坂道をのぼりながら

感じたこと、考えたこと、などなど。

2段モーション

2005-10-31 02:28:38 | Weblog
こんな記事を見つけた。

http://www.nikkansports.com/ns/baseball/p-bb-tp0-051030-0021.html

野球の話。
ピッチャーは、2段モーションで投げたら、ダメとのこと。
詳しいことはよく分からないけど、
要するに、あんまり変な投げ方しないで、正当なフォームで投げろ、
ってことかな。

理由として、「日本野球の底辺のために正しい投げ方をしましょう」って
書いてあったけど、ものすごく勝手な意見に聞こえる。

そもそも正しい投げ方ってあるの?
養老孟司さんが本のなかで、
「体は自然である」とよく言っている。

選手一人一人は、長い年月をかけて、
自分の体(脳も含めて)と折り合いをつけながら、
今の投球フォームにたどりついたのだと思うから、
それがその人にとっての「正しい投げ方」なのだ。

投げ方の規則を作ってしまうと、
野球の面白さが減るのでは。

相対性理論では、ニュートン力学のような絶対基準がなく、
観測する人にとって事象の見え方が異なってくる。

「変な投げ方」などというものはなく、
それぞれのピッチャーにとっての「正しい投げ方」が
あるだけだと思う。

ヤモリの死

2005-10-31 01:31:59 | Weblog
玄関のくつ置き場で、ヤモリが死んでいた。
干からびて、ミイラになっていた。
恐竜みたいだった。

家のなかに迷い込んで、
エサを食べることができなかったんだろう。

家のなかには、小さい虫がいないから、
食料にありつけない。

栄養分や水分が不足して、
体がどんどん乾燥していったんだろう。

人間もヤモリも同じである。



神楽坂散歩 その2

2005-10-29 03:17:45 | Weblog
フランス語に興味が出てきたのは、
「星の王子さま」を読んだからである。

店の真ん中辺りに、「星の王子さま」の本があった。
フランス語のタイトルは、
「Le Petit Prince」

日本語で、「星の王子さま」を読んでいなかったら、
この店には、立ち寄っていなかったかもしれない。

他にもいろんな種類の本があったけど、
フランス語は分からないから、
小説なのか、哲学書なのか、エッセイなのか、
区別が付かない。

店の中にあるラジオからは、
フランス語のニュースみたいなのものが流れていた。
そもそも、フランス語は分からないから、
ニュースだったかどうかは分からない。

3、40分くらい、店の中にいたような気がする。
もっといたかな。
フランス語の「星の王子さま」を購入して、
店を後にする。

思いもよらず、素敵な店を発見して、うれしかった。
細い路地を、来た方角に戻り、大きいな通りにでる。

神田川に沿って歩き、飯田橋駅に向かった。
神田川では、親子やカップルが、ボートに乗って浮かんでいた。

飯田橋駅の前から、神田川のほうを見ると、
左側に線路が見え、奥のほうにはビルの群れが見え、
真ん中あたりに神田川、右側には大学の建物が見えた。

たまには、知らない道に迷って、
ふらふらするのもいいものだ。
思いもよらないものとの出会いがある。

神楽坂散歩

2005-10-27 22:44:03 | Weblog
この前の日曜日は、神楽坂にゆく。
天気のいい日だった。

一応、行きたいところがあったのだけど、休みだった。

しかたないから、近くにあるモスバーガーで、
軽い昼食をとった。
神楽坂という町は、雰囲気がとても好きである。
学生の町だから、ご飯を食べるところもたくさんある。

それから、神楽坂の周辺をぶらぶら散歩した。

狭い路地に入ると、とても静かな時間が流れている。
午後のやわらかな日差しの中で、
公園で小さな女の子2人が、砂場で一生懸命遊んでいた。

路地をさまよっていると、怪しい店を発見した。
真っ赤なドア、金色のドアのぶ。
そのまま通り過ぎようと思ったら、
透明の窓ガラスから、本が飾ってあるのが見えた。
どうも英語じゃない。フランス語?
最近、ちょっとフランス語に興味が出てきていたから、
なんとなく分かった。

