この時期大きな祭りが開催されると聞いており、せっかくなので足を延ばしてみることにした。
行き先は Pamplona (パンプローナ)、祭りの名前はサン・フェルミン祭(牛追い祭り)だ。
Sevilla (セビリア)の春祭り、Valencia (バレンシア)の火祭りと並び、スペイン三大祭りの一つとされている。
Barcelona (バルセロナ)からパンプローナまで夜行バスで所要5時間半。着いたのは朝5時だった。
パンプローナにはもともとバスク人の祖先ヴァスコン人が住んでいたが、歴史の記録に登場するのは紀元前75年。
共和制ローマの将軍(グナエウス・)ポンペイウス(紀元前106年~紀元前48年)がヒスパニア(スペイン)で反乱を起こしたクィントゥス・セルトリウス(紀元前126年(?)~紀元前73年)との争いの中で駐屯地とした。
パンプローナが最盛期を迎えるのは、この地を首都としたナバ(ー)ラ王国の時代だ(824年 ~1620年)。今でも当時の栄華を偲(しの)ばせる歴史的建築物が残っている。
また、この地はサンチャゴ(サンティアゴ・デ・コンポステーラ)巡礼のルート上にある(いつか巡礼してみたい)。
牛追い祭りの起源ははっきりと分かっていないが、エンシエロ(牛追い)(闘牛の前に牛を闘牛場に追い込む行事)はスペイン各地(約70ヶ所)で行われている。
パンプローナの牛追い祭りが世界的に有名になったのは、『日はまた昇る』(アーネスト・ヘミングウェイ著)で紹介されてからだそうだ。
パンプローナに到着した後、街を散策したり、カフェで時間を潰していた。
カフェでは過去の祭りの映像を流していたのでしばし見入ってしまった。
祭りの参加者が獰猛(どうもう)な牛の角で突き上げられて身体を地面に叩きつけられていた。店員の話では、過去に死者が出たことも何度かあるそうだ。
街に続々と人が集まってきていた。
服装は白の上下(Tシャツとパンツ)でそこに赤のアクセントをつけるネッカチーフと腰の飾り帯。これが祭りの正式な服装らしい。とりあえずネッカチーフを購入した。
この服装は、パンプローナの守護聖人サン・フェルミン(?~ 614年)が首を斬られた時に流された血にちなんだものらしい。
街を散策していると、この旅で出会った旅人達と続々と再会を果たした(やはりこの祭りは注目度が高い)。
自然と10人位の日本人の集団が出来あがった。そのうちの一人の男性がツアーガイドの方(和田さん(仮名))で、いろいろと祭りの説明をしてくれた。今までに何度かツアーガイドとしてこの祭りに参加しているそうだ。
和田さんにとって今回はプライベートでの参加らしい。長年の夢だったそうだ。
牛追い祭りと言うとどうしても牛追いそのもの(7月7日~14日)に目が向きがちだが、和田さんの話では7月6日の開会式の方がもっと楽しいらしい。
「何があるのかは見てのお楽しみ」(和田さん談)
正午近くになったので開会式の始まる市庁舎前に向かったのだが、この時ようやく和田さんの言っている意味が分かった気がした。市庁舎前の広場に向かう人々の手に???な物が握られていたからだ。
最初はワインやシャンパンだけだと思ったが、買い物袋の中にいろいろ小道具を仕込んでいる人もいた。中を見せてもらうと、そこに入っていたものは生卵、マヨネーズ、ケチャップ、マスタード・・・。これから何が起こるのか想像がついた。
結局、和田さんやビデオカメラを持っている人達が市庁舎前のメインの位置に陣取ることにして、自分含め臆した人達は少し離れたところから事の成り行きを見守ることにした。
とにかくすごい人の数で、会場に入りきれない人達が道に溢れており、自分達の後ろにも長い列が続いていた。
ようやく正午になり、いよいよ市長が祭りの宣言をする時が近づいてきた。
集まった人々が赤いネッカチーフを両手で顔の前に掲げる。
「サン・フェルミン!サン・フェルミン!」
熱気が渦巻くとはこのことを言うのだろう。
「7月6日、日曜の午後に祭は爆発した。他に表現のしようがない」(『日はまた昇る』(アーネスト・ヘミングウェイ著、高見浩訳、新潮文庫))
市長がスピーチの最後に祭りの開会を宣言した。
花火が上がり、一斉に物が飛ぶ(会場から離れていてもいろいろな飛んできた)。
半狂乱とも言える非日常の世界。
これが祭りなのだ。
どれくらいの時間が過ぎただろうか。
待ち合わせ場所に戻ってしばらくすると、勇者達が帰ってきた。
彼らの誰もが目も当てられない姿になっていた(中には着替えを持ってきていない人もいて、そのままの姿で夜を明かした人もいた)。
どうやら東洋人は目立つらしく標的になってしまったようだが、いい映像が撮れたそうだ。
次のイベントは翌7日の早朝から始まるので時間がかなりある。
どこに陣取りするか、牛追いのルートを下見することにした。
旧市街の狭い道を歩いていると、様々なミニイベントや即興演奏のようなものが行われていた。
(写真は、路上で一人踊るおじいちゃん。祭りで高揚した感情の昂(たかぶ)りを踊って解放していた。)
夜になったが、この時期のホテルはどこも満室な為、予約なしでは泊まれない。
人々はそこかしこで飲んで騒いでいる。酔っ払い同士のケンカもある為、警官が巡回しているが、あまり効果があるようには見えない。
和田さんの話でスリもいるということなので日本人同士で集まって夜を明かすことにした(交替で睡眠を取った)。
この街は祭りの期間中夜も眠らない街になるという。
パンプローナの人達は、この祭りを楽しみに一年を生きているのだろう。
