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なら斬り開く?!

アジもホッケも、物事さえをも、斬り開く。

ENTER THE DRAGON

2016年03月28日 | 映画
「『【考える】とは、なにか?』を考える。」と言うのを
シリーズで書いていたブログのなかでね、
2016年2月3日のエントリでは、ブルース・リーのセリフ
【考えるな、感じろ!】について申しまして。

でも、ぼくはそのセリフを、
人づてで聞いたり本で読んだりして知ってるだけでぇ。
これまでブルース・リーの映画を観たことがないから。。
なので、いちど観なきゃと思ってレンタルDVDで、
『燃えよドラゴン』観たよ~。

初めて観ましてまず思ったのは、
ブルース・リーの身体がすごいっ!!
っていう感想ではまったく感想になってないと思うけれど、
そう思ったの。前側もせなか側もぜんぶすげぇー。
動きもすごいし、雄叫びの「ワチョー!」もかっこよいし。
【考えるな、感じろ!】を言うシチュエーションは、
ブルース・リーが弟子へ伝えることばだったのねぇ。
「なにか感じたか?」と問われた弟子が、
(そうだな…)って考えこみ答えようとしたので、
ブルース・リーは弟子の頭を軽くはたき
【Don't think. Feel. /考えるな 感じろ】を言う。
そのあとにつづくセリフも、どこか示唆的‥‥

最後の「鏡に囲まれた部屋」での戦いは白熱だったな。
戦いのとちゅう、映画冒頭で師匠より言われた
【忘れるな 敵は見せかけの“像”の姿で現れる】
のことばを思い出して、
ブルース・リーがどんどん周りの「鏡」を割ってゆくのは、
なるほどと思った。

相手は「武器」である凶器を手に持ち、
肉体のみのブルース・リーに襲いかかるんだけれど。
相手本人の持ち出したその「武器」が逆に仇となり、
相手はやられてしまう。。。
そーいうような「やられてしまう」みたいなことってば、
物としての「武器」だけじゃなくて、
たとえば「ことば」や「感情」だっても
同じなのかもしれないな。
「武器」のような「ことば」や「感情」が刃と成って、
相手を撃つことができたとしても、
同時にじぶんさえをも撃ってしまうリスクも高まる。

その「武器」を持ち出さなきゃあ、
起きなかった事態、というのが在るんだわー。

2016年3月28日 @ 人生は上々だ

あれは嘘だった?!(映画『モテキ』ver.)

2016年03月24日 | 映画
このまえ街を歩いてたときにふと思い出し、
それからちょっと考えていたことなんだけれども。

映画『モテキ』のさ、
主人公・幸世とみゆきが初めて逢って居酒屋で飲んでたとき。
そのシーンを、特典のスペシャルディスクでは、
長めのバージョンで観ることができまして。
その居酒屋での会話でね、、





みゆき「ヴィレヴァンで何買ったの?」
幸世 「あ、まー。なんかふつうに、マンガと、あと‥‥」
みゆき「(袋から出した品物を見て)進撃の巨人!!」
幸世 「あ、知ってる?!」
みゆき「やばいよね、これっ」
幸世 「おれすっげぇすきでさー。今いちばん来てるよね。」
みゆき「だよだよだよ。ほんと、やばいこれ!!
え? でもさ、ちょっと遅くない??」
幸世 「いやいや。おれ、別冊マガジンから
もうずっと連載から読んでて。で、まーそろそろ、
単行本にしようかなぁと。だっておれ、
別冊マガジンぜんぶ切り取ってあるからね、
あのー、進撃の巨人に関しては」
みゆき「なるほどね。けっこう、先輩だ。」






…と、ここで幸世が言う
別冊マガジンの『進撃の巨人』ぜんぶ切り取ってある。】
って嘘なんじゃないか?! とおもったの。
いや、本当に雑誌から切り取ってあるかもしれないけど、
みゆきから「でもさ、ちょっと遅くない?」って
すこしバカにされたように感じて、思いつきで言った。
ような気もしたー。

んでもよ、このことがもしも嘘なら、
こーいう小さな嘘ってボディブローのように
言った本人のからだを撃ち、しまいには境地に立つ。。。
ぼくも気をつけたいって思うんだけれど、
なんか口に出てしまうことがあったり、なかったり???

