前々回および前回エントリではねっ、
じぶんの知覚できる領域の事を「知覚範囲」とよびまして、
その範囲の
・「中」にあるもの(=知覚できている。)
・「外」にあるもの(=知覚できない。)
・「境界線」に接するもの(=掴まえることができる。)
ってゆーような分けかたをいたしまして。
そこから、「あたらしいであい」をするためには、
どこぞかの「知覚範囲外」より「境界線上」へと
流れ寄って来たものごとをなんとか掴まえる!
みたいなことが大事なのかも。と申しあげました。
なんかさ、そのことをブログ書いてて思ったのはさ、
おれってのはそーいう価値観と云いますか、
世界観のなかで生きているんやなぁー! ってさー。
だってふつうならば、
そんな「知覚範囲」の「中」と「外」とを分けなくても、
どんどん歩み出して行ってしまって。それは、
泳ぐであったり、船であったり、飛行機であったり。。。
でもおれってのは島の中央でぽつんと待ちながら、
たまに海岸線へと流れ寄る「異界のものごと」を
「どせいさん」的そんざいが持ち帰って来てくれる‥‥
‥‥と、そんなよーなの、世界観?!
なんかすっごいバリア張ってるかのよーな??
「どせいさん」的そんざいは
それらを掴まえて拾ってきてくれているときに、
(これはよいものひろったー! ぽえ~ん)とか
(これ、いらない。です。ぶーぶー)などなど仰りながら、
ご自身でご判断をされながら拾われるのだそうだけれど。
そのご判断にたいして、ぼくはその
「どせいさん」的そんざいのことを信頼してるからー、
んーと、まぁ、だいじょーぶっ!!
で、ときに感受性がちょっと鋭くなってしまうぼくが、
皮膚感覚をまるだしにして過ごすよりかは
この↑ような世界観をもって生活する。
ってのを、たぶんいつだったか発見をしたのだけどねぇ。
ちょっと最近、一歩ふみだしたい気もしている…
とおもって、
さらにあともうすこしだけ考えてみたのはねー
↑こんなかんじで、
数珠つなぎでつないで行ければ
もうちょっと遠くまで行けるかも知んないなぁー。。
ほいではね、よい週末の月末をぉ!!
2015年2月28日 @ 若者のすべて
じぶんの知覚できる領域の事を「知覚範囲」とよびまして、
その範囲の
・「中」にあるもの(=知覚できている。)
・「外」にあるもの(=知覚できない。)
・「境界線」に接するもの(=掴まえることができる。)
ってゆーような分けかたをいたしまして。
そこから、「あたらしいであい」をするためには、
どこぞかの「知覚範囲外」より「境界線上」へと
流れ寄って来たものごとをなんとか掴まえる!
みたいなことが大事なのかも。と申しあげました。
なんかさ、そのことをブログ書いてて思ったのはさ、
おれってのはそーいう価値観と云いますか、
世界観のなかで生きているんやなぁー! ってさー。
だってふつうならば、
そんな「知覚範囲」の「中」と「外」とを分けなくても、
どんどん歩み出して行ってしまって。それは、
泳ぐであったり、船であったり、飛行機であったり。。。
でもおれってのは島の中央でぽつんと待ちながら、
たまに海岸線へと流れ寄る「異界のものごと」を
「どせいさん」的そんざいが持ち帰って来てくれる‥‥
‥‥と、そんなよーなの、世界観?!
なんかすっごいバリア張ってるかのよーな??
「どせいさん」的そんざいは
それらを掴まえて拾ってきてくれているときに、
(これはよいものひろったー! ぽえ~ん)とか
(これ、いらない。です。ぶーぶー)などなど仰りながら、
ご自身でご判断をされながら拾われるのだそうだけれど。
そのご判断にたいして、ぼくはその
「どせいさん」的そんざいのことを信頼してるからー、
んーと、まぁ、だいじょーぶっ!!
で、ときに感受性がちょっと鋭くなってしまうぼくが、
皮膚感覚をまるだしにして過ごすよりかは
この↑ような世界観をもって生活する。
ってのを、たぶんいつだったか発見をしたのだけどねぇ。
ちょっと最近、一歩ふみだしたい気もしている…
とおもって、
さらにあともうすこしだけ考えてみたのはねー
↑こんなかんじで、
数珠つなぎでつないで行ければ
もうちょっと遠くまで行けるかも知んないなぁー。。
ほいではね、よい週末の月末をぉ!!
2015年2月28日 @ 若者のすべて