goo blog サービス終了のお知らせ 

なら斬り開く?!

アジもホッケも、物事さえをも、斬り開く。

バレている。

2015年08月14日 | 日常
例えば、じぶんが
これからしようとしてるなにかの取り組みにたいして、
それが「本気なのか。本気でないのか。」ってのは、
じつはもう、相手には、一瞬でバレてしまっていて。

じぶんでいくら「本気です!」と明言したところで、
それもさ本当にじぶんでは
(本気になっている…)のだと仮に思ってたとしても、
そのじぶんで思った思いよりも目の前に居る相手のほうが
ちゃんとじぶんの思いをわかっている。ことがある。。

どれだけ繕ってみたとしても、
バレてしまうものはバレてしまう。

ならば、いっそのこと、繕いではない
素のままで居ようとしてたほうがさ、
繕っていることが「バレてしまう。」という事態だけは
避けられる。

(繕おうが繕わなかろうがダメさはどっちみちバレる!)

たぶん、表現とか文章とかもねぇ、
ささいな嘘みたいなことでもすべてバレちゃうから、
バレないように何とかする。ってのも全部バレちゃうから、
気をつけたいっておもいながら。
じぶんで気づけにくい素の、裸の、思いのところまで、
なんとか辿りつけられるように。っておもいながら、
でもそれが、むつかしくって。。。

2015年8月14日 @ Jewelry

7月26日、島田市。

2015年08月10日 | 日常
先日、
アジカン後藤さんのツイート(2015年8月6日22:44)より、
戦時中、後藤さんの故郷である静岡県島田市に
「模擬原爆」というものが落とされたことを知りました。

ツイートの引用を申します。





僕の地元の静岡県島田市には、
模擬原爆が落とされたんですよね。
僕の母親の実家の近くに慰霊碑があります。
本当に、かなり田舎の町なのに。大井神社の近く。






ツイートとともに
ある記事のURLが記されておりまして、そこには‥‥





昭和20年7月26日に、
静岡県島田市に一発の大型爆弾が投下された。
この空襲は、原爆投下の
実戦訓練として行われた作戦のひとつで、使用された爆弾は
後に長崎に投下されたファットマン型原子爆弾を模した
パンプキン爆弾(模擬原爆)であった。






と、そして、、





この1発の大型爆弾による被害は、
死者49名、負傷者140余名、全壊家屋60戸。






‥‥ぼくには、まだまだ知らないことがたくさんあるのだと、
知っていることなんて何も無いのだと、
思い知る。。。

8月5日のときのブログで申しあげましたが、
"きょうが8月5日で、それから、8月15日までの10日間、、、
とは、どのような長さだったのか。。" のこと、
本日は8月10日でございますのでその半分が過ぎまして。
テレビや新聞やWEBでの記事を少しばかり拝見致しながら。
想像しようとしても真の想像は出来ないのですが、
でも、拙いながらでも、祈ろうと思いながら‥‥

2015年8月10日 @ ネオテニー

初めて語る あの惨劇

2015年08月05日 | 日常
さくじつ2015年8月4日「中日新聞」朝刊一面では、
ここ豊橋市のおとなりにございます豊川市の
「豊川海軍工廠」爆撃(1945年8月7日午前)より70年、
体験者ご遺族のかたがこの夏初めて惨劇の記憶を語る。
の記事をよみまして、息をのむ。。。

いつだったかな、ぼくは
いつものように初詣にへと「豊川稲荷」を訪れたとき、
たまたまとある立て札を見つけ、そこで、
「供養塔」があることを初めて知りお参りを致しまして。
そのときから、お稲荷さんへゆくときには
「供養塔」を毎回必ずでは無いのですが訪れます。

きょうが8月5日で、それから、8月15日までの10日間、、、

とは、どのような長さだったのか。。
は想像しても想像しきれないけれど、でも想像しながら、
その時間に想いをはせながらこの夏を過ごしたい‥‥

2015年8月5日 @ 人間





「救われる」ことしか、できない。

2015年07月28日 | 日常
さいきんおもうのはさ、
これはもしやぼくだけなのかともおもうけれども、
ぼくには、だれかを「救う」ことができないんだよね。

なにかをちゃんとこなせるわけでないし、
知識とか知恵とか技術もなければ、
我ばっかりで相手の話を聞くことだってままならない。
問題の解決はおろか、問題を見つけるのだって、できない。
これではだれも救えない。。。

「救われる」ことしか、できない。

それを、イメージとして申し上げれば、
歩いているときに足元にある岩に気づかないで、
足がもはや岩にぶつかりそうになる直前
「危ないっ、岩がありますよ!」とだれかが教えてくれて、
足元を救われた。みたいな‥‥

