「フッサール哲学における発生の問題」より引用。
(著者:ジャック・デリダ(Jacques Derrida)、
訳者:合田正人、荒金直人)
「まず、発生というものを素朴かつ可能な限り形式的に検討すると、その概念は二つの矛盾する意味を兼ね備えている。起源(origine)という意味と生成(devenir)という意味である。というのも、一方で発生とは誕生であり、先行する審級に還元できないある瞬間もしくはある「審級」の絶対的な立ち現れであり、創造であり、根本性であり、己以外のものとの関係を絶つ自律である。要するに、絶対的起源----それを存在論的あるいは時間的に検討するのであれば起源性(originarité)、それを価値論的に検討するのであれば独自性(originalité)----なしに発生というものはなく、一切の発生的生産は、当の生産でないものに対する超越性(transcendence)によって現出し、意義をえるのである。
しかし、それと同時に、発生を包含する存在論的で時間的な全体性の内部でしか、発生というものはない。一切の発生的所産はそれ自身以外のものによって生産され、ある過去によって懐胎され、ある未来によって要請され導かれるのである。この発生的所産は、ある文脈のなかに組み込まれてのみそれ特有の意味となり、独自の意味を持つ。そしてその文脈とは、一方でこの所産自身のもの、すなわちこの所産がそこに属し、関与し、それと連続しているところのものであり、ある意味でこの所産から帰結し、極限的にはこの所産に含まれ、この所産が内包・理解し、熟知しているところのものである。しかし他方では、この文脈はその所産を超過し、あらゆる側面からそれを包み込んでいる。発生とは包摂、内在性(immanence)でもある。」(p.8、発生の諸矛盾)
なんか、すごい文章だなあと思った。
この本、デリダの修士論文の訳だそうで、
デリダが20代前半のころに書いたものらしい。
それはさておき、2つ目の段落に書いてあることは、
ふつうの感覚ではなかなか理解しにくいよね・・・。
「ある未来によって要請され導かれるのである」という
表現が象徴的だけど、
ふつう、「いま、現在」に起こっていることというのは、
過去にどういうことが起こってきたかによって決まるわけで、
「未来が現在に何かを要請する」ということは、
一体何を意味してるんだろう・・・。
ふつうの過去、現在、未来という時間の感覚が
通用しない。
う~む・・・。
困ったときはYoutube(笑)
http://jp.youtube.com/watch?v=Ti_O5jbaD34