坂道をのぼりながら

感じたこと、考えたこと、などなど。

「カンバセイション・ピース」、読了!

2005-02-28 23:59:59 | Weblog
 保坂和志さんの「カンバセイション・ピース」を読み終えた!ページ数が400ページ弱あったので、かなりの読みごたえだった。
 ストーリー性がほとんど(まったく?)なく、会話と主人公の考えている様子が、たんたんと流れていく。でも、読んでいる僕の脳の中には、とてつもなく大きな時間的・空間的広がりがつくり出されていて、読んでいて心がどきどきした。

2005-02-25 23:59:25 | Weblog
 昨日の夜遅くに、雪が降った。
 最初は、雨が降っていて、家の中で本を読みながら、雨が小さなベランダの手すりや家々の屋根にあたる音が、聞いていたというよりは、聞こえていた。ふと気がつくと、雨の音が消えていたので、窓を開けて外を見てみると、見渡す限り雪で真っ白になっていた。感動!!
 深夜、雪が降っているときは、ものすごく静かな感じがする。雨が降っているときの音がなくなったから静かというよりは、いつにも増して静かな感じがする。積もっている雪と、降ってくる雪がぶつかって、かさかさとかすかな音を立てているのも、より静けさを強調している気がする。
 雪とともにうまれてくる文学や詩が多くあるのも、南国育ちの僕にもなんとなく理解できるような気がする。「国境の長いトンネルを抜けると、雪国であった。」で有名な、川端康成の「雪国」を今読んだとしたら、前に読んだときとは違った想像力をもって読むことができるかもしれないと思う。

--------------百人一首----------------
窓をあけた瞬間、「朝?」かと思ったが、
それは白雪の明るさでした・・・。
そんな情景とぴったりの百人一首を見つけました。

朝朗(あさぼらけ)有明の月とみるまでに
芳野の里にふれるしら雪

(夜が明けるころ、有明の月の光かと思われるほど、
 吉野の里に降りつもっている白雪であることよ。)


荷物運び

2005-02-24 23:58:29 | Weblog
 3月になったら研究室の場所が変わるので、今日は、引越しの作業を研究室のみんなでやった。本や資料がものすごくたくさんあるので、どんどんダンボール箱につめていって、そのダンボール箱を運搬用の車に詰め込んで、引越し先に運ぶという作業をひたすらに続けた。
 ひとつひとつのダンボールは、二人か三人で協力しないと持てないくらの重さで、しかも引越し先の研究室は2階にあり、階段をのぼらないといけないので、かなりの重労働だった。
 朝の11時くらいから作業開始で、昼食を挟んで、夕方6時くらいにとりあへず荷物を運び終えることができた。最後のほうは、みんな握力がなくなってきて、何度かダンボールが手から滑り落ちたりしたし、精神的にもかなり滅入ってきていた。
 とりあへず、ほとんどの荷物は運び終えたので、(みんな)ほっとしている。今日は、ぐっすりねむれそうだ。

”先生はえらい”を読む

2005-02-22 23:53:51 | 
先生はえらい
内田樹 ちくまプリマー新書

おもしろくて、いっきに読んでしまった。
「人間は前未来形で過去を回想する」(ジャック・ラカン)とか、「太公望秘伝の兵法の極意」の話しは、とても興味深かった。
この本に出てきた、フロイト、マルクス、ラカンなどの、いかにも手ごわそうな本も読んでみたくなった。

チロルチョコ

2005-02-22 00:27:41 | Weblog
 最近、きなこもちのチロルチョコにはまっている。ちゃんときなこっぽい味がするし、チョコのなかには、小さなもち(みたいなもの?)が入っていて、もちの触感も楽しむことができる。
 僕は、小さいころから、きなこもちが大好物で、冬になると朝食で、よく食べていた。冬の寒い朝と、きなこもちの味、触感、臭い、そしてこたつのぬくもりが混ざって思い出される。
 とうぶん、きなこもちチロルにはまりそうである。

ちびまる子ちゃん

2005-02-20 23:33:48 | Weblog
 今日は、久しぶりに夕方6時からある、ちびまる子ちゃんを見た。
 後半の話しは、どこかに出かけていたおじいちゃんとまる子が、タクシーに乗って家に帰るという話し。タクシーのラジオから、(何の犯人か忘れたが)犯人がタクシーを奪って逃走しているというニュースが流れてきて、まる子とおじいちゃんはもしかしてこのタクシーがそれなのかと、色々な想像をして怖がるのであるが、実は勘違いだったというものであった。
 ちょうど最近、自分が怖がったり、不安を感じたりするのは、何か実体のないもの、自分の脳のなかで勝手に(過去の様々な体験や記憶との関連で)つくりだされたものに対して、不安や恐怖を感じているのではないか、といことを思ったりしていた。どうも、これは単なる勘違いではすますことができないというか、勘違いということそのものを改めて考え直してみないといけないような気がしている。

ファミレスで昼食

2005-02-19 22:06:22 | Weblog
 今日は、大学の友達と一緒に、昼食をサイゼリアで食べた。その友達とは、久しぶりに会った。
 彼は、建築学科で、今、火災についての研究をやっている。大工さんや実験屋の人たちに実験用の家を建ててもらい、その家を燃やして、そのときの火の動きや形状、温度の変化などを調べる実験をしているそうである。実験で失敗したこともあったりして、そのとき先生から「お金を燃やして実験をしているようなものなのだから、もっと真剣にやらないといけない」と、怒られたそうである。もっとも彼も、最初から失敗するつもりで実験をしているのではなく、一生懸命にやった結果、経験不足などが原因でそうなったのだろう。今は、そういう失敗を乗り越えて、データも集まり、解析して論文にまとめたそうである。
 こういう話を聞くと、とても刺激になり、自分も負けてはいられないと思った。