ぼくには、そのよーな声を出すことができないのだ。

いろいろなひとたちからただ「救われる」だけで、
「救う」のはできない、なんて、
ほんとうにもうなんともいかんともしがたいのだけども。
「救われる」ことしか、できない。つまり、
「救われる」ことが、できる。ということはさ、
その相手は、(ぼくを)「救う」ことができている!
ってことであって。つまりは、
ぼく以外のひとはみな「救う」能力を持っていたとしても、
ぼくには無くって、ぼくはいつも「救われる」だけ。。。

きょうも、あしたも、世界の会社の社会では、
ひとからひとへ「救い・救われ」の贈与の交換が行われ、
ぼくはただ「救われる」だけで、返礼や反対給付もできず。
いつか相手を「救う」ことができるようになれたなら……
の願いが、ぼくの希望の光であり、第一希望でもある。

のかっ??!

2015年7月28日 @ バイタルサイン(mono)

はじめての高速道路

2015年07月27日 | 日常
二十歳くらいのまだクルマの免許とりたてのころ、
高速道路をつかってどこかへ行く。っていうときがあって。
初心者だったし、どちらかと云えば
じぶんはかなりのビビリだからもう超不安で。。。
の、そんなとき、高校の同級生友人たちと逢って。
友人たちはみんなだいぶまえから免許とってたもんでさ、
「高速はじめて乗るで不安なんよねぇ‥‥」と相談してみれば
そのなかのひとりのYくん(ゆーすけ)が、

「走行車線の左側の線になるべく寄りながら走って、
 あとはちゃんとスピードを出していれば
 だいじょうぶだから。」

って教えてくれたんだわね。あれから10年以上経つので、
もう高速道路もぜんぜん走れるようになったんだけれど。
いま思い返してみてもさ、
そのとき初心者のぼくにしてくれたYくんのアドバイスって、
けっこう的確だったような気がしてるのよね~。

考えてみれば、
高速道路って、走行車線と追越車線とでは、
もうまるきり世界がちがってるかのようで。
なんとなく、追越車線の世界とは、極めの世界。とゆーか、
そんな世界が「白色の破線」によって画されている。。

走行車線の左側に寄っていれば、
追越車線を走るドライバーさんたちも追い越ししやすいし。
あとは法定速度まできちんとスピードをあげたなら、
ほとんど邪魔にはならず、
早くはなくともいつか目的のインターチェンジへ辿りつく!

‥‥と、そんなよーな安全運転の「予祝」を、
ぼくはYくんから受けたんかもしれんなー。
みたいなことをなんかなぜだか改めて思い出したっす!!

2015年7月27日 @ ドライブ

昨日の「気まぐれラジお」。。。

2015年07月16日 | 日常
昨日の夜、ほぼ日での
気まぐれラジお」ありがたかったぁー!!

いつもはさ、夜の用事が終わってからの
だいたい21~22時くらいより聴きはじめるですが。
今回だけはどーしてもスタート時からとおもい、
晩ごはんも早く食べて、20時より準備万端の拝聴。

今週の月曜日。
任天堂・岩田聡さん逝去のニュースをうかがってから、
このなんとも云えないさみしいきもちはなんなのでしょう…
っておもいながら。。。

ぼくは、岩田さんのことを「ほぼ日コンテンツ」や
任天堂ホームページ内での「社長が訊く」だけでしか
存じあげておらないですが。うーん。またおもいだすと、
どうしてだか胸とか目頭とかがきゅーんとなる‥‥
その、このきもちのことをすこしでも知りたいとおもい。
なので昨日の「気まぐれラジお」では、
糸井重里さんとほぼ日乗組員さん山下さん永田さんによる
岩田さんのおはなし。。。
たくさん聴くことができてありがたかったです。

あらためまして。
任天堂・岩田聡さんのご冥福をおいのり申します。





そして。ほぼ日のこれまでの岩田さんのコンテンツ
すこしずつ読み返しておりまする。

2015年7月16日 @ We miss you ~愛のテーマ~

笛を吹かなければ…

2015年07月15日 | 日常
漫画『スラムダンク』の「湘北×陵南」戦でね、
4ファウルのためベンチに下がっていた陵南・魚住が、
陵南ピンチでコートへと復帰してくるシーン。

のことを思い出しまして。。。

5ファウルで試合退場となってしまうから、
魚住はひとつのファウルも取っていけない状況の中で、
コート復帰早早、湘北・赤木とマンツーマン対決になる。

魚住は、湘北ゴール下を守る赤木へむかって、
ギリギリに果敢に攻めてゆく。その攻めのプレイは、
ファウルに見えるけれどもファウルではなかった!
審判が、笛を、吹かなかったから。

その魚住のプレイに対して観客席にいる海南・牧は、
同じく海南の1年・清田に‥‥





ここで即退場になるようなバカなら
陵南の4番はつけちゃいない
あいつは今 線を引いたんだ

「線……?」(清田)

審判は今 フエを吹かなかった
ファウルじゃないとな

つまり あれくらいのあたりなら
これからずっと審判はファウルをとれない
今のをとらなかったんだから

これで魚住は チャージングの境界線を引いたんだ!!