※地図はこちら
行き先は Pamplona (パンプローナ)、祭りの名前はサン・フェルミン祭(牛追い祭り)だ。
Sevilla (セビリア)の春祭り、Valencia (バレンシア)の火祭りと並び、スペイン三大祭りの一つとされている。
Barcelona (バルセロナ)からパンプローナまで夜行バスで所要5時間半。着いたのは朝5時だった。
パンプローナにはもともとバスク人の祖先ヴァスコン人が住んでいたが、歴史の記録に登場するのは紀元前75年。
共和制ローマの将軍(グナエウス・)ポンペイウス(紀元前106年~紀元前48年)がヒスパニア(スペイン)で反乱を起こしたクィントゥス・セルトリウス(紀元前126年(?)~紀元前73年)との争いの中で駐屯地とした。
パンプローナが最盛期を迎えるのは、この地を首都としたナバ(ー)ラ王国の時代だ(824年 ~1620年)。今でも当時の栄華を偲(しの)ばせる歴史的建築物が残っている。
また、この地はサンチャゴ(サンティアゴ・デ・コンポステーラ)巡礼のルート上にある(いつか巡礼してみたい)。
牛追い祭りの起源ははっきりと分かっていないが、エンシエロ(牛追い)(闘牛の前に牛を闘牛場に追い込む行事)はスペイン各地(約70ヶ所)で行われている。
パンプローナの牛追い祭りが世界的に有名になったのは、『日はまた昇る』(アーネスト・ヘミングウェイ著)で紹介されてからだそうだ。
パンプローナに到着した後、街を散策したり、カフェで時間を潰していた。
カフェでは過去の祭りの映像を流していたのでしばし見入ってしまった。
祭りの参加者が獰猛(どうもう)な牛の角で突き上げられて身体を地面に叩きつけられていた。店員の話では、過去に死者が出たことも何度かあるそうだ。
街に続々と人が集まってきていた。
服装は白の上下(Tシャツとパンツ)でそこに赤のアクセントをつけるネッカチーフと腰の飾り帯。これが祭りの正式な服装らしい。とりあえずネッカチーフを購入した。
この服装は、パンプローナの守護聖人サン・フェルミン(?~ 614年)が首を斬られた時に流された血にちなんだものらしい。
街を散策していると、この旅で出会った旅人達と続々と再会を果たした(やはりこの祭りは注目度が高い)。
自然と10人位の日本人の集団が出来あがった。そのうちの一人の男性がツアーガイドの方(和田さん(仮名))で、いろいろと祭りの説明をしてくれた。今までに何度かツアーガイドとしてこの祭りに参加しているそうだ。
和田さんにとって今回はプライベートでの参加らしい。長年の夢だったそうだ。
牛追い祭りと言うとどうしても牛追いそのもの(7月7日~14日)に目が向きがちだが、和田さんの話では7月6日の開会式の方がもっと楽しいらしい。
「何があるのかは見てのお楽しみ」(和田さん談)
正午近くになったので開会式の始まる市庁舎前に向かったのだが、この時ようやく和田さんの言っている意味が分かった気がした。市庁舎前の広場に向かう人々の手に???な物が握られていたからだ。
最初はワインやシャンパンだけだと思ったが、買い物袋の中にいろいろ小道具を仕込んでいる人もいた。中を見せてもらうと、そこに入っていたものは生卵、マヨネーズ、ケチャップ、マスタード・・・。これから何が起こるのか想像がついた。
結局、和田さんやビデオカメラを持っている人達が市庁舎前のメインの位置に陣取ることにして、自分含め臆した人達は少し離れたところから事の成り行きを見守ることにした。
とにかくすごい人の数で、会場に入りきれない人達が道に溢れており、自分達の後ろにも長い列が続いていた。
ようやく正午になり、いよいよ市長が祭りの宣言をする時が近づいてきた。
集まった人々が赤いネッカチーフを両手で顔の前に掲げる。
「サン・フェルミン!サン・フェルミン!」
熱気が渦巻くとはこのことを言うのだろう。
「7月6日、日曜の午後に祭は爆発した。他に表現のしようがない」(『日はまた昇る』(アーネスト・ヘミングウェイ著、高見浩訳、新潮文庫))
市長がスピーチの最後に祭りの開会を宣言した。
花火が上がり、一斉に物が飛ぶ(会場から離れていてもいろいろな飛んできた)。
半狂乱とも言える非日常の世界。
これが祭りなのだ。
どれくらいの時間が過ぎただろうか。
待ち合わせ場所に戻ってしばらくすると、勇者達が帰ってきた。
彼らの誰もが目も当てられない姿になっていた(中には着替えを持ってきていない人もいて、そのままの姿で夜を明かした人もいた)。
どうやら東洋人は目立つらしく標的になってしまったようだが、いい映像が撮れたそうだ。
次のイベントは翌7日の早朝から始まるので時間がかなりある。
どこに陣取りするか、牛追いのルートを下見することにした。
旧市街の狭い道を歩いていると、様々なミニイベントや即興演奏のようなものが行われていた。
(写真は、路上で一人踊るおじいちゃん。祭りで高揚した感情の昂(たかぶ)りを踊って解放していた。)
夜になったが、この時期のホテルはどこも満室な為、予約なしでは泊まれない。
人々はそこかしこで飲んで騒いでいる。酔っ払い同士のケンカもある為、警官が巡回しているが、あまり効果があるようには見えない。
和田さんの話でスリもいるということなので日本人同士で集まって夜を明かすことにした(交替で睡眠を取った)。
この街は祭りの期間中夜も眠らない街になるという。
パンプローナの人達は、この祭りを楽しみに一年を生きているのだろう。
※地図はこちら