あぶない交差点

2005-02-18 22:31:49 | Weblog
 僕は、大学まで自転車にのって通っている。
 家を出てから3分くらいのところに、小さな交差点(みたいなところ?)があって、そのあたりには、郵便局やスーパーがあるので、11時くらいから買い物にきた主婦の人たちやおばさん達で結構にぎわっている。自動車の交通量もかなりある。
 その交差点は、絵がつたなくて申し訳ないのですが、だいたいこんな感じをしている。

楕円が自動車用の信号機で、四角いのが歩行者用の信号機である。矢印は、僕が自転車にのって進行する方向である。ここの信号機たちが、なんとも人間にやさしくない挙動をしているので、毎朝その交差点を通るたびに腹が立ってくる。
 うまく説明することができないが、どんな挙動をしているのかをある場面を通して(僕の立場から)説明してみる。毎朝、自転車この交差点にくるときは、だいたい赤なので待たされることになる。そのとき、僕の進行方向と平行に走っている道路上の車たちも止まっている。一方、僕の進行方向と垂直の道路の信号機は青なので、どんどん車が流れていく。問題は、垂直方向の信号機が赤になった直後に起こる。ここでの歩行者のふつうの考えは、あえて言葉にしてみると、「よし、垂直方向の信号が赤になったから、今度はこっちの信号が青になるだろうから、そろそろ渡ろうかな」といったところだろうか。ところが、次の瞬間、青になるのは、「自動車用の信号機だけ」なのである。歩行者は、自動車用の信号が青になっているのに、目の前にある信号は赤のままなのだから、これはどうしたことかと、とまどってしまう。歩行者用の信号が青になるのは、その自動車用の信号が赤になった後である。
 説明しようとすると、およそこんな感じであるが、文章を書きながらちょっと混乱してきた。とにかく、同じ進行方向の自動車用の信号が青なのに、歩行者用の信号が赤という状況は、一般的にあまりありえない状況なのではないだろうか。僕だけでなく、たくさんの人がとまどっていると思う。現に、信号が赤なのに渡っている人とか、渡りそうになってる人を何人か見たことがある。おそらく、車の交通量が多いから、それをスムーズに流れるようにするための仕組みなのだとは思うが、それならそれとして、住民にそういった意図をちゃんと伝えないといけないと思う。少し前に気がついたのだが、実はそこの交差点の電柱に看板が立てかけてあって、「ここの信号機は、○○ということになりましたので、気をつけてください」みたいなことが書いてあった。これが、もうひとつ納得いかないところなのだが、そういうことを書く前に、信号を管理している人や警察の人が、その交差点に立って、せめて住民の人が慣れるまでは、注意を呼びかけるべきではないのだろうか。

修士2年生の発表会

2005-02-17 23:25:35 | Weblog
 今日は、修士2年の人たちの、最終発表会があった。今日と明日の2日間かけて行われる。
 他の研究室の人たちの発表に関しては、これまであまり聞く機会が無かったので、今日はいろいろな発表が聞けておもしろかった。研究室ごとに、発表のスライドの作り方に特徴があるし、内容も日ごろ研究室の発表会で聞いているものとはだいぶ違うので、あまり理解することはできないのだが、新鮮でおもしろい。
 来年の今頃は、自分が前に立って発表をするのかと少しワクワクドキドキしながら、頭の中で、出だしはこういうことをしゃべって、ああいう質問にはこういう風に答えて、などといつの間にか空想をしている自分がいた。もっと研究を頑張ろうと思った。どう頑張ったらいいのか、分からないが・・・(--;)
 朝の11時くらいから、昼食を挟んで、16時くらいまで、教室の中でずっと聞いていたので、終わったときには、頭が少し熱くなったような感じがして疲れていた。発表会が終わり、教室を出て近くに止めておいた自転車をとりに行く途中に、建物1.5階分くらいある、冬なのに緑の葉っぱをいっぱい付けた背の高い木があって、その木の葉っぱが風に吹かれてざわざわざわっと音を立てて揺れていた。その様子が、頭が疲れきっている状態で、なにはともなく目にとまったのであるが、揺れている葉っぱの後ろに見える薄い水色の空も同時に目に飛び込んできて、何か吸い込まれるような感覚を覚えた。
 10秒後には、自転車に乗って、研究室に向かった。

冷たい雨

2005-02-16 23:59:01 | Weblog
 今日は、朝から雨が降っていた。そして、息をハァーと吐くと、息はいとも簡単に白く姿を変えるくらいに、寒く風が冷たい日だった。僕は、南国育ちなので、雪が降るとものすごくわくわくする。昨日は、今日は雪が降るかもしれないと、少し期待していたのだが、どうやら雪になる一歩手前だったようだ。
 今朝、学校に行く途中に、葉っぱはすでに枯れ落ちている木の枝々の、人間の手でいうとちょうど関節にあたる部分に、米粒ほどの大きさの水の玉がたくさんくっついていて、とてもきれいだった。