と、告げる。

その後、魚住はファウルギリギリのプレイを続けながらも、
結局ファウル取られることなく退場せず試合終了を迎える。
試合は、湘北・桜木のファインプレイによって陵南は負け、
湘北が勝ったんだけれども。。。

この魚住の「線を引く」のこと、たまに思い出す。

その日その日の「きょう」の出来事によって、
これからの未来へ向けた「既成事実」がつくられてゆく。
そのとき審判が笛を吹かなければ、もう、次のときにも、
審判は笛を吹くことができなくなる。

よくも、わるくも。。。

そしてまた。その「湘北×陵南」の試合後のある日、
アメリカ留学を志そうとする湘北・流川にむけ、
湘北監督・安西が厳しく言い放ったことば‥‥





私は反対だ





のことも、また、思い出しました。

2015年7月15日 @ 世界が終るまでは…

星の詩

2015年07月13日 | 日常
たくさんのことを、
ぼくは、もらってきていたのかもしれない。

ぼくの受けとれる分量を遥かに超えたものまで、
与えようとしてくれていたかもしれない。

受けとれたもの。受けとれなかったもの。

僅かにも受けとることができたこの8つの星を、
闇夜に浮かべ、その灯りで、母とお茶したい。

2015年7月13日 @ スマイル アンド ティアーズ

認める才能

2015年07月11日 | 日常
「(ひとから)認められたい。」と、
切実に求めてるひとがぼくの目のまえにいるとして。
そのときぼくには、なにが出来るだろう??

っておもったんだよねぇ。。。

ぼくが、そのひとを
「認めます!」としたところで、
そーすればたぶん感謝はしてくれるかもともおもうけれど、
ぼくの「認める」では、根本的に何かが足りない。

大成功をおさめた作家や芸能家でもなければ、
あいてにとっての憧れの異性や、恋人でもないので、
ぼくの「認める1票」ではたぶん満足が出来ないんだろう。

「認める」ってば、じつは、むつかしい‥‥

つまりはさ、
「認める」にも器量や技術や才能のようなコトが必要で、
ぼくにはそれらが完全に欠けている!
ほんと、しょうがねぇなぁ、おれ。ってゆうのもおもうし。
どうしたら「認める」ことが出来るようになるか?!
を考えてみてもほんとよくわからない。これってぼく自身、
数日かそこらでなんとかなる問題でもない気がする。

いまのぼくに出来るのは、
「認められたい。」と切実に願っているひとが
なるべく早くしかるべきひとから認められますように…
と祈るだけ。なのかも知れねぇ。。

そして。ぼくはいつか誰かをちゃんとほんとうの意味で
「認める」ことが出来るように成れるように、
今をさらに生きてゆく。的なコトなのかも知れねぇー。。。

って申しましてもさ、
なんか本日のこの願いって
じぶんで言いながらすこし錯誤している気もするんだわ。
どこか「上から目線」的な???

でも、幸運を祈りたい。

2015年7月11日 @ 有頂天

「avec」の差し替え作業~!

2015年07月02日 | 日常
昨日で7月とあいなりまして。

ほんねんよりはつばいされました
ほぼ日手帳」年間分冊版「avec」の、
後篇へと差し替え作業をいたしました~。




(↑これですね「2015 7~12」。)

まずは半年間、「avec」をつかいまして。
ほんとうにすばらしいなぁー。といつも思い。
うすいし、かるいし。もちやすい!!!

そして、じぶんの場合でございますと、
毎年どーしても「とある問題」が出てきてしまってて。
それはさ、昨年使用しておりました
「ほぼ日手帳2014」を例にご説明もうしあげますと…




↑棚から取り出してきた「ほぼ日手帳2014」。




↑が、こんな感じで、、




↑じぶんは、バッてつよく開いて書くからなのか、
 このように使ってゆくうちに
 だんだん背が折れて来てしまい、、、




↑年末の、最終的には、
 先も飛び出しけっこう不恰好なふうに。

(今回試しに、昨年の手帳を半年ぶりカバー装着してみれば
 おもってたよりもかなりぶ厚い‥‥。
 もう「avec」の薄さに慣れてしまってる?!)