と、そして。映画『モテキ』の本編終盤。
ダイスケの主催する音楽フェスのバックヤードで、
ダイスケがみゆきへ言う場面でさ…





ダイスケ「あとで飯食おうな、ちょっと話あるし‥‥」
みゆき 「あっ、え、なにー?!」
ダイスケ「カミさんと話して、家、出ることにした。」
みゆき 「‥‥」
ダイスケ「これからはいっしょに住めるなっ」
みゆき 「‥‥」
ダイスケ「なんだよー。もっと嬉しそうな顔しろよぉ!」






…というそのダイスケのことばも嘘のような気がした。
どこが嘘なのかと申しますと、
【カミさんと話して】のところだわね。
たぶん、奥さんと【話して】はいない。
家は【出る】のだとしても言わずに【出る】ような気もする。
わからんけど。

そしてその直後のシーンでねぇ、
幸世がライターとしてあいさつをする
U-Zhaanさんの右隣で座るレイ・ハラカミさん。。。
どーしても、ジーンとくる。

2016年3月24日 @ Baby cruising Love

スラムダンクを知らなくても…

2016年01月19日 | 映画
映画『バクマン。』でなんだか印象的に感じたシーンはね、
サイコー&シュージンの仕事場に
サイコー・シュージン・福田・平丸・中井の
新人漫画家さんたちが集まって、
飲んだり食べたりしゃべったりする場面でのこと。。。

漫画家さんたちで集まったので、
北斗の拳』などのマンガの話で盛り上がるんだけれど。
グラフィックデザイナーを辞め漫画家になった平丸だけは、
それらのマンガ、例えば『スラムダンク』を知らなくて。
「えっ、スラムダンク知らないの?!」と皆から言われ‥‥
そのシーンがよいなぁーって思ったの。

『スラムダンク』はぼくら世代にはマストだし。
ぼくももちろん読んでるし。
でも、かと言って、みんな全員知っているわけじゃない。
知らないひとだって当然いるじゃん、平丸だけじゃなくて。
それは『バクマン。』の映画を観ている
お客さんの中にだって、
『スラムダンク』を当然のように読んでるひともいれば、
全く知らないひと、名前だけ聞いたことあるひとも、
いると思う。

映画スクリーン上で登場人物たちが
『スラムダンク』で盛り上がっているときに、
平丸が「それってなんのはなしをしてるんですか?」って
ツッコミ入れることでそういうような「知らない」ひとも、
置き去りにされないと申しますか。。
その、いろいろなひとたちへ向けられた感覚が、
観ていてなんだかうれしく思ったんだよね。

これまでにぼくが感じた大きなカルチャーショックはさ、
大学のゼミで人生初めて仲よくなった異性の友だちに
ある例え話をしようとしてぼくは、
漫画『クレヨンしんちゃん』を用いてしゃべったのだけど。
その子は『クレヨンしんちゃん』知らなくって。
ぼくにとっては小学生の頃から当たりまえのように観ていた
『クレヨンしんちゃん』が、
たとえ同い年であっても性別や生活がちがうことで、
当たりまえではなくなるんだぁ~! て知ったこと。。。

ささいなことかもしれんけど、
ぼくのなかではあれは衝撃的だった。

2016年1月19日 @ 新宝島(Instrumental)

WE ARE Perfume

2015年11月11日 | 映画
Perfumeのドキュメンタリー映画
WE ARE Perfume WORLD TOUR 3rd DOCUMENT
を観てまいりまして。

やっぱりさー、泣いてしまうんだよねー。。。
どーしてこう涙が出てくるかはわからないんだけども、
でもそれを「感動」っていうようにまとめてしまうのは
今はまだなんかちょっともったいない気もしていて。
このばあいはむやみにことばにせず、ふんわりと、
感覚を大事にさせときたいなぁ。っておもってる~。

映画とってもすてきだったですが、
とくには映画の【タイトル】がすてきとおもいましたっ!