引き返して、赤いドアを開いた。
足を踏み入れると、キーキーと、床がきしむ。
なんだか、とても懐かしい音だった。
そして、異国の地に足を踏み入れたような心地がした。

・・・つづく・・・

発表会、のち、図書館

2005-10-26 08:08:20 | Weblog
大学院の1年生の発表を聞く。
M1が、英語の論文を読んで、
その内容について、スライドを
使いながら説明をする。

院の2年生は前期に行い、
1年生は後期に行う。

M1の発表を聞きながら、
自分は自分で、興味のある論文を
読んでいた。
話を聞きながら、英語の文章を
読むのは、とても難しい。
日本語の文章だと、文字を漠然と
見てるだけで、なんとなくイメージが
伝わってくるけど、アルファベットで
書かれた文章は、見てるだけじゃ、
イメージが浮かんでこない。

発表会が終わって、図書館に。
最近、文学に興味が出てきたから、
文学のコーナーに行った。
理科系の大学だけど、ちゃんと文学の
コーナーはある。でも、ちょっと
奥のほうにあって、人もほとんどいない。

本は、いろいろとそろっている。
世界文学集、日本古典文学大系、
○○全集(日本人、外国人)などがあり、
後、半年後には卒業する身としては、
この中の何冊を読めるだろうかと思い、
学部のころからもっと読んでおけばよかったと
ちょっと後悔。

今日の空も、きれいだった。

生命というシステム

2005-10-23 04:24:29 | Weblog
昨日は、研究室の後輩3人と、
東京で行われたオミックス医療に
ついての講演会に参加してきた。

一般の人や学生も参加自由なので、
医療のことを全然知らなくてもいい。
僕たちの研究室は、情報処理系の研究室だけど、
これからは、医療や生物の分野でも情報処理が
重要になるだろう、ということで、講演会に参加。

今、ゲノムの全配列が解析され、その中の遺伝子の数も
分かってきた。ヒトとチンパンジーの塩基配列の
違いは、わずか1.23%しかないことも分かってきている。

こんな感じで、様々な生物種のゲノム情報や遺伝子情報が
分かってきていて、膨大なデータベースも作られている。

でも、これで生命のことを理解したことになるのだろうか?
これが、今回の講演の主題だった。
疾患も複数の遺伝子が関連して起こる。
癌などがその典型らしい。

遺伝子や化合物などの生命を構成する個々の部品は
分かってきても、それぞれの部品がどのように相互作用して、
生命というシステムが出来上がっているのかは、
まったく分かっていない。

建物を全部分解していって、個々の部品をひとつひとつ
調べてみても、もとの建物がどんなものだったのかが
分からないのと同じである。

生命をシステムとしてとらえることが、
生命を理解してく上でとても重要になってくる。

そのためには、どういうことをこれから
やっていけばよいのか、という内容の講演だった。


細かい話しは、分からなかったけど、
これからどんな方向に医療や生物の研究が
進んでいくのか、そして、情報処理が
それらの分野にどうやって貢献していけるのか、
といった、全体的な流れを見ることができた。

う~ん、それにしても、講演会の場所は立派な
ホテルだったなぁ。
最初、私服で行こうとしてたけど、スーツを
着ていって正解だったかな・・・。

久しぶりに晴れた

2005-10-21 02:17:56 | Weblog
今日は、久しぶりに青空が広がった。
このところ、ずっと雨が降っていて、気分も鬱々としていたから、
今日はとても気持ちよかった。

夜、学校から帰るときも、
夜空に満月の月が見えた。

秋風にたなびく雲のたえまより
もれいづる月のかげのさやけさ
(百人一首)

