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なら斬り開く?!

アジもホッケも、物事さえをも、斬り開く。

社会のクレーター

2016年03月06日 | 虚事
小山宙哉さんの漫画『宇宙兄弟』でね。
南波六太の弟・日々人が
宇宙飛行士として月の探査へ行ったとき、
月面クレーターに落ちてしまい絶体絶命の事態に陥った。
というストーリーを思い出していたんだけれど。

例えば、隕石がぶつかって出来る「クレーター」ってのは、
ぼくは比喩としてメタファーとして言うならば、
どこにでも存在しうるんじゃないか???
と考えてて。つまり、
世界中や社会中の地表面に「隕石」的なるものが降って
それが「クレーター」のようなでかい穴ぼこをつくり、
その穴ぼこの底に落ち身動きが取れない状態。
と、ここで申します「隕石」というのは、
例えば戦争とか災害とか事件や事故や病気や事変や失恋や…

それらは、実際に出来るクレーターとはちがい、
ほんとうの意味では「穴」になっていなくって、
目には見えないクレーター。
そういうのが「無い」とはぼくは言い切れないと思うの。

漫画のストーリーで日々人が助かったみたいに、
例えば「熱」や「光」や「酸素」なるものが、
クレーターへ陥る事態になってしまった誰かの元へと
たとえどこからかでも届くとよいのだけれど。とおもった。
いや、このぼく自身がそんなような何かのクレーターに
はまってるのかもしれないわ。

この光はどこから見えるか?!

2016年3月6日 @ SUN

積もることば

2016年02月26日 | 虚事
ある夜中 頭のなかでは
考えごととしてのことばでまみれて
そのことばの堆積に わたしは埋まる

ことばは
どんどん降り どんどん積もり どんどん溢れて
いよいよ息もできなくなってきて
もう このままいけば
天井が崩れてしまう わたしが壊れてしまう

だから危険を承知のうえで屋根にのぼり
「ことば下ろし」をする
そして 玄関先と 庭と 自宅前の道路で
「ことば掻き」をする

それらが終わり
ようやく息つけるようになったところで
掻いたことばをどこに置けば捨てればよいものか

日記帳なのか ブログなのか SNSなのか ヤフー知恵袋か
友達か親か家族か恋人か同僚か部下か先生かカウンセラーか
居酒屋 井戸端会議 店舗のクレーム受付 役所の相談窓口

どこに置いても ことばは消えない どうしたものか

「ことばうさぎ」をつくるか
「ことばだるま」をつくるか
「ことば洞」のかまくらをつくり 暖をとろうか
「ことばアルペンルート」で大谷を掘って壁ぞいを歩こうか
「コトー(バ)場」としてゲレンデの経営をするか
「言葉まつり」会場に立つお城とかはさすがにつくれないわ

降り積もることばに よい使い途が あるといいけれど

2016年2月26日 @ Winter,again

壁か、殻か。

2016年02月21日 | 虚事
僕は壁さ 立ち向かう事すら出来ぬ壁さ
隣の家の窓から見える温かそうなシチュー
いつも僕が一人で食べる夕食の味は
孤独の味がした気がするんだ


壁/サカナクション





「壁」って言うのはさ、
【壁にぶちあたりこの先にはもう進めない…】
のようなふうなことを言えば、
とてもよくないものだと思えるけれども。

たとえば、建物や家の「壁」を考えれば、
日や雨や風や塵やをふせいだり。中の断熱材によって、
部屋温度を調節する役目を果たしたり。
プライバシーが守られたり。
おきにいりのポスターを「壁」に貼って飾ったり。。。
「壁」のおかげで成り立ってることや、
「壁」の恩恵を受けていることだってあるとも思う。
それを考えれば「壁」のことを、一概には、
悪者だと言えないし。

立ちはだかって超えられない「壁」とは、
もしかしたら
ぼく自身を守る「殻」なのかもしれない‥‥





あと少しだけ 僕は眠らずに
脱ぎ捨てられた服がほら
まるで抜け殻に見えたんだ


ネプトゥーヌス/サカナクション





「なにか」と「なにか」との「境界線」には、
それらを結びつけるための「継ぎ目」が在って。
「継ぎ目」は、決してなめらかとは言えない。

「壁」のように、「殻」のように、はたまた、
地球をまとう「大気圏」のように、
でこぼこしてたり谷みたいに超えるのが困難だったり。
「こちら」側のひとが「あちら」側のほうへ行きたくっても、
どーしても「あちら」側の事情もあったりして。。。
すべての「継ぎ目」をなめらかにするのは、
すべてをフリーにするのは、できないのかもしれない。

