昨日は、大阪中之島にある
フェスティバルホールへ。
ドレスデン聖十字架合唱団、
ドレスデン・フィルハーモニー管弦楽団による、
J.S.バッハの「マタイ受難曲」の演奏を聴いた。
2階のかなり上のほうの席だったので、
オーケストラ全体の動きをよく見ることができた。
少年合唱団には、小学生から高校生くらいまでの子がいて、
なめらかで透き通るような声を会場一杯に響かせていた。
オーケストラは、バイオリン、チェロ、
笛系(フルートやオーボエやクラリネットの区別がつかない)が、
さまざまな音色のメロディーを奏でる。
そして指揮者が、体全体を大きく小さく動かしながら、
ひとつのイメージを作り上げていく。
2階席から指揮者、オーケストラ、合唱団の様子を
漠然とみていたら、脳の中もこうやって、
いろんなパートに分かれていて、それぞれのパートが
ときには激しくときにはゆったりと活動してるのかなあと、
なんとなく思った。
あ、そうだ、指揮者の前には、
男性のオルガン奏者が2人いたっけな。
あのオルガンの低音は、
気が付けば、底のほうを脈々と流れていたような気がする。
「気がする」というくらいだから、
あってもなくても音楽全体にとってみれば大きな影響はないのかというと、
それは違うのだろう。
その音はちゃんと無意識には聞こえていて、
音楽体験を確かに形作っているのだと思う。
ところで、「マタイ受難曲」は宗教音楽。
苦悩する魂の叫びが、救いを求める魂の叫びが、
たくさんの人たちの心をひきつけるのだろうか。
日本人である僕に、本当に「マタイ受難曲」を
理解することができるのだろうか。
いろいろ考えさせられもしたけど、
とにかくスケールの大きな音楽だった。
どこかのホームページで読んだのだけど、
生前、武満徹は、
死ぬ前には、「マタイ受難曲」を聞きたいと、
言っていたそうである。
フェスティバルホールへ。
ドレスデン聖十字架合唱団、
ドレスデン・フィルハーモニー管弦楽団による、
J.S.バッハの「マタイ受難曲」の演奏を聴いた。
2階のかなり上のほうの席だったので、
オーケストラ全体の動きをよく見ることができた。
少年合唱団には、小学生から高校生くらいまでの子がいて、
なめらかで透き通るような声を会場一杯に響かせていた。
オーケストラは、バイオリン、チェロ、
笛系(フルートやオーボエやクラリネットの区別がつかない)が、
さまざまな音色のメロディーを奏でる。
そして指揮者が、体全体を大きく小さく動かしながら、
ひとつのイメージを作り上げていく。
2階席から指揮者、オーケストラ、合唱団の様子を
漠然とみていたら、脳の中もこうやって、
いろんなパートに分かれていて、それぞれのパートが
ときには激しくときにはゆったりと活動してるのかなあと、
なんとなく思った。
あ、そうだ、指揮者の前には、
男性のオルガン奏者が2人いたっけな。
あのオルガンの低音は、
気が付けば、底のほうを脈々と流れていたような気がする。
「気がする」というくらいだから、
あってもなくても音楽全体にとってみれば大きな影響はないのかというと、
それは違うのだろう。
その音はちゃんと無意識には聞こえていて、
音楽体験を確かに形作っているのだと思う。
ところで、「マタイ受難曲」は宗教音楽。
苦悩する魂の叫びが、救いを求める魂の叫びが、
たくさんの人たちの心をひきつけるのだろうか。
日本人である僕に、本当に「マタイ受難曲」を
理解することができるのだろうか。
いろいろ考えさせられもしたけど、
とにかくスケールの大きな音楽だった。
どこかのホームページで読んだのだけど、
生前、武満徹は、
死ぬ前には、「マタイ受難曲」を聞きたいと、
言っていたそうである。