↑左から、2014、2013、2012、の、手帳のせなか。。。

と。それがね、毎年すこし悩みだったのでございますが、
「avec」ですと
そんなことはまったくございません!!




↑左がつかってた「1~6」、
 右がつかうまえ「7~12」の、せなか。。

そもそもが薄いし、手帳の使う期間も半分ですので、
「せなか」問題はとくに起こらず。よかった~。
これまではお正月のときだけだった差し替え作業がさ、
こーして7月にもあるようになり、
なんかきぶんもあらたにちょっと心機一転の感じですし。



そんなこんなでぇ、
2015年の後篇もよろしくたのみたいぜって
おもいましたっす!! よろしくっ。

2015年7月2日 @ 半夏生

ディーラーさんの本棚で。。。

2015年06月28日 | 日常
クルマの法定点検を受けにディーラーさんをおとずれて。
終了まで2時間ほどかかるとおっしゃっていたので
持ってきてた本をよもうといすにこしかけ、
そして前方を眺めますとね、本棚がございまして。

そこにはクルマ関係の書籍や、
絵本の『はらぺこあおむし』『ぐりとぐら』『ミッケ!』、
また旅行雑誌などなどが置いてあるところに、ふと、
女性誌「VERY」がじぶんの目の中へ飛び込んできて。

その瞬間、脳裏にはあるコトがひらめいた。。。

それはMr.Children・桜井和寿さんのインタビューが、
たしか「VERY」に出ていたんじゃなかったかな‥‥?!
‥‥と、そうして立ち上がり本棚をみてみると、
やはり掲載されていたのね~。よみました!

なかなか、男のじぶんではたとえば本屋さんで、
「VERY」の立ち読み等はしがたいし。
(あ、図書館にはたぶんあるのかも知れませんが…)
なのでほぼあきらめ、とゆうか、もう忘れてもいたけれど、
そのディーラーさんでのたまたまの出合いが
とっても嬉しかったっす。深謝!!

2015年6月28日 @ 忘れ得ぬ人

すべては始まり

2015年06月23日 | 日常
「遠く離れた場所であっても
 ほら 近くにいるような景色
 どうか元気でいてくれよ」


    Remember me / くるり





NHK総合『ファミリーヒストリー』は、
ほんとすばらしい番組だー、とおもって。

ゲストの方のお父上方・お母上方どちらとものご家系を、
こと細やかにていねいに調べられて。。。
その「調べる」がさ、
今現在でもこんなに調べることはできるものなんだぁ!
とおもい、いつも、勇気を感じる。

じぶんが産まれるまえにでも、
父と母が産まれるまえにでも、
父方の祖父祖母が、母方の祖父祖母が産まれるまえにでも、
大地はあって。世界はあって。地球はあって。

そこではたしかにあらゆることが起きていたのだと、
すこしだけ思い出せる気がしてくる‥‥





「すべては始まり 終わる頃には
 気付いてよ 気付いたら
 産まれた場所から 歩き出せ
 歩き出せ」






番組の終盤になりますと主題歌でございます
くるりの『Remember me』のイントロが流れ始め、
放映はまとめの雰囲気になり、
本日の番組ももうすぐ終わるのだとぼくに告げてくる。

とおもいきや、いや、そこから怒涛のごとく
まさにジェットコースターであるかのようにっ!!
じつはまだ存在していた感激の新事実があきらかに、、、
その場面はちょうど『Remember me』の「大サビ」での

♪すべぇてはぁ はじぃまりぃー

とゆう岸田繁さんのすてきな歌声のシーンと重なっていて、
毎回そこでぼくは
もう泣きそうになってしまうんだよね。

音楽がすばらしいのか、番組の編集がすばらしいのか、
みたいなそういうくわしいことはわかりませんが、
すばらしいなぁ! とおもいながら先日録画をしていた
細野晴臣さん」の回を観ておりました。

2015年6月23日 @ HoSoNoVa

未だ甘美な「DVD」の魅力。

2015年06月22日 | 日常
なんか完全にいまさらなんだけれども、
「DVD」とゆうことばの響きって甘美だなぁとおもって。
「DVD見よぉーっ!」とか「DVDはつばい!」とかさ、
今ではもうあたりまえに感じるけれど、
「DVD」て書かれた字面も「DVD」て話された音声でも、
どっかちょっとテンションあがるし、おれはじつは
「DVD」って云うことばが大好きなのかも知れないわ~。