まさに、この一首のような美しい風景だった。
夜空の漆黒の闇が、月の光をよりいっそうひきたてていた。
月のまわりには、薄い雲がゆっくりと流れていた。

土手のほうで、ひとりたたずんで、月を見上げていたら、
近くに学生達のしゃべり声が聞こえてきた。
ちょっと恥ずかしくなったので、月見を終了し、駅に向かった。


平安時代の人たちは、この月を前にして何を思ったのだろうか。
それは、今の僕達が思うことと、そんなに変わらなかったんじゃないかと思う。

たけくらべ

2005-10-17 03:39:57 | 
五千円札といえば樋口一葉。
樋口一葉の小説「たけくらべ」を読んだ。

とってもよかった。(う~ん、感想が幼稚だな~)
まぁ、とりあへず、よかったものは、よかったというよりしかたない。

じゃぁ、何がよかったんだろう?(今日は、感想文の練習だね)
読み終わったあとに、なんだかとても切ない感じがした。
この切なさについては、茂木健一郎さんの「脳と仮想」(小林秀雄章受賞)でも
取り上げられている。(「脳と仮想」、とてもおすすめ!!)

切なさの原因は何?(お、ちょっと調子が出てきたぞ)
正太郎と美登利の恋、信如と美登利の恋。
この2つの恋は、どちらも実ることはないのだ。

その恋は、どういう恋だったのか?
それは、僕が言わないほうが良さそうだ。
やはり樋口一葉の名文を直接読んで、
じっくり味わうべきなり。

他に書くことは?(ん~、書くことがなくなってきたぞ・・・)
明治28年に誕生した小説だから、昔の文体で書かれている。
この文体が、とても好きだった。リズムが心地よかった。
にぎやかな街の様子や、その中を行きかう人達の描写が
とても細やかで、生活の様子が心理的なものも含めて伝わってきた。


樋口一葉は、24歳の若さで、この世を去った。
肺結核が原因である。
現代の医療技術では、肺結核で
死ぬことはないことを思うと、やりきれない思いがする。

我今、23という年齢なり。
樋口一葉とは雲泥の差なれど、
頑張るにしかあらず。

トイレのことを初めて考えた

2005-10-15 03:30:22 | Weblog
なぜ、トイレのことを考えるようになったかというと、
水を流した後に、ずっと水が流れっぱなしになって、止まらなかったのだ。
別につまってるわけじゃないから、水が溢れ出すようなことはない。

そんなに大きい音じゃないけど、
一晩中、水の流れる音がして、落ち着かなかった。
隣の人も水の音が気になっていたかもしれない。

夜遅くにそんな状態になったので、家主さんを呼べない。
とりあへず自分でなんとかしようと思ったけど、
どうにもならなかった。その夜はあきらめて、
次の日に家主さんに報告しにいった。

さすが、家主さん。
一通りの道具を抱えて、うちのトイレに来てくれた。
どうやら、水を貯めている容器(洋式トイレの場合は、背中の方にある)に
原因があるようだ。
容器のふたを空けて、中の様子を見てもらった。
このとき、初めて容器の中を見て、なんともいえない感動を覚えた。
さっき、水をためている容器、という表現をしたけど、
実は、それまでは何のためにあるかなんて、一度も考えたことがなくて、
最近になって、背中の方の容器が水を貯めていて、物理的に精巧な
動作をしているということを知ったのだ。
この仕組みには驚かされた。まだ完全には理解していないけど、
どういう仕組みで動作しているのかの仮説を最近考えているところである。

容器の中には、海の上に浮かんでいる「浮き」みたいなものが入ってる。
あたりまえだけど、「浮き」は水に浮かぶのだから、容器の中の水が
少ないときは、低い位置に浮かんでいて、容器の水が多いときには、
高い位置に浮かぶことになる。この原理がたくみに利用されていることは
間違いないと思う。
この「浮き」の位置の変化を利用して、水の流れを調整することが
可能になると思われる。

トイレが終わった後は、ボタンを押すなり、栓を回すなりして、水を流す。
少し時間が立つと、自然と水が止まるようになっている。
この自然と水が止まるという背後に、こんなに精巧な仕組みが
働いているなんて、考えたこともなかった。
トイレも奥が深いのだなぁ。