坂道をのぼりながら

感じたこと、考えたこと、などなど。

流れる雲の間から

2007-01-27 00:48:42 | Weblog
0時を回り、1月27日になった。
つまり、僕は、25歳になった。
四捨五入をすると、30である。

そして、モーツァルトは、251歳。

モーツァルトと誕生日が同じなのは、
それは単なる偶然であって、
どんな意味も持っていないとしても、
なんだか、とてもうれしいのだ。

ザルツブルグの人々は、
モーツァルトの生誕251年目を、
どのように祝うのだろう。

30何年かの短い人生を疾走したモーツァルト。
小林秀雄の「モーツァルト」を
読み返してみようかしら。

このあいだ、「えんぴつでモーツァルト」
という本を買ったのだけど、この本、いいなあ。

ピアノ・ソナタ第15番の楽譜をなぞりながら、
楽譜を書くという体験をすることができる。


徒然草の第155段を読むと、
モーツァルトのことが思い出されるのは、
「モーツァルト」を書いた小林秀雄が、
第155段についての文章を書いているのを、
目にしたことがあるからだろうか。

それても、吉田兼好が見たものと、
モーツァルトが見ていたものが、
時空を隔てて、交わっていたからだろうか。

夕方、少し雨が降ったみたいだったけど、
夜、学校から帰るときには、
流れる雲の間から、
三日月が顔をのぞかせていた。

対話を繰り返して

2007-01-24 00:39:27 | Weblog
新しい物件が決まった。
この前のブログで書いた物件に。

来週引っ越すので、
今週中に荷造りをしないと!


論理的に考えるということと、
直感的に考えるということ。

この2つのバランスをどう保てばいいんだろう。

とても難しい課題だ。

人に説明するためには、
なんとなく分かっているだけじゃダメで、
自分なりの言葉を作り出さないと、
説得力を持って説明することはむずかしい。

「対話」というものは、
何も「他者」とするだけではなくて、
「自分のなかの他者」とも
するものなのだ。

「自分のなかの他者」と、
対話を繰り返しておかないと、
「他者」と対話をするときに、
うまく進んでゆかない。

「自分のなかの他者」との対話、
「本当の他者」との対話、
そういう連関のなかで、
ある物事を、どんどん多面的に見ることが
できるようなるはずだ。

だとすれば、「聴く」という行為、
「耳をすます」という行為が、
重要となってくる。

「聴く」というのは、音についてだけでなく、
読書をして、
その著者の声を「聴く」ということも
含まれるだろう。

そうやって、少しずつ、
考えや理解を深めていくしかない。

不動産屋さんへゆく

2007-01-21 01:18:38 | Weblog
今日は不動産屋さんに行った。
物件を3件ほど見せてもらった。

篠原町の物件はよかったなあ。
家賃が5万8000円で、
6畳くらいの和室が2つ。
台所の部分にも十分なスペースがとられていた。
まぁ、料理は作ったりはしないんだけど。

周りはとても静かで、
隣に公園もあって、
季節の変化を実感できそうなところだった。

玄関の方には、家と家の間に広い空間があって、
そこから公園の様子や
公園に植えられた植物、そして、
大きな空が見えるのが、なんともうれしかった。

ただ、窓が少し小さくて、
太陽の光が十分に入ってくるかということと、
お風呂の浴槽が少し小さかったことが、
若干、気になった。

まぁ、完璧な物件というものは、
なかなかないと思うし、
仮にあったとしても、
そうそう出会えるものではないと思うので、
篠原町の物件は、かなりよかった。


ピアノ・ソナタ 第8番 ハ短調 作品13《悲愴》

2007-01-21 01:03:27 | 音楽ノート
今日、聴いた曲。

ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン
Ludwig van Beethoven(1770-1828)


ピアノ・ソナタ 第8番 ハ短調 作品13《悲愴》
Piano Sonata No.8 in C minor, op.13 "Pathetique"

第1楽章:Grave - Allegro di molto e con brio
グラーヴェ(序奏)-アレグロ・ディ・モルト・エ・コン・プリオ(主部)、
ハ短調、4分の4拍子、2分の2拍子、序奏付きのソナタ形式

第2楽章:Adaio cantabile
アダージョ・カンタービレ、変イ長調、4分の2拍子、ロンド形式

第3楽章:Rondo. Allegro
ロンド、アレグロ、ハ短調、2分の2拍子、ロンド形式

***

第1楽章、途中、テンポが軽快になる部分がよい。
第2楽章、メロディーがとても優しくて美しい。ああ、カンタービレ!
第3楽章、繰り返し出てくる始まりのメロディーがよい。

ピアノの演奏者は、
ヴィルヘルム・ケンプという人だそうだ。


盲目の子供たちは、どのようにして漢字の学習を行うのか?

2007-01-18 01:39:58 | Weblog
いつだったか忘れたけど、
NHKを見ていたら、
目の見えない子どもたちと、
その子どもたちを教える先生を取り上げた、
ドキュメント番組が放送されていた。

盲目の子供たちに、先生が漢字を教える様子が
ピックアップされていた。

盲目の子供たちは、一体どうやって、
漢字の学習を行うのか?

