日本大使館で新聞を読み終えてから、街を散策した。
まず向かったのは、Vrbanja Bridge (ブルバニャ橋)。
ここは、ボスニア紛争最初の犠牲者 Suada Dilberovic (スアダ・ディルベロヴィッチ)さんが撃たれた場所だ(1992年4月5日)。
当時医大生だった彼女は、「これがサラエヴォなの」とつぶやきこの世を去ったという。
ご冥福を祈りたい。
この後見たものを順次羅列する。
・旧共和国議会ビル セルビア人勢力によるサラエヴォ包囲(1992年4月5日~1996年2月29日)( Wikipedia の記事はこちら)の際、砲撃で焼けてしまったビル。
・Holiday Inn (ホリデーイン) 紛争中は各国のジャーナリストの溜まり場と化してたらしい。スナイパー(狙撃兵)通りに面している。
・スナイパー通り 紛争時には、この通りで動くものは全て高層ビルに潜んだセルビア人狙撃兵の標的となった。まるでゲームのように大勢の方が撃たれて亡くなったらしい。この近辺(グルバヴィッツァ地区)には破壊された廃墟のような建物で人々が暮らしているという話を聞いていたが、行かなかった。見られた方は気分がいいものではないと思ったからだ。
・新聞社オスロボジェニェ(【解放】の意) 記者達は地下の核シェルターに泊まり込み、サラエヴォ包囲の間も新聞を休刊することはなかった。隣には完成間近で破壊された老人ホームがあった。
・サラエヴォ五輪スタジアム(コシェヴォ・スタジアム) 1997年9月23日、ここでU2のコンサートが開かれた。民族の垣根を越えて、遠方から人々が駆け付けたという。この時、喉を痛めて声が出なかった BONO (ボノ)の代わりに、観客達がずっと歌い続けていた。翌朝の新聞の社説には「今日という日がサラエヴォ包囲が終わった日だ」と書かれたらしい。現在、五輪スタジアムの補助グラウンドは巨大な墓地と化している。紛争時に亡くなった人々を埋葬する場所が無かった為、ここが墓地となった。
アイルランドのミュージシャン達は、自身の姿とダブるのだろうか、強い反戦メッセージを表現している。
他に例を挙げると、アイルランドのロックバンド The Cranberries (クランベリーズ)。
“ Bosnia ”という曲を歌っている。
ヴォーカルの Dolores O'Riordan (ドロレス・オリオーダン)が“ Sarajevo (サラエヴォ)”“ Sarajevo ”と連呼している。
※クランベリーズ“ Bosnia ”のおまけ記事はこちら
※地図はこちら
まず向かったのは、Vrbanja Bridge (ブルバニャ橋)。
ここは、ボスニア紛争最初の犠牲者 Suada Dilberovic (スアダ・ディルベロヴィッチ)さんが撃たれた場所だ(1992年4月5日)。
当時医大生だった彼女は、「これがサラエヴォなの」とつぶやきこの世を去ったという。
ご冥福を祈りたい。
この後見たものを順次羅列する。
・旧共和国議会ビル セルビア人勢力によるサラエヴォ包囲(1992年4月5日~1996年2月29日)( Wikipedia の記事はこちら)の際、砲撃で焼けてしまったビル。
・Holiday Inn (ホリデーイン) 紛争中は各国のジャーナリストの溜まり場と化してたらしい。スナイパー(狙撃兵)通りに面している。
・スナイパー通り 紛争時には、この通りで動くものは全て高層ビルに潜んだセルビア人狙撃兵の標的となった。まるでゲームのように大勢の方が撃たれて亡くなったらしい。この近辺(グルバヴィッツァ地区)には破壊された廃墟のような建物で人々が暮らしているという話を聞いていたが、行かなかった。見られた方は気分がいいものではないと思ったからだ。
・新聞社オスロボジェニェ(【解放】の意) 記者達は地下の核シェルターに泊まり込み、サラエヴォ包囲の間も新聞を休刊することはなかった。隣には完成間近で破壊された老人ホームがあった。
・サラエヴォ五輪スタジアム(コシェヴォ・スタジアム) 1997年9月23日、ここでU2のコンサートが開かれた。民族の垣根を越えて、遠方から人々が駆け付けたという。この時、喉を痛めて声が出なかった BONO (ボノ)の代わりに、観客達がずっと歌い続けていた。翌朝の新聞の社説には「今日という日がサラエヴォ包囲が終わった日だ」と書かれたらしい。現在、五輪スタジアムの補助グラウンドは巨大な墓地と化している。紛争時に亡くなった人々を埋葬する場所が無かった為、ここが墓地となった。
アイルランドのミュージシャン達は、自身の姿とダブるのだろうか、強い反戦メッセージを表現している。
他に例を挙げると、アイルランドのロックバンド The Cranberries (クランベリーズ)。
“ Bosnia ”という曲を歌っている。
ヴォーカルの Dolores O'Riordan (ドロレス・オリオーダン)が“ Sarajevo (サラエヴォ)”“ Sarajevo ”と連呼している。
※クランベリーズ“ Bosnia ”のおまけ記事はこちら
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