『WE ARE Perfume』とは、
おなじみの自己紹介「3人あわせて Perfumeです!」の
ワールドツアー英語MCバージョンなのでございますが。
映画観るときのチケット買うためにさ、
【タイトル】を映画館うけつけの方へ伝えるじゃん、
「『WE ARE Perfume』◯枚、おねがいしますー」って。
それをじぶんで口にした瞬間(はっ!)と思ったのがよ、
今『WE ARE Perfume』って口で言ってしまったし、
それは映画の【タイトル】ではあるんだけど
でもぼく自身そう言ったていうことは、なんだか、
じぶんもその「WE」の中に入り込んだ。みたいな。。。
つまり『WE ARE Perfume』と口にした全員が、
「Perfume」に成ってしまう構造???

これがたとえば日本語だとそうは成らなくて、
英語での『WE ARE Perfume』ということばだからこそ
うまれるシステム、と申しますか‥‥

さらにそれが「映画」だからねぇ。
映画ってインターネットで購入する時は別にして
チケットカウンターで【タイトル】を口頭で伝えるので、
観るまえに一度はそれを「口」にするという
コミュニケーションが発生するとおもうんだけれど。
(あたかもキーワードを言わなきゃ入れない扉みたいな…)
そーいうコミュニケーションって映画以外ですと
なにか他にあるー?? CD買うにもコンサートへ行くにも、
ネットショッピングじゃないとしてもお店や電話で
【タイトル】を「口」にする機会ってなかなかなくて。

‥‥の、そのよーなことを、
映画『WE ARE Perfume』を観ながら考えておって。
うーんと、なんかうまく言えないんだけどね、
世界中のかたたちがどんどん
「Perfume」に成ってゆく光景、と申しますか???
そんな感じの光景が浮かぶ的な【タイトル】がすてきだなぁ、
とおもいました~。

2015年11月11日 @ STAR TRAIN

「救う」について。(おまけ編)

2015年11月01日 | 映画
前回までの3つのエントリでは、
映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー』シリーズの
ストーリーより「救う」について申しましたですが。
本日はその後日談的な?? おまけみたいなのを申しやす。

ドクとクララの命を救ったマーティはその直後、
ひとりで1985年へ戻り。
ドクは1885年のせかいに残るコトになってしまったけれど。
観た方ならばよくごぞんじの、そのあと、
ドクが◯◯型のタイムマシーンに乗り1985年へやって来る!
マーティのまえにあらわれたドクは、
1885年で撮影をしたふたりのあるおもいで写真を
マーティへ手渡し、そしてドクとクララのあいだに生まれた
こどもたちをマーティに紹介する。

それはさ、たぶん、
『PART3』でマーティより譲り受けた「未来」のせかいの
「ホバーボード」をなんかうまいこと使いつつ、
ドクがタイムマシーンを作り直したんだと思われるけれど。。
もしもマーティが、
ふたりの命を救うコトができなかったならば、
ドクとクララのこどもたちは世に生まれて来なかった‥‥

そのコトへのお礼とさ、お礼の品としての「写真」を
どーしてもマーティへ届けたくその想いを動機にして、
ドクは1885年のせかいで開発したのだと思い、
改めて、感動的だなぁ!! って感じたんだよね。

1955年「車輪のついた木の板」が、
1985年「スケボー」となり。そして、
2015年宙に浮く「ホバーボード」が市販される。
2015年の時代で女のこより譲り受けた「ホバーボード」が
ふたりの命を救い、さらにドクへと受け継がれた
「ホバーボード」によって(←推測。)、
マーティはお礼をいただくコトができた。。。

そのよーな物語なのかもとこのたび視聴しておもったです。

2015年11月1日

「救う」について。(後編)

2015年10月31日 | 映画
前々回前回エントリ、からのひきつづきです。】

『バック・トゥ・ザ・フューチャー PART3』では、
あるトラブルにより1885年へタイムスリップしてしまった
ドクを助けるため、マーティも1885年へとゆき。
そしてもういきなりラストシーンまで飛びますが、、、
大ピンチに陥ったドクと、ドクが1885年のせかいで出合った
女性・クララの命をマーティが救う!!

