「壁」には、
2つの種類があるんじゃないかなぁ? と考えてて。
それはね、自然がつくった【天然の壁】と、
人間がうみだした【人工の壁】なんだけれども。
【天然の壁】と言うのは、
山や川や谷や海や砂漠やジャングルや大気圏や宇宙空間や。
【人工の壁】は、家や建物の「壁」とか「塀」、そして、
「ベルリンの壁」や「万里の長城」や「38度線」や
京都の「御土居」というような国境線的な境。また、
「バリアフリー」って呼ぶときの「段差」もそうですし、
「心のバリアフリー」って呼ぶときの「差別的段差」も
物質では無いけれど【人工の壁】と言えそう。
養老孟司さんが書いていた『バカの壁』って言うのもさ、
人間のうみだす「壁」なのだと感じる。
ってゆうときにねぇ、
じぶんが出くわしたその「壁」を「超える」ためには、
それが【天然の壁】なのか【人工の壁】なのかで
「超え方」がちがうんではないか?! っておもって。
それが、どちらとも困難であるにしろ。。
【天然の壁】の場合では、
橋とか船とかロープとかの交通手段や道具などを使って、
渡り超えるのでしょう、たぶん。そして、
【人工の壁】は、これにも2種類あると思っていて、つまり、
「体」がつくりだす【建造物の壁】と
「心」がつくりだす【精神的な壁】なのだけど。
どちらも超えるのはとってもややこしい気がするのよ。
いえ、【天然の壁】も非常に困難なものだとぞんじますが、
【人工の壁】というのはかなり複雑で厄介なような・・・
【建造物の壁】をたとえば「飛び越えて」越えようとすれば、
咎められたり通報されたり捕まったり罰せられたり
ときには撃たれたりしてしまうやもしれない。
なので、上から乗り越えて行くのは得策とは言えない。
地面を掘ったり、壁を壊したりするのも、よくないでしょう。
超えるにはどこか「関所」のような場所を通り抜けるしか、
たぶん方法はなくって。んでも、
その「関所」をちゃんとパスできるかどうかはわからない。
「通行手形」的なものが必要なんだろーなぁ。
あとは、奇跡的な「革命」が起きることが在れば、
「壁」も無くなるやもしれない。。。
もうひとつの【精神的な壁】の場合では、
それは目には見えない「壁」なので、
「超える」ことはおろか「認識する」だっても大変で。
(バリアフリーには成っていない「段差」も、
健常者にはなかなか見えなくて‥‥)
まずはその「認識する」ところからスタートしなきゃあ、
「壁」を無くしたりするのもできない。
これは、養老さんの『バカの壁』も同じかもしれねぇ~。
家の部屋を囲む「壁」の恩恵を受けてたりもするので、
「壁」自体が悪いものとは言えないっ。
どーしても分けることが大事なときだってあるだろうし。
けれど「壁」にたどりつき「超えよう!」とするときには、
その「壁」が【天然の壁】なのか【人工の壁】なのかを
見極めることが肝要だとおもったの。むつかしいけれど‥‥
アイディアが出ないとか、限界を超えられないときでの、
「壁」はどちらだろう???
人間の「皮膚」は、【天然の壁】だわー!
2016年3月31日 @ Heroes
2つの種類があるんじゃないかなぁ? と考えてて。
それはね、自然がつくった【天然の壁】と、
人間がうみだした【人工の壁】なんだけれども。
【天然の壁】と言うのは、
山や川や谷や海や砂漠やジャングルや大気圏や宇宙空間や。
【人工の壁】は、家や建物の「壁」とか「塀」、そして、
「ベルリンの壁」や「万里の長城」や「38度線」や
京都の「御土居」というような国境線的な境。また、
「バリアフリー」って呼ぶときの「段差」もそうですし、
「心のバリアフリー」って呼ぶときの「差別的段差」も
物質では無いけれど【人工の壁】と言えそう。
養老孟司さんが書いていた『バカの壁』って言うのもさ、
人間のうみだす「壁」なのだと感じる。
ってゆうときにねぇ、
じぶんが出くわしたその「壁」を「超える」ためには、
それが【天然の壁】なのか【人工の壁】なのかで
「超え方」がちがうんではないか?! っておもって。
それが、どちらとも困難であるにしろ。。
【天然の壁】の場合では、
橋とか船とかロープとかの交通手段や道具などを使って、
渡り超えるのでしょう、たぶん。そして、
【人工の壁】は、これにも2種類あると思っていて、つまり、
「体」がつくりだす【建造物の壁】と
「心」がつくりだす【精神的な壁】なのだけど。
どちらも超えるのはとってもややこしい気がするのよ。
いえ、【天然の壁】も非常に困難なものだとぞんじますが、
【人工の壁】というのはかなり複雑で厄介なような・・・
【建造物の壁】をたとえば「飛び越えて」越えようとすれば、
咎められたり通報されたり捕まったり罰せられたり
ときには撃たれたりしてしまうやもしれない。
なので、上から乗り越えて行くのは得策とは言えない。
地面を掘ったり、壁を壊したりするのも、よくないでしょう。
超えるにはどこか「関所」のような場所を通り抜けるしか、
たぶん方法はなくって。んでも、
その「関所」をちゃんとパスできるかどうかはわからない。
「通行手形」的なものが必要なんだろーなぁ。
あとは、奇跡的な「革命」が起きることが在れば、
「壁」も無くなるやもしれない。。。
もうひとつの【精神的な壁】の場合では、
それは目には見えない「壁」なので、
「超える」ことはおろか「認識する」だっても大変で。
(バリアフリーには成っていない「段差」も、
健常者にはなかなか見えなくて‥‥)
まずはその「認識する」ところからスタートしなきゃあ、
「壁」を無くしたりするのもできない。
これは、養老さんの『バカの壁』も同じかもしれねぇ~。
家の部屋を囲む「壁」の恩恵を受けてたりもするので、
「壁」自体が悪いものとは言えないっ。
どーしても分けることが大事なときだってあるだろうし。
けれど「壁」にたどりつき「超えよう!」とするときには、
その「壁」が【天然の壁】なのか【人工の壁】なのかを
見極めることが肝要だとおもったの。むつかしいけれど‥‥
アイディアが出ないとか、限界を超えられないときでの、
「壁」はどちらだろう???
人間の「皮膚」は、【天然の壁】だわー!
2016年3月31日 @ Heroes