坂道をのぼりながら

感じたこと、考えたこと、などなど。

ドレスデン聖十字架合唱団 「マタイ受難曲」

2007-02-27 01:37:34 | Weblog
昨日は、大阪中之島にある
フェスティバルホールへ。

ドレスデン聖十字架合唱団、
ドレスデン・フィルハーモニー管弦楽団による、
J.S.バッハの「マタイ受難曲」の演奏を聴いた。

2階のかなり上のほうの席だったので、
オーケストラ全体の動きをよく見ることができた。

少年合唱団には、小学生から高校生くらいまでの子がいて、
なめらかで透き通るような声を会場一杯に響かせていた。

オーケストラは、バイオリン、チェロ、
笛系(フルートやオーボエやクラリネットの区別がつかない)が、
さまざまな音色のメロディーを奏でる。

そして指揮者が、体全体を大きく小さく動かしながら、
ひとつのイメージを作り上げていく。

2階席から指揮者、オーケストラ、合唱団の様子を
漠然とみていたら、脳の中もこうやって、
いろんなパートに分かれていて、それぞれのパートが
ときには激しくときにはゆったりと活動してるのかなあと、
なんとなく思った。

あ、そうだ、指揮者の前には、
男性のオルガン奏者が2人いたっけな。

あのオルガンの低音は、
気が付けば、底のほうを脈々と流れていたような気がする。

「気がする」というくらいだから、
あってもなくても音楽全体にとってみれば大きな影響はないのかというと、
それは違うのだろう。

その音はちゃんと無意識には聞こえていて、
音楽体験を確かに形作っているのだと思う。

ところで、「マタイ受難曲」は宗教音楽。
苦悩する魂の叫びが、救いを求める魂の叫びが、
たくさんの人たちの心をひきつけるのだろうか。
日本人である僕に、本当に「マタイ受難曲」を
理解することができるのだろうか。

いろいろ考えさせられもしたけど、
とにかくスケールの大きな音楽だった。

どこかのホームページで読んだのだけど、
生前、武満徹は、
死ぬ前には、「マタイ受難曲」を聞きたいと、
言っていたそうである。

これがあの「七輪」なのか

2007-02-24 04:41:27 | Weblog
午後の1時からだと思っていたミーティングが、
実は午前中からだった。

ミーティングには午後から参加。

今日のメインテーマは、
dimension reductionの話だった。

dimension reductionは、
次元を減らすということ。

自由度あるいは次元がたくさんある現象、
例えば、コーヒーにミルクが混ざるという現象を
分子レベルでみれば、膨大な数の分子が衝突しながら、
動き回っているのであって、一つ一つの分子を
一つの自由度と考えると、
とてつもなく大きな自由度を持つ現象ということになる。

物理学の統計力学(statistical mechanics)においては、
このようにミクロな視点に立ってマクロな現象の記述が行われる。

一方で、マクロな現象を少ない自由度で記述するのが熱力学。
マクロな現象を記述するための適切な変数を選択することで、
少ない自由度でも見事に現象の本質を捕らえることが可能となる。

こういった熱力学と統計力学の関係は、
dimension reductionの話と深いところで関係しており、
とても興味深かった。

なぜが僕も急に発表することになり、
前の発表者が発表している間に、
あわててパワーポイントの資料を用意した。

だいぶメチャクチャな発表になってしまった。
もう少し論理的に議論できるようにならねば。。

夕方遅くミーティングは終了。
ミーティングに参加していた8人で、
魚のおいしいお店へ。

みんなとても議論好きで、
いつもなかなかついていけない。
今回は、アルコールが少々体内に回ったのが分かったので、
その勢いをかりて、いつもよりはガンバッテ議論をしてみた。
でも僕はまだまだ話す中身を持っていないなあとつくづく実感。

そんなわけで、少ししみじみとしていたら、
目の前で焼かれている魚が若干焦げかけていたので、
急いで反対にひっくり返した。
ひっくり返していたら、これがあの「七輪」なのかと、
はっと気が付いた。