と、そんな、現在ではあたりまえな「DVD」も、
今から15年前の2000年6月の時点では
ぜんぜんあたりまえではなくって。

ぼくは、2000年3月4日に発売されました
ゲーム機「PlayStation 2」を、
発売より数日後くらいのときに購入しておったので、
雰囲気すこし覚えてるですが(PS2は「DVD」再生できる)。
でもじぶんが初めて観た&購入した「DVD」は、
なになのか?! があんまり思い出せない‥‥

たぶん、これかも? とまずおもいましたのは、
Mr.ChildrenのライブDVD
『Mr.Children CONCERT TOUR POPSAURUS 2001』
なのですが調べると発売日2002年1月1日だからねぇ。
おそいので、ぜったいに、ちがう。
ミスチルですと『POPSAURUS 2001』以前で発売の
『Q』のライブDVD持っているけれど、
これは、もうすこしあとで購入した気がする。。

えっと、じゃあなんだっけなー??

B'zがそれまでのビデオ4種を「DVD」でリメイク発売する
とゆうときには一気に全部、では無かったと思うけど、
どれかはすぐ買った気がする。『"BUZZ!!"』かな??
(見てみると2001年3月14日発売ですから、
 シングル『ultra soul』と同時発売だったのね。)
逆に、いちばん最後に買った「VHS」(←ビデオテープ)は
超覚えててそれはB'zの『once upon a time in 横浜』で、
(発売日は2000年8月2日。ビデオの箱が開けにくかった…)
あの年の夏はそればっか観ていた気がする。

それは、大学1年の夏休みだった。。。

その半年後にはもうリメイクだったのねー、
もっと長い期間のよーな気がしてたわ。
って、なんの話だっけ? そう、「DVD」についてだった。
おもいでにひたってしまってた。

ちがうかもだけれど、ゲーム雑誌『ファミ通』のおまけ等で
「DVD」が同梱されていて、
そういうソフトで初の再生したかも知らない。
いや、なんか、でもぜんぜん思い出せない。
当時はまだレンタルも「VHS」ばっかりで、
返却の際はテープスタートまで巻き戻してから返却したり、
「DVD」ではそんなこと無いから楽だわねー!

そしてじつはぼくは「Blu-ray」の機種を持っておらず。
「Blu-ray」盤のほうがさ、映像特典充実してるコトも
もうだいぶ多くなっているだけども、
なんかこれだとゆうタイミングを逃してしまい。。
(「DVD」のときの「PlayStation 2」のようにはゆかず…)

ぼくはでも「DVD」を「観る」ってゆーよりか、
「DVD」と云う文字、「DVD」と云うことばの響きが好きで。
「DVD」のことばただそれだけで、
ひそかにテンションあがる~!!

こんかいは、そんな、結論で。

2015年6月22日 @ スイマーよ!! ~from B'z LIVE-GYM '98 "SURVIVE"~

雨のおかげで。。。(後編)

2015年06月21日 | 日常
前回エントリよりひきつづきですっ。】

豊橋市民って、いやこれはぼくだけかも知らないけれど、
おなじ愛知県でも
「名古屋」はすんごい遠いイメージなのね。
地理的なこともじつはあまりよく知らないし‥‥
そして、もうほとんどいつも電車でゆくからさ、
クルマでなんて特別な時以外は思いもつかなくって。

(高速を使うかとか駐車場代がどうかとか考えたりして)

ですので、
TOHOシネマズ 名古屋ベイシティ
へも当初は当然のごとく電車だと思っていたですが、
クルマでの行き方を調べてみると
おもいのほか(行ける!)ってことに、気がついた。

道は「国道1号線」をひたすら進み、
あとはすこしだけ曲がればもう着くみたいだし。
駐車場もねWEBページによりますと、、、

「入庫から4時間無料
 映画1本ご鑑賞につき、さらに3時間無料になります。」

とのことなので、計7時間無料!

それならむしろ電車よりクルマのほうがよいのかも~。
っておもいながら、当日は、やはり大雨。
とくには、出発して名古屋へ入ったくらいのときが
いちばんの猛烈雨だったんだけれども、
なんとか無事に映画館へ到着いたしまして。

そっからは、ライブビューイングめっちゃ楽しんで観て。
そして公演終わって外にでてみれば、
もう雨はやんでいたんだよね。

帰宅到着は深夜になって少々疲れてもいたけどさ、
でも、もしもそんな天気でなかったのならば
確実に電車で行ってただろうし。また、
こーいうことも知らない思わない考えないままだった。

と。それは「雨」のおかげで、
未知の世界が開けたかのようにおもったんだわね。
みたいな、、、
そんなこともあるかも。とゆうはなしでございました~!

2015年6月21日 @ 言の葉の庭