‥‥的な、そんな「救う」についてを書こうとおもっての、
こんかいのブログシリーズなんだけどね。

ドクたちのピンチを救ったのが、
マーティが2015年の未来で女のこより譲り受けた
「ホバーボード」。
超高速で走る機関車に引っかかって動けなくなった
ドクとクララを、マーティは手元にあった
「ホバーボード」で助けられるかも? と気がつき、
ドクの足元にそっと投げる。
「ホバーボード」には足にハメるストッパーがついており
ちょうどそこにドクの足がうまく合わさり、
ドクとクララは助かった‥‥

そのピンチを「救う」ためにはさ、
たとえば車輪がついた「スケボー」じゃダメなんだよね。
車輪だと地面と接するのでドクの足に届かせるのが不可能で、
宙に浮く「ホバーボード」でなきゃ届けられない。

そして前回も申しましたが「ホバーボード」を、
マーティが未来のせかいで女のこより正式に譲り受けた。
ていう事実も見逃せない。たとえばこれが、
だれかから奪ったりどこかから盗んできたりしていたら、
たぶんダメでよ。
そっと投げた「ホバーボード」がドクの足にハマるかどうか
って「運」もかなり必要だから。譲り受けたときに、
「ホバーボード」にはその「運」が貯められて、
そのおかげもあってドクとクララを救うことができた。

ロールプレイングゲームみたいにさぁ、
これまで行くコトのできなかったせかいでゲットした
アイテムを、じぶんだけのモノにするんでなく渡す。そして、
渡された側もそれをそらすコトなく確実にキャッチする。

そんな2つのコトが「救う」には大事とおもいまして、
このようなブログをこんかい書きました~。

2015年10月31日 / ハロウィーン

「救う」について。(中編)

2015年10月30日 | 映画
前回エントリよりひきつづきです。】

映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー』シリーズ内で、
「スケボー」っていうのは、
ひじょーに重要なアイテムだとおもうんだけども。
jほんじつまずはそのコトについて。。。

『1』の冒頭では、マーティが、
走っている車の後ろにつかまりながら通学をするシーン。
そして1955年へタイムスリップ、ビフ達から逃げるときに
男のこがあそぶおもちゃの車をマーティが拝借して、
その上部を手で外し「スケボー」として使うシーン。
冒頭のごとく走っている車につかまって走って。さらに、
追いかけるビフ達が最終的に肥料をかぶってしまうのが、
シリーズのお約束になってるですが。。。

『PART2』では2015年の未来へタイムスリップ、
ビフの孫・グリフ達から逃げるときにこんどは
女のこがあそぶおもちゃの車をマーティが拝借して、
その上部を手で外し「スケボー」として使うシーン。
おもちゃの車には車輪がなくって、
それがつまり宙に浮く「ホバーボード」。
グリフ達はマーティを追うのにしっぱいし、シリーズ全体の
要と言える「時計台」のガラス窓を打ち破る事故を起こし、
マーティはぶじに逃げ切るコトができた!!

女のこに「ホバーボード」を返却しようとするも、
女のこはグリフがいま使っていた
最新鋭ジェットパワーの「ホバーボード」を手に持ち‥‥





"Keep it. I got a Pit Bull now.(こっちのほうがイカすわ)"





‥‥と言って、
マーティは正式に(←ここ重要!)「ホバーボード」を、
女のこから譲り受ける。

譲り受けた「ホバーボード」をさ、
マーティはこれからの時空の旅にも大事にたずさえながら、
『PART2』シーンつづきでの1955年、
『PART3』での1885年へと物語は進んでゆく、けど。。。

(さらに次回へつづきます。)

2015年10月29日

「救う」について。(前編)

2015年10月29日 | 映画
なんかなぜだかあの日から、
『バック・トゥ・ザ・フューチャー』について考え続けて。
それもねぇ、『PART3』での最後のシーンは、
じぶんにとって特に重要なコトが示唆されているよーな
そんな気がしましたのでブログに書いてみたいと思います。

それはさ、「救う」について。なんだけれど‥‥

このコトを書くまえにまずは、
「未来」について書こうとぞんじまして。
『バック・トゥ・ザ・フューチャー PART2』で描かれた
未来がこの2015年現在とどれだけ合ってる?違ってる?
てのがけっこう話題になっていたと思うんですが。
なにか未来予測みたいなのぼくはあまり興味を抱かなくて。
どちらかといえば『PART2』での未来ってさ、
「未来」というよりは「未来的」だなぁ! とおもったの。
なんてゆうのかな、映画のね、
未来のシーンの雰囲気と申しますか空気感と申しますか、
もう観るからにそこは「未来」の世界だわ! てぇのを
いま観ても感じるってばそれはなんか、
現実の「未来」と言うより「未来的」かのような。。。

たとえば空を飛ぶ車&空中のハイウェイ。
秒刻みの天気予報。着たまま水を自動で乾かすジャケット。
食べ物の体積が大きくなる電子レンジ(かな??)。
なんかつまり自然現象・物理運動を制御したり克服したり、
テクノロジーで超越したりするコトが「未来っぽさ」で、
それこそ「未来的」だと言えるんではないか?!