夏目漱石の「吾輩は猫である」や、
内田樹さんの「下流志向」に、「七輪」が出てきていたので、
一体どんなものなんだろうとずっと気になっていたのである。

キラキラと

2007-02-23 12:24:22 | Weblog
昨日は、4年生の卒論発表会。
うちの研究室には2人の4年がいる。

発表会の行われた教室はとても広く、
しかもたくさんの人で埋め尽くされていた。
席が空いていなかったので、
一番後ろのほうに立って発表を聞いていた。

うちの研究室の学生の番になると、
発表を聞きながらとてもドキドキした。

声も大きかったし、
内容もちゃんとまとまっていたので、
とてもよかったと思う。

発表会の後は、ポスターセッション。
わいわいがやがやと議論する。

その後学科全体の食事会。
卒論発表を終えた4年生たちの顔は
キラキラと光っていた。



久しぶりにSくんと会う

2007-02-22 02:08:40 | Weblog
日曜日は、理科大のときの同級生のSくんが、
神戸までやってきた。

Sくんは修士を出たあと会社に就職したので、
会うのは約1年ぶりになる。

Sくんと一緒に北野異人館へゆく。
午前中までふっていた雨はすっかりあがって、
青空がとてもきれいだった。

イギリスやフランス、オランダ、デンマークなど、
いろんな国の建物がたくさん。
観光客でにぎわっていた。

建物は建物で異国の雰囲気が漂っていてよかったけれど、
僕は建物と建物の間の細い道とか、
丘の上から見える景色とかがとても気に入った。

ソフトクリームとか明石焼きやたこ焼きを食べた。
明石焼きを食べたのは初めてで、
タコのまわりをやわらかな卵がつつんでいた。

Sくんは今回、
会社の有休をとって7連休になったらしく、
せっかく休みがとれたことだし、それに
関西のほうにはほとんど行ったことないし、
ということで、わざわざ神戸まで遊びに来てくれたのだ。

