小学校から大学にかけて、ミリオタ的な人物と何度か話し、自分も多少その気配はあるが、私は兵器がかっこいい事よりも、自分でもいくらかやってみたいと思っているような、飛んで短時間で移動するとか何かを探知するという事を実際に行っている機械の機構に少し興味があって、あまり機種とかそういうのは覚える気はない。機構の図解さえ手に入ればあまり評価が高いものでなくても嬉しがって見て散らかしておく傾向があって、あまりオタクには向いていなかったかもしれない。
最近になって気になっていることは、多くの人が想像している兵器の種類や戦い方や小型の精密誘導兵器が発展する前のもので構成されていると思われることだ。
大昔、第一・二世界大戦の頃は大艦巨砲主義という、大きな船ほど搭載量が大きく、航続距離も長く、耐久力も高いので戦闘力も高いという考えがあってある程度成功していた。しかし、第二次世界大戦においては誘導兵器や歩兵が戦車を撃破できるパンツァーファウストのようなロケット砲などが登場し、ベトナム戦争の頃には携帯式のFIM-43や9K32 ストレラ-2のような誘導ミサイルも登場した。その後も誘導兵器の進歩は続き、ジャイロやセンサは非常に小型化され、慣性航法だけでなくGPSなどの衛星測量システムと組み合わされてほぼピンポイントで目標物を狙うことが現在では可能となった。
そのような状況では対象が比較的大きく、レーダー探知や視認がいつでもできる存在であるとは限らない。なぜなら、戦争に用いられる爆弾の搭載薬量が大きいのはピンポイントで狙うのが難しいので、より多くのものを破壊して、その中には重要なものも含まれているであろうという発想でやむを得ず、遠方から確認できる程度に大きくしていたのであって、重要なものピンポントで狙えるならば、搭載薬量を少なくしたりして小型化し、発見を難しくする方がエネルギーの面で経済的で人の犠牲が少なく済む。放ったロケット弾が敵に当たるまで探知されずにすべてSPOF(Single Point of Failure)と呼ばれる戦車の砲塔のような致命傷になる狙いどころに当たり、弾数があって発見・阻止されなければ理論上は一人で中国軍やアメリカ軍、自衛隊にチープキルだけで勝てる。
カモメが艦艇の周りを飛び回り、虫が基地の地面をも這って歩いているのが可能性の証明である。
そのような事情で諸国が精密・自動・小型化を進めた結果、将来的には人が現場で身体的感覚を伴って兵器を操縦することや、人間に威圧感を持って迫ってくるのほどに大きなものは少なくなり、人を惹きつけなくなるだろうと思われる。
人を惹きつけなくなればファンタジーの題材ではなくなってイメージもされなくなり、オタクやアマチュアの収集家も少なくなってしまうように思われる。
最近、「艦隊コレクション」とかが流行っていたが、それが寂しいという気持ちがあったから作られたという事もあり得ないことではないと私は感じている。
最近になって気になっていることは、多くの人が想像している兵器の種類や戦い方や小型の精密誘導兵器が発展する前のもので構成されていると思われることだ。
大昔、第一・二世界大戦の頃は大艦巨砲主義という、大きな船ほど搭載量が大きく、航続距離も長く、耐久力も高いので戦闘力も高いという考えがあってある程度成功していた。しかし、第二次世界大戦においては誘導兵器や歩兵が戦車を撃破できるパンツァーファウストのようなロケット砲などが登場し、ベトナム戦争の頃には携帯式のFIM-43や9K32 ストレラ-2のような誘導ミサイルも登場した。その後も誘導兵器の進歩は続き、ジャイロやセンサは非常に小型化され、慣性航法だけでなくGPSなどの衛星測量システムと組み合わされてほぼピンポイントで目標物を狙うことが現在では可能となった。
そのような状況では対象が比較的大きく、レーダー探知や視認がいつでもできる存在であるとは限らない。なぜなら、戦争に用いられる爆弾の搭載薬量が大きいのはピンポイントで狙うのが難しいので、より多くのものを破壊して、その中には重要なものも含まれているであろうという発想でやむを得ず、遠方から確認できる程度に大きくしていたのであって、重要なものピンポントで狙えるならば、搭載薬量を少なくしたりして小型化し、発見を難しくする方がエネルギーの面で経済的で人の犠牲が少なく済む。放ったロケット弾が敵に当たるまで探知されずにすべてSPOF(Single Point of Failure)と呼ばれる戦車の砲塔のような致命傷になる狙いどころに当たり、弾数があって発見・阻止されなければ理論上は一人で中国軍やアメリカ軍、自衛隊にチープキルだけで勝てる。
カモメが艦艇の周りを飛び回り、虫が基地の地面をも這って歩いているのが可能性の証明である。
そのような事情で諸国が精密・自動・小型化を進めた結果、将来的には人が現場で身体的感覚を伴って兵器を操縦することや、人間に威圧感を持って迫ってくるのほどに大きなものは少なくなり、人を惹きつけなくなるだろうと思われる。
人を惹きつけなくなればファンタジーの題材ではなくなってイメージもされなくなり、オタクやアマチュアの収集家も少なくなってしまうように思われる。
最近、「艦隊コレクション」とかが流行っていたが、それが寂しいという気持ちがあったから作られたという事もあり得ないことではないと私は感じている。