そして映画のなかでさ、
そのよーな「未来的」のいちばんの象徴がねぇ、
宙に浮くスケボー「ホバーボード」なのだと思って‥‥

(次回につづきます。)

2015年10月29日

10953日

2015年10月26日 | 映画
先日話題となりました、
映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー PART2」では、
1985年10月26日から2015年10月21日へと
主人公たちがタイムスリップをいたしまして。
(ちょうど先週水曜日が過去よりやって来た当日の日)
話題にあやかりぼくもひさしぶりDVDを観たですが、
そのときおもったコトを申しあげます。。。

1985年10月26日から2015年10月21日までというのは、
計算するとぜんぶで「10953日」みたいなのだけれど。
(わたしの計算ちがいでなければ…)

その「10953日」をタイムスリップならば一瞬だけども、
ふつうは1日、1日、と経過させながら、
ようやくたどりつくような長い時間で。
そのあいだ、たとえばどのようにすれば、
進歩というか成長というかブレークスルーというかの
ようなコトができるんか? と思ったの。

なにもしなければなにも起きなくって、いやむしろ、
ドラッカーの言う「あらゆる物事は陳腐化する。」みたく、
日ごと悪くなってゆくかもだし。では、
ならば「なにかをすればよい!」とは言ってみても、
なんでもよいからすればすべてがブレークスルーにつながる
ていうわけでもなさそう。。
そしてまたこのこれをこのままやっていれば、
ウん年後の○月×日なん時なん分にブレークスルーが起きる!
的な予定をたてるのも不可能っぽいし‥‥

10953回、夜が明けたとしても、なにがどうなるか?!

映画のなかではさ、
1955年「車輪がついた木の板」だったモノが、
1985年「スケボー」、
2015年「宙に浮くホバーボード」となっていて。
その60年間のあいだにどんなコトが起こっていたのか???
いつ、だれが、なにを、どうすれば、なにが、どのように、
変化してゆくか。

そんなこれからの未来のコトをおもっておりました。

2015年10月26日 @ 最強のこれから

「水曜日」のこと

2015年10月22日 | 映画
昨日のブログを書くまえにね、マーティたちが
過去からやってくる時間だけは確認しようとおもって。
「バック・トゥ・ザ・フューチャー パート2」の、
冒頭5分間を先に観ていただけどね。
そのシーンでマーティはドクに、





"What's going on,huh? Where are we? When are we?
(ここはどこ? いつの時代なの?)"






そう訊ねればドクからの





"We're descending toward Hill Valley, California,
at 4:29 p.m., on Wednesday, October 21, 2015.
(カリフォルニアのヒル・バレー
午後4時29分 2015年10月21日 水曜日)"






という応えにマーティが、





"2015? You mean we're in the future.
(2015年だって? 未来に来た!)"






‥‥のようにおどろく場面がございまして。
そのなかでね、
「水曜日」ってドクが言うのがよいなぁとおもった。

デロリアン(タイムマシーン)に搭載されている
行き先の時を示すデジタル表示盤には、
「曜日」の表記はないんですがあえてドクは説明していて。
それを聞いたぼくがカレンダーを見れば本当に「水曜日」で…
(あぁー、きょうは「水曜日」だわ!)て思いながら。。
そこでドクが「水曜日」って言っても言わなくても、
たぶん別にどっちでもよいのだけれどそれを言うことにより
あきらかに真実味の増す感じがおもしろくって。

ほんとうに昨日は「水曜日」だったし。なんかさ、
過去より予言されておったみたいな???
(いや、調べれば解ることだとおもうだけども。。)
その感じがどこか興味ぶかくって、
昨日のブログタイトル最後に(水曜日)と付け足したの。

