

2024-08-30 08:41:43 | エッセイ風

『父を想う日』
今日は58回目の父の命日
父の結婚前の日記を、数十年前に今は亡き母から私の手に渡りました。
その日記には生きるヒントが沢山含まれています。
息子より若い頃の父の日記なのに。
それを日々読みながら懸命に人生を歩き続ける娘でございます。
父がこの世を去ったのは58年も前のことなのに、あの日のことが鮮明に思い出されます。
今年42歳の息子の年とほぼ同じ。
8歳の私と12歳の兄を残してさぞかし無念だったことでしょう。



温もりのある父とは8歳でお別れでしたが、父を感じる思いは58年間変わらないのです。ほんとうにいつも心の中にいる感覚はあるし支えなのです。66歳になる娘が、8歳だった頃と同じ寄り添い方で父に時折救いを求めます。すると必ず返事をくれて心が楽になるのが本当に不思議です。
やはり人の命に終りはあっても、こうして父は私の中で存在し続けている。そう思えるのです。

 


『母を想う』

2024-08-17 10:40:38 | エッセイ風
『母を想う』
今日は母の逝った日。
三十代で夫に先立たれ、貧弱な娘と手のかかる息子を懸命に育て、孫についても仕事を抱えながらも可能な限り協力してくれた。人に尽くすのは積極的だったが尽くされるのが苦手で、晩年の口癖は「迷惑をかけないでコロッと逝きたい」だったが、そのとおり自宅で静かに旅立った。前日、あまりの暑さに心配した私が電話口で聞いた「生きてるよ」という声が、自分の聞いた最後の言葉だった。
幼児期には川でおぼれ葬式準備中に息を吹き返し、思春期には激しい爆撃の中たまたま入れなかった防空壕が命中全滅し偶然にも命拾いした母。もしも母の命がそこで途絶えていたならば、自分の誕生もなく夫との出会いも息子の誕生もその嫁との出会いも、孫の誕生もなかった。命はつながっている。
逝った年は悲しむ余裕もなく日々を送っていたが、一年経ち二年経ちを繰り返し母のいない空しさを感じる今日この頃。
仏壇に向かい、懸命に生きよう懸命に生きよう、そう心に誓う。
 

『結婚45周年』

2024-08-16 10:43:13 | エッセイ風
『結婚45周年』
本日結婚45周年、サファイア婚とか(笑)。
サファイアの宝石言葉が「誠実で一途な愛」という意味があるからでしょうか。
ふり返ってみれば本当に色々あった45年。
「誠実で一途な愛」がお互いあったかどうか(苦笑)はわかりませんが、只、懸命に共に生きてきたことは確か。
そんなことを思っていたら不覚にも涙が(笑)。