今日は、水道筋商店街を散歩し、
かき氷とたこ焼きを食べる。
お店のおばちゃんが、
昔風の手で回す式の機械を使って、
ジョリジョリ、ジョリジョリと、
氷のかけらがどんどん山盛りに
なっていく様子を見ていていたら、
急に食べたくなって、
いちご味のかき氷を頼んだ。
いちご味と、サクサクの触感が、
とても懐かしかった。
散歩から帰る途中、
近くを流れている川で、
子供たちが水遊びをしていて、
とても気持ち良さそう。
ふらふら歩きながら、
「アキレスと亀」の問題を
考える。
問題の概要は、こうである。
アキレスは俊足、つまり足が速い。
一方で、亀は鈍足、つまり足が遅い。
いま、亀は、アキレスの5m前方にいて、
アキレスと亀は、直線上に並んでいるとする。
よーいドンの合図で、アキレスと亀は、
同時に同じ方向に走りだす。
とりあへず、普通に考えてみると、
アキレスは、未来のある時点で、
亀を追い越していくだろう。
運動会のリレーで、俊足の生徒が、
鈍足の生徒を追い抜く場面を思い出せば、
いたって当然のことである。
しかし、ここで、チョット待ったがかかる。
こう考えてみよう。
①俊足のアキレスが、さっきまで亀のいた場所に来る。
②そのとき亀は、鈍足とはいえ、やっぱりそれなりに
先へと進んでいる。
そうすると、変なことが起こってしまう。
つまり、アキレスは亀に、
「いつまでたっても追いつけない」という
ことになってしまうではないか!
なぜなら、アキレスが亀のいた地点に着いたときには、
必ず、亀はその地点よりも、少しだけ先にいるのだから。
かくして、①と②のステップは
無限に繰り返されることなり、
俊足のアキレスは、鈍足の亀を追い越すことが
できないという、ぼくたちが運動会の
リレーで目撃するのとは違った結論が
でてきてしまうのである。
この「アキレスと亀」の問題は、
いまから、約2,500年前に、
ギリシャ人のゼノンが考え出した
有名なパラドクス(逆説)で、
今日においても、科学や哲学の
様々な文脈において、
尽きることなく議論されている。
かき氷とたこ焼きを食べる。
お店のおばちゃんが、
昔風の手で回す式の機械を使って、
ジョリジョリ、ジョリジョリと、
氷のかけらがどんどん山盛りに
なっていく様子を見ていていたら、
急に食べたくなって、
いちご味のかき氷を頼んだ。
いちご味と、サクサクの触感が、
とても懐かしかった。
散歩から帰る途中、
近くを流れている川で、
子供たちが水遊びをしていて、
とても気持ち良さそう。
ふらふら歩きながら、
「アキレスと亀」の問題を
考える。
問題の概要は、こうである。
アキレスは俊足、つまり足が速い。
一方で、亀は鈍足、つまり足が遅い。
いま、亀は、アキレスの5m前方にいて、
アキレスと亀は、直線上に並んでいるとする。
よーいドンの合図で、アキレスと亀は、
同時に同じ方向に走りだす。
とりあへず、普通に考えてみると、
アキレスは、未来のある時点で、
亀を追い越していくだろう。
運動会のリレーで、俊足の生徒が、
鈍足の生徒を追い抜く場面を思い出せば、
いたって当然のことである。
しかし、ここで、チョット待ったがかかる。
こう考えてみよう。
①俊足のアキレスが、さっきまで亀のいた場所に来る。
②そのとき亀は、鈍足とはいえ、やっぱりそれなりに
先へと進んでいる。
そうすると、変なことが起こってしまう。
つまり、アキレスは亀に、
「いつまでたっても追いつけない」という
ことになってしまうではないか!
なぜなら、アキレスが亀のいた地点に着いたときには、
必ず、亀はその地点よりも、少しだけ先にいるのだから。
かくして、①と②のステップは
無限に繰り返されることなり、
俊足のアキレスは、鈍足の亀を追い越すことが
できないという、ぼくたちが運動会の
リレーで目撃するのとは違った結論が
でてきてしまうのである。
この「アキレスと亀」の問題は、
いまから、約2,500年前に、
ギリシャ人のゼノンが考え出した
有名なパラドクス(逆説)で、
今日においても、科学や哲学の
様々な文脈において、
尽きることなく議論されている。