ひとつ「継ぎ目」をフリーにしても、その次には、
さらなるむこう側に在る別の「なにか」とぶつかって。
そこにはまた「境界線」が生まれる。
その「境界線」をなんとか「継いだ」としても、
「継ぎ目」はまた谷のような「壁」と成り。
「壁」を超えられる人と超えられない人とに分かれてしまう。
ぼくにだって、
「超えられる壁」と「超えられない壁」があって。
ぼくの超えられない「壁」をあなたが超え、
あなたの超えられない「壁」をぼくが超えることだって、
あるかもしれない。

「こちら」側より「あちら」側へ「行く」場合のそこに
「壁」が在るとしたならば、
「あちら」側から「こちら」側へ「来る」場合にも
「壁」は在るはずで。
その「壁」がまるで「バリアー」のような機能を果たして、
防御しながら、かつ相手を攻撃すらしてしまうんだ。

幼い鳥が卵の中からくちばしで「殻」を破るように、
「壁」を超えられたらなぁ。とも感じた。
それは、腕や手という外からによる強い力でなくって、
『北風と太陽』での「太陽」のような、
もっとやさしい力だとおもった。

2016年2月21日 @ years

壁のすきまから

2016年02月14日 | 虚事
じぶんのからだのまわりには
ぶ厚くて高い「壁」がそびえていて
狭いし 暗いし 冷たいし 寒くてかつ暑いし 臭うし
換気扇とか設備されてなく空気がこもるので

でも その「壁」っていうのは
地面というか地表とくっついてはいなくって
事務椅子みたく「壁」の下にキャスターがついとって
ぼくが動いたら「壁」もいっしょに移動する形状で
たとえ どこまで走って行ったとしても
その「壁」から抜け出せない 的なイメージ

(そういうの『電波少年』の番組であったよーな…)

いや 暗いってのはちょっと違うかもしれない
ライトで明かりを灯せるし ていうよりも
「壁」が 水族館の巨大水槽のように
とっても厚いアクリル素材でできていて 透明なのかも?

の そんな「壁」にも
実はちょっとした「すきま」があり
それはかすかに風通る小さな「すきま」だけれど
そこから入ってやって来る事柄に ぼくは救われる
たとえば 情報 とかかな?? 入って来るものとは・・・

ここで言う「壁」とは もしかしたら
じぶん自身の「興味範囲」のことなのかもしれないわ
興味範囲の「内側」にある物事へ触れるのは
わかって楽しくて安心できてよいかもしれないけれど
救われることはない って気がする
救われるには 興味範囲の「外側」にあるものと
出あうことが大事だと感じてる

透明な「壁」には
興味範囲内にない事柄を消して見えなくさせてしまう的な
「興味フィルター」の機能が搭載され
ぼくは そのフィルターを通して 世界を眺めている
なのだけれども
「壁」にあるほんの小さな「すきま」からだけは
壁越しでなく じぶんの肉眼で見ることができるので
「興味フィルター」を通さずまわりを視られる

それがまさに 希望 のような気がした

ってゆーようなことをねぇ、なせだか、
バレンタインデーの日に思って書きましたっす。
こーいう孤独さって寂しくはなくとも地味に哀しい。

2016年2月14日

「受付」までの旅路

2015年10月17日 | 虚事
ぼくは いま どこへ行ったほうがよいのだろう?

とおもって かんがえて 近くまでおとずれて

でも そこへは壁があって入れないとき では その場所の

「受付」はどこだろう?

そう思いながらいろいろ見渡すも なかなか

「受付」が見当たらない なので

「受付」はどこですか? と ひとにたずねる

知りません 知らない わからない 聞いたことが無いねぇ

だから まずは

「受付」の場所を知っていそうな「ひと」を探すため

このあたりの土地に詳しいひとに会いたいのですが…

というたずねかたに変えてみて すると

それならば あそこに住む長老に訊くと よいだろう

教えてもらった長老のもとへゆけば長老はちょうどお留守で

長老はどちらへおられますか?

と そこに在る椅子で腰かける おねえさんにたずねれば

彼はいま出かけてるの 彼に何のごよう??

わたしでよければ聞いてあげる ぼくは 話す

あー なるほど それなら わたしについてきて!!