普通の人たちは、小学校に入学すると同時に、
山とか川とか、簡単な漢字を教わり始める。

うすい灰色で書いてある漢字を、
その上から鉛筆で書きなぞりながら、
「漢字の形」というものに、触れてゆく。

そして、国語の教科書のさまざま文章に触れながら、
「漢字の意味」になじんでゆく。

普通はそうである。

じゃぁ、盲目の人たちは、
どうやって漢字を学習してゆくのか?

普通の人と盲目の人で、異なる点というのは、
当たり前だけど、
視覚情報があるかないかという点である。


暖冬だからというわけじゃないけど

2007-01-16 13:20:36 | Weblog
お昼から大学へ。

斉藤兆子さんの「英語達人読本」に
おさめられている、
Ernest Hemingwayの"Big Two-Hearted River"を
CDで聞きながら登校。

人から怪しまれないように、
ボソボソつぶやきながら坂道を登る。


考えても考えても分からない。

たぶん、知識の問題もあるかもしれないけど、
それ以上に、考え方に問題があるような気がする。

少し早めの夕食をとる。

今年の冬はそんなに寒くないような気がする。
暖冬なのだろうか。

暖冬だからというわけじゃないけど、
春の気配がふと感じられる瞬間があった。

最近

2007-01-12 23:17:20 | Weblog
7日の夜に新幹線に乗り東京へ行き、
渋谷駅近くのビジネスホテルに泊まる。

8日、エッシャー展を見に行った。
ものすごく人が多くて、入場するまでに、
2時間近く待たされる。

エッシャーって、こんなに人気があったんだ・・・。

僕のなかでエッシャーは、「だまし絵」のイメージが
強かったのだけど、風景の版画のような普通の作品もあったので、
とても意外な印象を受けた。

しばらく「普通の」作品が続いた後、
有名な平面の正則分割や、非ユークリッド空間における悪魔と天使、
ロジャー・ペンローズの不可能な三角形にヒントを得て
作られただまし絵などの、これぞエッシャーという作品が
ぞろぞろ出てきた。

見にきていた人たちも、みんな感心している様子だった。
子どももたくさんいて、みんな摩訶不思議な絵に興味津々。

とにかくすごい人だったので、
一つ一つの作品をじっくり見て回るというわけにはいかなかったけど、
はるばる東京まで来て見た甲斐があったと思う。

9日から、いつもどおりの研究生活に戻る。

***

最近、iPodがほしくなってきたのだ。
かなり流行に乗り遅れているけど・・・(汗)

「疲れ」って

2007-01-07 16:13:14 | Weblog
睡眠をとることって、
もしかしたら、
「身体を休ませるため」なのかもしれない。
「脳を休ませるため」ではなくて。

よくよく考えてみると、
眠っているときは、夢を見たりするわけで、
脳はたえず働いているじゃないか。

でも、そもそも「疲れ」って、何なんだろう?
今日は疲れたなあ、ビール一杯!とか言ったりするけど、
それって、身体が疲れているのか、脳が疲れているのか、
その両方なのか、どちらでもないのか・・・。


ドレミファソラシドを弾くのがやっと

2007-01-05 19:25:00 | Weblog
お正月の読書は、
森博嗣の「笑わない数学者」。

いま、僕は、
世界の「内」にいるのだろうか、
世界の「外」にいるのだろうか。

それは、誰が決めるのだろうか、
あるいは、誰も決めることはできないのだろうか。

森博嗣の作品は初めて読んだけれど、
読後感は、とてもさわやかな感じだった。

ミステリー小説は、これまで、さほど読んだことがなかったので、
読んでいるときのワクワク、ドキドキする感じが
とても新鮮だった。
他のミステリー作品も読んでみたいと思う。

お正月の読書は、「笑わない数学者」のほかに、
最近、TVドラマ化されて話題になっている、
まんがの「のだめカンタービレ」。

近くにあるレンタルコミック屋さんで、
1巻~8巻まで借りる。

おもしろい。
時間を忘れて、漫画を読みふけったのは、
小学校や中学校のときに、
「キャプテン翼」や「スラムダンク」、
「ドラゴンボール」とかを読んだとき以来のような気がする。

音楽の才能にあふれるのだめや千秋たちが繰り広げる、
音大での生活やコンサートホールでの演奏会など、
僕の体験したことのない世界がどんどん出てくる。

そういえば、僕も小さい頃に少しだけピアノを
習っていた時期があったけど、
ぜんぜん物にならなくて、
今となっては、ドレミファソラシドを弾くのがやっと。

いいなあ、すごいなあと、のだめを読みながら、
ため息が何度も漏れた。
ベートーベン、シューベルト、ブラームスなど、
クラシックの巨匠たちの曲を実際に演奏したり
するのって、一体どういう感じなんだろうか。
CDで聞いたことはあるけど、
音楽を聴いて衝撃を受けたという体験が、僕にはない。
それなりにいいなあとは思うことはあるけど、
そこで止まってしまう。
その先の世界を僕は何も知らない。

誕生日がモーツァルトと同じだから、
少しくらいは音楽を享受できる精神を
持っていてもいいのになぁ(ブツブツ)。
いと、かなし。

明日は、神戸に戻る。
週末に、東京で開かれているエッシャー展を
見に行きたい。