Go straight till the end!!

世界一周の旅の思い出を綴っています。
ブログタイトルは、出発前に旅日記の表紙に書いた言葉です。

(92)ヴェネツィア①(イタリア)

2010-06-03 06:00:00 | イタリア
 Belgrad ( Beograd )(ベオグラード)から Venezia (ヴェネツィア)( Venice (ヴェニス))(イタリア)行きの客車にどれだけの乗客がいたのかよく覚えていないが、旅日記に書き残していることがある。

 それは深夜のことだった。
 クロアチアからスロベニアに入国する際、国境で入国拒否されたルーマニア人カップルがいた。彼らはスロベニアのビザが無かった為、真冬の寒さの中、国境で降ろされたのだった。ヴェネチアまでの切符を持っていたのでスロベニアはトランジットのはずなのだが、それでも許可が下りなかった。
 確かにヴェネツィアに観光に行くようには見えず、寄り添うように座っていた姿からはどちらかと言えば駆け落ちして二人だけの世界にいるような雰囲気にも思えた。貧しい国を出て新天地で二人の人生を始めたかったのかもしれない。
 ベオグラードからヴェネチアまでの切符の値段は、正確な金額を記録していないが確か数千円だった。教師の月給が$100位の国から来た彼らにしてみれば、決して安い金額ではなかったと思う。

 もしかしたらセルビア(当時のユーゴスラビア)、そしてクロアチアはルーマニア人にとってビザが無くても入国できる国なのかもしれない。そして分裂前のユーゴスラビアなら問題なかったのかもしれない。皮肉にも、分裂後のスロベニアは遠い国になってしまった。

 どちらにせよ、イタリア入国時に拒否される可能性もあったわけだが、観光で行く自分がすんなり通され、(真相は違うかもしれないが)人生をかけて異国に向かう彼らが降ろされたのではないかと思うと、なんとも遣り切れない気持ちになってしまった。職を求めて国外で不法入国で捕まったことがあると語った青年マリウスのことを思い出した。
 自分は本当に恵まれていると感じた。そして彼らに申し訳なく思った。



 そんなことがあったのだが、翌朝目を覚ますともうすぐヴェネツィアへ着くという時間だった。左手に美しいアドリア海が広がり、その先にヴェネツィアの街が見えた。まさしく【水の都】の名にふさわしいその光景の美しさにすっかりテンションが高くなり、何か楽しいことが始まりそうな予感は十分あった。



 18時間以上の列車の旅を終え終点ヴェネツィアに着いた後、最初にしたのは宿探しだ。これは意外とすんなりいい宿が見つかった。案内された場所はペンシオーネ(ペンション)だった。
 部屋にはキッチンも付いていて自炊も出来る。しかもカーニバル前の時期で予約が入っていないということで少し値段もまけてくれた(1泊約3500円)。



 ヴェネツィアの宿ということで思い出したが、この1年半後、U2BONO がこの街を休暇で訪れている。

 ヴェネツィアは路地が複雑に入り組んでおり道に迷いやすい。裏道で道に迷った彼は、方角を確認する為に付近にあったアメリカン・ホテルに入った。その時、ホテルのロビーにあったTVではニュース速報が流れていた。
 彼はその日を境に何もかもが変わってしまったと言っている。

 その日は2001年9月11日だった。
 
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