そして おねえさんのおかげで「受付」まで無事たどりつく

たとえば いちばんさいしょでね

「ぼくは いま どこへ行けば よいですか?」

とかって 誰か通りすがりのひとにたずねてみても それは

たとえどんな誰にも答えることができない

それだけはじぶんで考え じぶんで決めなければ いけない

2015年10月17日

灯台守に成るためのポエム

2015年09月03日 | 虚事
たとえばあるひとが
「わたしはあの灯台ではたらきたい。」と言って、
その灯台の明りだけを頼りにあの灯台を目指し歩いて。
そしていつの日か、
灯台へたどりついたら灯台で働く灯台守のかたへ
「どうか、おねがいです。
 わたしをこの灯台ではたらかせてください。」
のように申しあげ灯台守さんからのご回答を待つ。

「よし、いいだろう!」となれば、
晴れて彼も灯台守のいちいんと成って、
あの灯台で働きはじめる。

「あいにく、うちも不景気でねぇ、
 いまはなかなか新しいひとを雇う余裕もなくってさ、
 せっかく来てくれたのにごめんなさいね。」となれば、
そうですかどうもありがとうございました、と言って、
次に向かう灯台を探し見つけた別の灯台の明りを頼りに
彼はまた歩きはじめる‥‥

晴れて灯台守と成った場合にはさ、もう彼は、
どこかにある灯台を頼りにして歩むことができない。
働くべきその灯台にたどりついちゃったわけだし、
もっと言えば今度はじぶんが灯台なのだから。
いや、ちがう。
灯台守として日々明りを灯す仕事のスケジュールこそが、
これからの彼の「灯台」なのだ!!
そこで灯されるあたらしい明りを頼りに、
彼は(比喩としての)一歩をまたふみはじめる‥‥

灯台で働くようになったにしろ、
あたらしい灯台へ向かうようになったにしろ、
どちらとしてもこれまで彼が眺めていた明りとは、
まったく別の明りを見る眺める生活がはじまった。

まえの明りを目指してた頃の彼とは、まるで別人のようだ。

2015年9月3日 @ ナイトフィッシングイズグッド (Iw_Remix)

正義 なのか どうか

2015年07月08日 | 虚事
あのとき ぼくが おこした
正義 とは ほんとうに
正義 だっただろうか と かんがえながら

いや もしかしたら あれは
正義 で なかった かもしれない でも
いや もしかしたら あれは
正義 だった かもしれない

正義 なのか 正義 でないのか

正義 のようにみえるも じつは
正義 ではなく と みせかけておいて まさしく
正義 だった と おもいきや
正義 のふりした 正義 みたいな 正義 は 正義 か?

正義 で なかったのか
正義 だったのか の どちらかが わからない ような
正義 は
正義 であるのかどうか も わからない わからない

正義 なのか 正義 でないのか

が わからないまま こしらえた
正義 では どれだけあたまのうえでふりかざしてみても
ふってくる
正義 の おおあめ は ふせげなかった

2015年7月8日 @ 傘がない/AL『弾き語りパッション』

おんのじのことば。(お料理編)

2015年07月03日 | 虚事
「お好み焼き」ってさ、
「お」の文字が先頭についているけれども、その
「お」を取って「好み焼き」だとは言わないじゃん!

「おせち」や「おから」や「おはぎ」などの
「お」も、丁寧を表す「お」と思うけど。「お」を抜いた
「せち」「から」「はぎ」では意味は通じない。

「お箸」や「お椀」や「お膳」や「お鍋」や「お粥」やら、
「お塩」と「お醤油」と「お味噌汁」も「お漬け物」でも、
「お芋」「お刺身」「お肉」「お蕎麦」「お豆富」「お赤飯」
「お酒」「お茶」「お菓子」「おせんべい」「お饅頭」‥‥
のことばは「お」が無くてもわかる~。

お腹は、空いている??

2015年7月3日 @ Keep Tryin'

とばこ と ばこと

2015年06月29日 | 虚事
ことば が おおすぎて その
ことば に またべつの
ことば を かさならうとするから
ことば は さらに おおきくなつて

ことば ことば ことば ことば ことば

ことば で まちがい を ただし
ことば で せつめい を つぶし
ことば で いさかい を おこし
ことば で ただしい を しめした

ことば ことば ことば ことば ことば

ことば は まきがい を みつけ
ことば は せきれい を みつけ
ことば は いえない を みつけ
ことば は たましい を みつけた

ことば こ とばこ と ばこと ば ことば

2015年6月29日 @ いえない

とある「星座」のはなし

2015年06月02日 | 虚事
どこか遠くの「星」に住むひとにとってみれば、
地球だって、その「星」の夜中見える
「星座」の内にあるひとつの星なのかもしれない。