日曜日の夜はうちに泊まって、
お互いの近況をいろいろ話したりした。

月曜日の午前中は大学を案内して、
午後の新幹線で、Sくんは東京へともどっていった。

僕のほうがあんまり時間がとれず、
Sくんにとっては短い滞在になってしまい、
ちょっと申しわけなかったと思う。

でも、久しぶりに顔をみながら話すことができてよかった。

そうそう、
今年は野田にも雪が降らなかったそうである。

Franz Schubert

2007-02-17 17:28:15 | 音楽ノート
シューベルト(1797-1828)
Franz Schubert

即興曲集 作品90 D.899
Impromptus, Op. 90 D. 899

第1番 ハ短調
No.1 in C minor

第2番 変ホ長調
No.2 in E flat

第3番 変ト長調
No.3 in G flat

第4番 変イ長調
No.4 in A flat

演奏 内田光子

****

音楽は身体で聴くものなのかもしれないと思った。

風の冷たさとか暖かさ

2007-02-17 00:03:58 | Weblog
下流志向(内田樹)を読了。

ちょっと長いけど、印象に残った箇所を引用してみます。

「都市生活の中でいかに時間性を回復するかというのは、すごく大きな、面白いテーマだと思います。僕の思いつきですけれども、一つあるとすれば、ルーティンを守ることです。日課を崩さない。意外かもしれませんが、都市化のもたらしたいちばん大きな変化は、人々が日課を守らなくなったということだと思っているんです。
 僕が子どものころ、父親は毎日同じ時間に電車で帰ってきました。家には電話がなかったですから、会社から「今日は遅くなる」という連絡が入ることはあり得ないわけです。遅くなるときは朝出かけるときに、「今日は遅くなるから晩御飯は要らない」と言ってでかける。一日の途中で話が変わるということはあり得ないわけです。
 だから、夕方から雨が降ってくると、子どもたちは傘を持って駅まで父親を迎えに行ったわけです。何時の電車で帰ってくるかわかっているから。午後から雨が降ってくると、そういう子どもたちが駅前にちらほらいる。電車からお父さんが降りてくると、傘を差し出して、お父さんと手をつないで一緒に帰ってくる。そういうときにはごほうびに、ちょっと果物を買ってくれたり、文房具屋に寄って鉛筆を買ってくれたりする。
 今はそういうことってあり得ないですね。突然「今日は遅くなる」と電話すれば済むし、夜遅く帰ってきても、「ご飯を食べたい」と言えば、電子レンジで五分もあれば支度ができる。昔みたいに釜でご飯を炊いて、七輪で魚を焼くというようなことをしているときは、家族全員がきちんとルーティンを守る生活をしていないと暮らしていけない。
 そうすると、なんというか、生活がもっとゆったりと平和なんですよ。ルーティンを守って暮らしていると、一日が長いんです。時間の感覚とか四季の変化とか朝夕のごく微細な空気の変化とか、雨上がりの土の匂いとか、最初の南風とか、台風の予兆の黒雲とか、そういうものが「イベント」としてくっきりと際立ってくる。子どもは時計を持っていませんから、表で遊んでいても、自分でだいたいの時間を計測できないといけない。身体の中に時計があって、なんとなく時間がわかる。ご飯の時間が六時半と決まっているから、五時四十五分くらいになると猛烈にお腹が空いてくる。身体そのものがきちんと時間化されていたわけです。」

この本の副題は、
学ばない子どもたち
働かない若者たち
で、
引用した箇所だけ見ると、
それに関することが書かれていないけれど、
「時間」という視点から、教育や労働のことが考察されていて、
とても魅力的だった。

「時間性」ということは、
最近引っ越したのがきっかけで、
僕の中でもとても気になっていた。

前よりも今の方が、
不思議と、一日の変化とか、空気の変化とか、
風の冷たさとか暖かさを感じることができるようになって、
一日がゆっくりと流れるようになった。

町や場所が持っている雰囲気というか空気というか、
そういうものに影響されているような気がする。

ネットワーク理論

2007-02-14 00:12:36 | Weblog
月曜日の朝は、
TOEICの試験監督のアルバイトのため、早起き。

もう少し干しておきたかったけど、
洗濯物を取り入れる。
あんまり太陽の光には当たっていなかったけれど、
たしかに自然に乾いたというニオイがした。

午後4時くらいに終了し、
研究室へ。

最近は、ネットワーク理論について勉強中。
6人の人をたどればどんな人にもたどり着くという
スモールワールドネットワーク(small world network)、
Webページや遺伝子ネットワーク、言語のネットワークなど、
あらゆる場面にでてくるスケールフリーネットワーク(scale free network)。

スケールフリーネットワークは、
他のノードとたくさんつながっている
「ハブ」ノードがそれなりに存在するのが特徴。

人間関係についてみたとき、
友達がたくさんいる人もいれば、
友達がそんなにいない人もいる。

そうやって友達が何人いるか(ネットワーク理論では、
友達の数は「次数」という概念に対応する。簡単にいえば、
「つながりの数」といってもいいだろうか。)に着目して、
人間関係のネットワークがどんな特徴を持っているのかを考える。

そのとき、何らかの法則が見えてくるのだろうか?

どうやら僕たちの住んでいる世界は、
「次数」がある法則を持っているらしいのだ。

「次数」の分布を調べてみると、
いわゆる「ベキ法則」とよばれる法則が見えてくる。

おそらく、ネットワークが「ベキ法則」を持つという事実が、
昨今のネットワーク理論の流行の背景にあるのではないだろうか。

生態系(さまざまな種)のネットワークの次数分布を調べてみても、
やはり「ベキ法則」に従っているそうである。
ネットワーク理論の文脈では、
多様な種が存在し、それらが適度な共存関係を維持しながら、
ビミョウな生態系のバランスが保たれていることの説明が、
「ベキ法則」から考察されたりする。

他にもシェークスピアの「ハムレット」に出てくる英単語の
次数分布に相当するものを作ってみたら、
やっぱりベキ法則が見られるなど、
ネットワーク理論では、こういう親しみやすい事例がたくさん見られる。