「曜日」って、まいにちにあって。(たぶん原則的に言えば…)
たとえばぼくの誕生日である1982年3月14日は、
「日曜日」だし。ほかにもインターネットで調べてみると、
ジョン・レノンが殺害された1980年12月8日は、
「月曜日」。
本能寺の変があった天正10年6月2日(1582年6月21日)は、
「木曜日」(←ユリウス歴、と記されてるけど。??)
そして、未来の2100年1月1日は、
「金曜日」。また、さらに、さらに、未来では。。。。

「曜日」とはそもそもなんだろう?? ともおもったり‥‥
そしてきょう「パート3」を観ますっす。
たのしみ~!!

2015年10月22日 @ Beat It

OCT 21 2015 PM4:29(水曜日)

2015年10月21日 | 映画
ほんじつはあの話題のスペシャルデーでございますので。
その日に合わせまして、
昨日「バック・トゥ・ザ・フューチャー」を観まして、
きょうの当日「パート2」、あしたに「パート3」観る予定!

昨日観ていてちょっとふと感じたですが、
「バック・トゥ・ザ・フューチャー」シリーズってば、
まさに【因縁】が描かれたおはなしなのよねぇ。
先日のエントリでは【因縁】のことについて記したけれど、
「バック・トゥ・ザ・フューチャー」は、
映画これまで観てたときはそーいうの考えもしなくって、
なんだか初めて思ったわ。

そのことを少しあたまに入れながら、
きょうあす観てみたいとぞんじます~。

‥‥と、そーいえば。。。

なぜだか今どうしてもじぶんのからだが求めてしまい、
本棚からまた取り出して来て村上春樹さんの小説
『海辺のカフカ』を読み返しておるですが。考えてみれば、
『海辺のカフカ』も【因縁】のおはなしだわ!

ちょっとまえになんか読んでみようって思ったときは、
でも本を開いてもぜんぜんことばが入ってこなくって、
だからあきらめたんだけど。今はさ、もうめっちゃ読める!
からだが受け付けないときもあれば読めるときもあって。。。
というような読める時期のタイミング的なコトって、
なんだか不思議とも思ったり‥‥

今が、そういう時なのかもしれないー。

2015年10月21日 @ The Power Of Love

映画館でのおもいで。。。

2015年10月14日 | 映画
映画『バクマン。』を観てから、なんとなく、
映画館で映画を観る良さみたいなコトについて思っていて。
なので、これまでの映画館でのおもいでを、
ちょっと思い出しながらブログ書くです。

まずは、なんでしょう。。。

『バクマン。』の監督・大根仁さんの映画
恋の渦』をぼくは名古屋「ピカデリー」で観たですが。
何時くらいだったかは忘れましたが夜の回でしたので、
鑑賞後の興奮のまま名駅まで歩き、
興奮のまま電車に乗り豊橋まで興奮して帰ったのをおぼえてる。

名古屋つながりで。
ヤーチャイカ』を今池の「シネマテーク」で観まして。
そのときは谷川俊太郎さんが舞台挨拶で来られていて、
谷川さんにサインと握手をしていただいたのが感激だった!

舞台挨拶つながりで。
エンディングノート』の監督・砂田麻美さんが
豊川コロナワールド」で挨拶をされるというので、
参りまして。
地元で舞台挨拶てのはなかなか無いからたのしかった~。

地元つながり、ていうほどでは無いのだけれど。
『英国王のスピーチ』を「ユナイテッドシネマ豊橋18」で
観たときにね。ちょうどそのときぼくの席の右後ろの方には、
欧米のかたが何人かで観ておられて。
それでさ、あるジョークを言うシーンだったと思うんですが。
そのジョークをぼくは字幕を読んで笑ったのだけど、
欧米のかたは英語のセリフを聞いてから笑うので、
笑い声にズレがあって。その感覚がおもしろかった!!