とおもった。

それが何座なのかは知らないし、
地球だって何という名前で呼ばれている星かは、
もちろんわからないけれども。

でも、もしも地球がここになかったのなら、
その「星」より見えるその「星座」だって、
見た目のバランスとかあまりに悪くなって。だから、
「星座」として認知されていなかったかもしれないし。

またたとえば、その「星座」における、
地球の右隣にある「星」と地球の左隣にある「星」とでは、
距離なんてもうとてつもなく遠いんだけれど、
地球と、「星」と、「星」が、見えない線でつながれて。

そして。

右隣の「星」のそのまたよこにある「星」と、
左隣の「星」のそのまたよこにある「星」とで、
その「星座」は仮にできているのだと致しまして。

するってえーとさ、
「星座」を構成する地球含めた5つの「星」と、
「星座」をいま眺めているその「ひと」が住む「星」との、
計6つの「星」によって、
「星座」は成り立っている。

6つの「星」のうち、
たとえどれかひとつでも「星」が欠けていたのなら、
「星座」は存在していなかった……

…なんてコトがっ、
あるかもしれないし、ないかもしれないし~。
あったとしても確認とかもできないわ!!

2015年6月2日 @ Space Truckin'

物騒なことば

2015年05月17日 | 虚事
ニュース等を見れば、
そこで使われている「ことば」はとても物騒で、
その「ことば」を聞いているだけで、
あまりにも、たいへんな気持ちになってくる。

あたまが、どんどん
物騒な方向へ持って行かれてしまうみたいな…

そーなってしまったのなら、
あたまから、こころへと、そしてさらには
からだごと物騒な感覚に蝕まれて来ちゃって。
もう簡単には、物騒から、抜け出せない。

「ことば」も、「言い方」も、「言う内容」も、
昨日よりも今日のほうが物騒になって。
このまま行けばさ、もしかすればぁ、
今日よりも明日のほうが物騒になっているかも知れない。

明日よりも明後日のほうが物騒になっているかも知れない。

でも、それも、平和のためなんだよね?
物騒な「ことば」を使えば使うほど、
逆に、世界は、どんどん平和となって行くのさー。

ってそうなのか?! ほんとうにっ??!
いや、よく知らんけど。
なんか、まぁ、そーいうコトはよくわからんもんでさ、
屁でもこくか。

2015年5月17日 @ アホが見るブタのケツ2

「ぼくにはよくわからない」の話

2015年04月21日 | 虚事
次の戦争が いつ ここで起こるのか それとも
次の戦争は 永遠に ここでは起こらないのか
ぼくにはよくわからない

次の戦争が もしも ここでも起こるのだとするならば
その戦争は どのようにして起こり始めるのか
ぼくにはよくわからない

次の戦争が もしも いつか ここで起こるのだとしても
その戦争の始まりを どうすれば先延ばしに出来るのか
ぼくにはよくわからない

そしてさらには

戦争が 永遠に 起こらないようにするために
どのような行動を取ってゆけばよいのか
ぼくにはよくわからない

戦争に反対だと言えば 次の戦争は起こらないのか
平和に賛成だと言えば 次の戦争は起こらないのか
ぼくにはよくわからない

次の戦争を起こさないようにすることも
次の戦争を起こすことも そのどちらの方法も
ぼくにはよくわからない

このままで よいのか
このままでは よくないのか の それすら 
ぼくにはよくわからない

なんにもわからない ぼくは バカなのかもしれないな

2015年4月21日 @ 生まれ来る子供たちのために

圧倒的な寂しさのまえで

2015年02月14日 | 虚事
寂しさのきもち ってさ
もう今では結構かなり平気なフリさえも
ちょっとは出来ているつもりだったのだけれど

たまーにね
おそろしいほどにも圧倒的で得体の知れない激情な寂しさを
感じてしまうことがございまして

そーいうときは もうなんか
どーすることも出来なくなっちゃうんだわねぇ

まったく動けなくなる かのような??