こういった目新しさに興味が引かれる一方で、
ネットワーク理論の底を脈々と流れている
歴史的な問題意識が気になるところ。

以下の2つの文献にだいたいのことは書いてあるそうである。


Statistical Mechanics of Complex Network


Models of the Small World: A Review

この手の冷たさだったのか

2007-02-11 16:37:13 | Weblog
日曜日の午後。
今日は曇り空。

散歩したり、
洗濯物を干したり。

洗濯物を干すという作業はいいなあ。

前のアパートにいるときは乾燥機をずっと使っていたので、
ここ1年間くらい、外に洗濯物を干してこなかった。

洗濯物を干す作業をしないという点では、
乾燥機はたしかに便利なんだけど、何か物足りない。
仕上がりがあまりよろしくないというのも
物足りない原因の一つだと思うけど、
もっと他の要因があるような気がする。

今日、約1年ぶりに、外のベランダに洗濯物を干したら、
とてもすがすがしい気分になった。

まだ水で湿っている洗濯物。
手でさわると、冬なのでとても冷たく感じる。
冷たいな冷たいなといいながら、
パッパッパッと靴下やタオルを干してゆく。
ああ、冷たいなあ。
パッパッパッ。
ああ、冷たいなあ。
パッパッパッ。
あと少しで洗濯物カゴが空っぽになる。
パッパッパッ。
よし終わったぞ!

そうか、この手の冷たさだったのか、
足りなかったものは。
洗濯物を干し終えてすぐにこのブログを書いているから、
まだ手が冷たい。

明日は晴れて、ちゃんと洗濯物は乾いてくれるかな。
こんな心配をするのも1年ぶり。
洗濯物は干せばすぐ乾くものじゃなて、
「時間」がたたないとちゃんと乾いてくれない。

そうだ、この「待つ」という感覚も、
乾燥機にはなかったよなあ。

ふっくらと仕上がった、
洗濯物のニオイはどんなニオイだったかを、
明日になったら思い出せるだろうか。

としおくん

2007-02-07 23:19:01 | Weblog
としおくんから電話があった。

としおくんは、小学校と中学校のころ、
一緒によく遊んでいたお友達。

小学校低学年のときは、
よくとしおくんの家にいって、
としおくんと、としおくんのおじいちゃんと一緒に、
ファミコンをして遊んだりした。

としおくんはファミコンのカセットをいっぱい持っていたから、
いろんなゲームができるのがいつも楽しみだった。

こうやって書いていたら、
なんだか、としおくんちの玄関の緑色のじゅうたんとか、
としおくんのお母さん、おばあちゃんの顔や声が
思い出されてきた。

おじいちゃんとお母さんは、
もう亡くなられているけど、
みんなとても優しい人たちだった。

あ、そうだ。
小学校の高学年のころ、
クラスで、朝、学校にくるときにゴミを拾いましょう運動をやっていて、
ゴミを拾ってきた人はシールをもらうことができて、
そのシールの数を、としおくんと競争していたのを思い出した。

中学校に入ると、友達関係が変わってきて、
ふだんはあんまり遊ばなくなって、
それがちょっと寂しかったけど、
同じバスケット部に入っていたから、
放課後は一緒に体育館で汗を流していた。

としおくんは、中学を卒業した後は、
高校に行かずに、東京の塗装業の仕事に就いた。

だからとしおくんは、
もう10年くらい、働いてることになるのかあ。

今日は、電話でお互いの近況をいろいろ話した。
としおくんの声は低くて、ぼそぼそっと話す。
「離婚したと?!」
「そそ。」
「子供もおったやろ。なんでまた」
「いろいろあるとよ。」
「そうやっちゃ」
「で、オレ、いまバスケットの代表者をしちょっちゃが」
「へ~ すごいね! いつからやっちょっと?」
「去年の8月から。まだ始めたばっかやかい、
 ぜんぜんうごけんけど。」

としおくんは、塗装業の仕事を続けていて、
バスケットも始めたみたいで、とても元気そうだった。
新しい彼女もいるそうな!

東京に行ったときは連絡をするという約束をして、
電話を切る。

中学を卒業してから、だいぶ年月がたったけど、
やっぱり、としおくんは、としおくんのままで、
ファミコンをしていたころがとても懐かしくなった。