ビューティフル・マインド』を同じく「豊橋」で観たとき
チケットコーナーで中学の同級生と数年ぶりに行き合い、
おー、ひさしぶり!と言って、なに見るの?って訊ねたら、
たしか彼は「『ブラックホーク・ダウン』だよ。」
と、そーゆーようなおもいで、と。。。

ブログ長くなっておりますが、あと、もう少しだけ・・・

小学生のころ、友だちのおうちへ遊びに行ったときにね。
友だちのご家族でこれから映画館へゆくというので、
ぼくもご一緒させてもらうことになり。そのときは、
『クリフハンガー』だったとおもうだけど。
ぼくはそのときはじめて洋画を映画館で観た気がするわー。

小学生のときつながりで。小1か小2のころ、
ドラえもんの『のび太の日本誕生』を観たときにはよ、
もう怖くって。とちゅうで席を立ち父親を連れて外で
休憩してしまったもんね。(頑張ってまた席へ戻ったよ。)

お知り合いや友だち・みんなで観ました、
カケラ』『千と千尋の神隠し』『ドリヴン』『監督失格
ビッグ・フィッシュ』などなどは、
映画の内容以上に一緒に観たっていうおもいでがつよい!!

そして。京都にひとりで旅行へ行ったときにね。
南極料理人』をさ、あんまり地元のほうでは
やってなかったんだっけかな? よく覚えてないだけども。
TOHOシネマズ二条」で観まして。観終わったあと
宿まで戻るとちゅうでふと入ったラーメン屋さんで、
ラーメンとギョーザにビールを頼んだ気がする。。。

そーいうようなおもいでってDVD借りて部屋で観ても、
なかなかできないし、味わえないし、あまりおもいでとして
残りにくいような気がするのよね。
そーいうおもいで「込み」の「映画」なのかもしれない~。

2015年10月14日

映画『バクマン。』

2015年10月11日 | 映画
映画『バクマン。』を観てまいりまして。
そして昨日の夜「ほぼ日」でネット生中継されました、
監督・大根仁さん×糸井重里さん対談
(途中からはプロデューサー・川村元気さんも登場。)
観たよん。おもしろかったよん!!

なんかつきなみな感想なんだけども。
これはまさに映画公開が事件でさ。音とか、映像とか、
もう映画館のスクリーンで観たほうがよいとおもうだよーん。
小松菜奈さんのかわいさ、とか、さ。

なんて申しましょう。。。

ぼくなんかですと、
これまでの漫画の歴史を想ってエンドロールのときに、
爆笑しながら泣けた。。。
ぼくはもう「ジャンプ」読んでいなくって、
真剣に読んでいたのは中学高校のときなので。たしか、、、
『幕張』と『すごいよ!!マサルさん』どっち派か??
の世代なのかねー。

あとそれからね、今だに何故かはわからないのですが。
『ナルト』の連載始まったときだったと思うのですが、
そのときにどーしてだかじぶんのなかで
もう「ジャンプ」が読めなくなってしまい…
んでも、今スマホのアプリで『ナルト』読んでいるだよ。
当時どーして読めなくなってしまったのか?! が、
ちょっとトラウマだったもんでそれも考えながら読んでる~!

って、なんのはなしだっけ???

そーそー。映画『バクマン。』のことだった。
現況からどうすればステップアップは可能に成るか? 的な
こと等も想ったりしながら。。。

2015年10月11日

『そして父になる』の「なる」のこと。

2015年05月30日 | 映画


【これまでのエントリ。】

・第1回 とある予告的な。 2015-05-18_MON
・第2回 「将棋」は、戦争のゲームなのか? 2015-05-19_TUE
・第3回 そう思った3つの理由。(前編) 2015-05-20_WED
・第4回 そう思った3つの理由。(後編) 2015-05-21_THU
・第5回 必死のお願いと「持ち駒」のこと。 2015-05-22_FRI
・第6回 わたしが「持ち駒」となる時には‥‥ 2015-05-23_SAT
・第7回 プレゼントを抱きながら。 2015-05-24_SUN
・第8回 「贈る」か、「戦場」か。 2015-05-25_MON
・第9回 トイレ&食事で、成る?! 2015-05-26_TUE
・第10回 ひとは「成る」か。 2015-05-27_WED
・第11回 こじつけの理屈だけれど… 2015-05-28_THU
・最終回 先に、とゆう矛盾?? 2015-05-29_FRI




前回がシリーズ最終回だと申し上げながらも、
ひとつだけ、書くのを忘れていたことがございまして。
それはねぇ、
是枝裕和監督の映画『そして父になる』での
「なる」のことです。。。

