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青梅鉄道公園の機関車たち

2006年06月22日 | Weblog



★ 昭和37年に鉄道90周年を記念して開園された「青梅鉄道公園」。
静態保存だけれど、たくさんの機関車たちに出会うことができます。




★ 開園時の国鉄総裁は十河信二さんで、この人と島技官は新幹線の産みの親ともいえるコンビです。

開園当初は、当然、「日本国有鉄道」の経営でしたが、昭和40年代に入ると当の国鉄が巨額の累積赤字に悩むようになり、このような末端施設にはとてもお金はかけられない状態に陥り、機関車は雨ざらしで荒れ放題、あちこちが破損してまことに見るに忍びない状態を呈していた時期もあります。

その後の国鉄分割民営化により、青梅鉄道公園もJR東日本関係の財団の経営になり、ふたたび奥多摩地域の町おこしや観光スポットとして役割を担って再スタートを切りました。
今、きれいに化粧直しをされた機関車たちを見ると、当時の荒れ果てた状態をを思い出し、まことに感慨無量になります。






★ 記念碑を過ぎるとすぐに出迎えてくれるのが、馬力が自慢の「デコイチ」ことD51452号。
国鉄を代表する名蒸気機関車で戦前・戦後あわせて1180両も製造されました。
「デコイチ」は蒸気機関車の代名詞ともなっています。




★ 次に迎えてくれるのは、大正期の急行旅客用蒸気機関車のC515号、通称、「シゴイチ」。
大きなスポーク動輪に、優美なデザインを併せ持ったそのスタイルは、今こうして見てみると大正ロマンそのもののように思えてきます。
かつて急行「燕」号を牽いて、御殿場線経由、東京~大阪間を8時間で結ぶ偉業を成し遂げたそうです。




★ こちらは対照的なC111号タンク機関車。
比較的短距離のローカル線向け機関車として重宝されました。
ボイラーとは別に炭水車が付いたものをテンダ型機関車、ボイラーと炭水車が一体化したものをタンク型機関車といいます 。




★ E10の運転席。
一般に「力持ち」とか「高性能」といわれている機関車ほど、巨大なボイラーと車両幅限界に挟まれて運転席は狭小なことが今回の撮影でよくわかりました。
機関士さんにとっては過酷な労働条件だったのですね。

なお、よく受ける質問に、「機関車の頭のCとかDとかいう記号は何?」というのがあります。
これは動輪の数のことでCは動輪が3対、Dは動輪が4対ということを表しています。
蒸気機関車の原理は蒸気圧によるビストンの直線運動を車輪による回転運動に変えるもので、車輪が大きければビストン一運動あたりの回転距離は大きくなるのでスピードが出(C型機関車)、車輪は小さくとも数が多ければ、接地面積と動力車輪自体が増えるので牽引力が強くなります。(D型機関車)
これが旅客用にはC型機関車が、貨物用にはD型機関車が用いられた所以です。






★ 館内では開園時そのままのジオラマも活躍中。
天賞堂製でした。スピーカーも昔のまま。






★ 戦前を代表する旅客用8620(ハチロク)型機関車と貨物用9608(キュウロク)型機関車。
9600型の方は動輪を移動させることによって、広軌にも対応できるような設計がなされています。
当時の日本政府は大陸進出計画を進めていたので、このような設計が生まれたのでしょう。






★ 明治期の古参輸入機関車の110型機関車と2120,それに5500型機関車。
国産機関車とはイメージがちょっと違い、やはり欧米調の雰囲気があります。、
110型機関車は日本を走った3台目の機関車で「義経号」といい、鉄道記念物となっています。




★ 先頭車両だけ、というのが情けないですが、初代0型新幹線なんかも置いてあります。
新幹線にはじめて乗ったのが中学校の修学旅行だった・・・なんて人も多いのでは。

なお、ここ青梅鉄道公園は食事処がありません。
以前はデコイチ広場のあたりに「スシ」という食堂車が置いてあって、サンドイッチなどの軽食を提供していましたが、いつの間にかなくなりました。
訪れてみる方はその点ご留意下さい。
ちょっと下れば青梅の街があって食事には困りませんけど。




みなさんも一度青梅鉄道公園にいらっしゃいませんか。

入場料も大人100円、子供50円と、昨今の世の中にしては破格的な安さですゾ。(^^)


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