つまりはさ どういうことかと云えば
今そこにある今そこにいてくれるひとのぬくもりでは
足りない なんてことを思ってしまって

ほんとうにあるのかどうかはわからない
とおくのほうに漂っていそうな ぬくもりを
強力に 完全に 絶大に 求めてしまうみたいな

そんなふうに成ってしまったなら おちついて
ベッドのなか ひとり 毛布にくるまって

あの憧れの異性のひとが どうか幸せであられますように

と 祈りながら 想いながら 念じながら 
その躰を つよくこころに秘めながら
自慰をする

それとは多分 世界中を旅しているような 気分‥‥

そしてまた 今いるこの場所へと
舞い戻って来るんだ

2015年2月14日 @ Dance Dance Dance

ワレワレハ的考察

2014年09月21日 | 虚事
宇宙人のかたがたが、地球へと降り立ったときに
「ワレワレハ、ウチュウジンダ!」
とおっしゃるならば、ぼくら地球人も
どこか別の星を訪れた際には「地球人」だと言わず、
「我々は、宇宙人です。」
的なことを、申し上げたほうがよいのかねぇー?!

うーん、どーなんだろう。。。

「地球」って伝えても「チキュー??」となって、
ようわからんことに成っちゃうかもしれんけど。
「宇宙」だったらサ、「ウチュー!!」って盛り上がるっ!

いやいや、もしかしたら、
地球へ降り立った宇宙人のかたがたってばサ、
どこか彼ら彼女らの「星」で生まれたのではなくって。
「宇宙空間」のなかでお生まれになったので、
「宇宙人」だと名乗られておるのかもしれないなぁ。

もうそうだとすれば、ぼくたちは
今のところ「地球空間」で生まれているのだから、
ん?? 「地球空間」も「宇宙空間」の中に有る訳だから、
やっぱりコミュニケーション的には、んーと??!
ぼくらも「宇宙人」だと名乗った方がよいのかのう???

いえ、それはそーではありませんくて。

はたまた、
宇宙人のかたがたがおっしゃる「ワレワレ」とは
はるばる地球へと降り立った
「宇宙人」の方々「だけ」ではなくて、
ぼくら「地球人」のことも含まれておって。

「ワレワレ
 (ワタシタチ、ウチュウジンモ。
  アナタガタ、チキュウジンモ)ハ、ウチュウジンダ!」

と、ぼくらも「宇宙人」であるのだと、
伝えに来てくださっているっ!
のかもしれないなぁ。とおもいました~。

彼ら彼女らは、そのために「地球」を訪れた?!

それでは、それでは、それでは。
ブログに来てくれてどうもありがとうございます。
この場合↑そもそも「日本語は通じない」は置いておこう☆

2014年9月21日 @ おーい!車屋さん

現実からの逃走?!

2014年09月17日 | 虚事
通路を歩いていれば思わぬの袋小路で、
そして、その袋小路に入ったとたんに
後方のドアもばたんと閉じる。

八方ふさがりと言いますか、四面楚歌と言いますか…

そーだっ。

上には空があるじゃないか!! と見上げてみるやも、
固くていかにも重苦しい無機質な天井が、
壮大な空をどうにも覆い尽くしていて。

下には地面があるじゃないか?! と顔を降ろすにも、
もうぜったいにほじくり返すなんて不可能な
冷たい岩盤が、わたしの両足に絡み付いている。

そんな、もう
すべての方向に行くあてが無い。っていうときには、
さて、どうしたらよいのだろう??

そんなときふと、こころのなかを見てみれば。。。

宇宙上でのすべての地点でパラレルに存在しておられる
「三途の川」という場所を超えた先に先にへと、
逃走を図るしか無い。とも思えてきたりする。

「現実」の中にはもう逃げ道が無いのなら、
ワープをするかのごとく。さようならをするかのごとく。
そんなパラレル・ワールドの奥の奥に行ってしまおう。。。

と云うような、
アイディアがぽっと涌き出てきたりもするのだが、
果たして、ほんとうにそれで良いの?

こころや魂であるならば、その別世界を
もしかしたら闊歩することは出来るのかもしれないが。
からだは、失うことになる。

ほんとうにそれで、良いの??

で、あるならば。わたしはっ!!

何十方ふさがりなのかはもう知らないが、
現実の世界にてもう少しだけでも、微かにも
風が漏れて来るような「穴」を見つけようではないか。

まだ調べていない、触れていない、押したり引いたり
してしない地点がまだきっとあるはずだ。と、そこで、
とある壁を優しく優しくさすってみるってぇーと‥‥

……!!

ほいではねぇー♪
このブログに来てくれてどうもありがとうございます。
秋ですねぇ、美味しいものいっぱい食べたいねー!!

2014年9月17日 @ 偕老同穴