『そして父になる』のラストシーンでは、
訪れた父(福山雅治さん)の顔を見た途端に去り
どこかへ歩いてゆく息子。追う父。
追いかけながら父は去ってゆく息子にへと
いくつかのことばを投げかけ‥‥

‥‥とゆうそのシーンを観ました時にぼくは、
これはどういうことなのでしょう?? とおもって。
そこからね、
これまでこのブログで申し上げてまいりました「将棋」での
「成る」のコトを考え始めた。

似てる! っておもったんだよね。
『そして父になる』の「なる」と、
「将棋」での「成る」の感じがさ。。

父が、息子の位置までなんとか歩み寄ろうとこころみて、
そしてある「境界線」を超えたとき、父は「父」に成った。
とゆう解釈なのですが。
うーんと、このへんは、まだなんかうまく言えない。

えっと、つまりはさ、
『そして父になる』の「父」のように、
じぶんが、じぶん自身の局面で
「成る」ことができるようなじぶんに成るために‥‥

みたいな気持ちで、ぼくはこの
ブログシリーズを書こうとおもったんかも知れんです。
と。そして次回、あともう1回だけ
エピローグを申し上げます~!

2015年5月30日 @ ゴールドベルク変奏曲~アリア

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その「包丁」は、「包丁」であり!

2014年09月20日 | 映画
【こんかいのエントリにも、前回ブログより引き続き、
 とある映画(西川美和監督の『夢売るふたり』。)からの
 すこしのネタバレがございます。】


ではさて。ほんじつのブログでは、昨日の
「物に宿られる曰く因縁。」
というタイトルで書き出したけど長くなりそうだったので
「後半へつづくっ!」としようとしてみたあのあれ、の
後半を記します。どうぞよろしく~。

詳しくは昨日エントリに譲りますとして、さっそくっ。

前回では、西川美和監督の映画『夢売るふたり』の
とあるシーンのことを申し上げているところでありました。
そのシーンではね、「包丁」が出てくるの。

松たか子さん演じる妻と阿部サダヲさん演じる夫が、
火事で消失したお店の再建計画として行った
結婚詐欺が元となり、
あまりにも複雑に交錯してしまった男女関係の混乱のため、
あるひとがあるひとを、「包丁」で刺そうとする。

でも、それは未遂と終わるのね。

そしてぇ、その「包丁」を次に手にしたひと
(当初刺そうとしたひととは、まったく別のひと)が、
うえ↑の箇所で申しました被害に合われるはずだったひと
とはまったく別のひとを、刺すことと相なる‥‥

‥‥のシーンはとても強烈で。しかもまた、
そこにはいろいろな解釈が出来るのかとは存じますが。
ぼくはね、当初の「『包丁』で刺してしまおう。」って
「あるひと」がこころのなかで想像してしまった時点で、
「包丁」は、もう「包丁」では無くなり、
「凶器」と化してしまった。かのように見えました。

「あるひと」の「殺意」が「包丁」へと乗り移り、
そのときに、「包丁」自身が
(そうか、わたしは「包丁」ではなく「凶器」なんだ。)
と認識してしまった。

だから、次にそれを手にした「あるひと」が
その「因縁」のような想いと感応してしまい、
刺すこととなった。と、ぼくは解釈したのだけれども。
まぁ、ほんとうのところは分かりません。。。

んでもね、そんなようなこと↑がもし有るとしたならば、
「物」というものには、「よい」も「わるい」も
そのような「気持ち」って云うものが、
「宿る」ものなのかもしれないなぁ。と想います。

だからこそ、たとえばさー
ぼくの目の前に有られるコンピュータとキーボード。
また、携帯電話やペン。カッターナイフ&はさみ。カメラ!
と、そとを眺めれば、クルマ。などなど‥‥

を、もっと大事に丁寧に使いたいなー。ってゆーのと、
もひとつ!

商品を購入するときも、その「商品」に
どんな「想い」が籠められているのか。を少し考えながら、
お買い物したいなー!! と感じましたっ。

それではねねんねん。
このブログに来てくれてどうもありがとうございます。
どーぞ、素敵な週末をお過ごしになられますよーに。。。

2014年9月20日 @ ブレーメン BREMEN