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よっちんのフォト日記

旅先や日常で感じたことを
写真と文章で綴ってみたい。
そう思ってブログを始めてみました。

穏やかな日本海‐京都府京丹後市:間人・「かねみつ」

2025年03月15日 | 京都(京都市以外)
“Kanemitsu”, Taiza, Kyotango City, Kyoto Pref.

さてさて、京丹後市のカニで有名な間人(たいざ)にやって来たワタクシ達ですが、
ワタクシはお風呂に入る前にお宿の「かねみつ」の周辺を散策していました


宿のすぐ裏側には日本海が広がります。いつもだと冬の日本海は荒々しい波が打ちつけてくるのが常です。
しかし、この日の日本海はまるで春の海のような穏やかな穏やかな姿を見せてくれました


ワタクシは野鳥についてあまり詳しくはありません。ですので、この岩礁の上に群れをなしている鳥がカモメなのか、
それともウミネコなのか区別がつきません。これはどちらなのでしょうか


写真には写らないようにしたのですが、海岸には悲しいくらいの海洋プラスチックごみが流れ着いていました。
ハングル文字、キリル文字(ロシア語)のゴミもあれば日本語のゴミもありました。
日本海岸だけで3万トン以上の漂着ごみが回収されていると聞きます。どうにかならないものなんですかねぇ


ま、海にゴミならまだマシで、海にミサイルを飛ばしてくる国が日本海の向こうにはありますからね


この道路は国道178号線。京都府の舞鶴市と鳥取県の岩美町を結ぶ国道です。
丹後半島をぐるっと海沿いに通っていることから、丹後半島周遊道路とも呼ばれています


ひっそりと佇むバス停。それでも1〜2時間に一本はバス便があるので、まだ乗客はそれなりにいるのでしょうね。
おそらく利用者は高齢者と中高生というところでしょうか。今では珍しくなった公衆電話がありました


そして、バス停のすぐ近くには昔懐かしい丸型ポストの姿もありました。
この丸型ポストなのですが、1970年に生産は終わっているんです。でも、まだ全国各地で目にしますよね。
現在でも全国で約4000本が現役で使われているそうなんですよ


宿に戻って風呂に入ったら、いよいよ楽しみな夕食の時間です。まずは「茹でガニ」です。
でも、この茹でガニは食べません。もちろん食べてもいいのですが、この後に食べきれないほどのカニ料理が出てくるんです。
ですので、この茹でガニはお土産にして持って帰ることが出来るんです。ワタクシ達は持ち帰りにしてもらいました

「かねみつ」…京都府京丹後市丹後町間人4706

使用したカメラ:FUJIFILM X-T30


最近はさまざまな職種で「人手不足」「人材不足」と言われますが、一番深刻なのが運輸業だそうです。
バスやトラックの運転手不足は深刻で、私が住んでいる地域でも運転手不足によってバスが減便されています。
ましてや地方では運転手の確保は都会以上に大変でしょうから、バス路線の廃止というのもこれからは増えてくるでしょうね。



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今年もまたカニを食べに‐京都府京丹後市:間人・「かねみつ」

2025年03月14日 | 京都(京都市以外)
“Kanemitsu”, Taiza, Kyotango City, Kyoto Pref.

さてさて、ワタクシ達はこの日のお宿がある京丹後市間人へと向かいました。
なお、間人は「たいざ」と読みます。これもかなりの難読地名かと思います


お宿の少し手前に「琴引の塩直売所」がありました。ここでは琴引浜近くの海から海水を汲み上げ、
伝統的な平釜製法で塩を炊き上げています。手間ひまをかけて作った塩を直売しており、塩を作っている作業場も見学させていただきました。
もちろん美味しそうな塩を買って帰りました


間人にある「かねみつ」という旅館がこの日のお宿です。ここに泊まるのはもう5度目か6度目になるのですが、
玄関周りが随分とキレイになっていました。改築されたようですね


ここがワタクシ達のお部屋です。立派な梁、開放感のある高い天井がいいですなぁ


部屋はもちろんオーシャンビュー。大きな窓の向こうは日本海です。
いつもだと冬の日本海は波が荒く、波が防波堤に打ち寄せる音が聞こえてくるほどなのですが、
この日の日本海は驚くほど穏やかな姿でした。こんなに穏やかな冬の日本海を見るのは初めてのように思います


お風呂もオーシャンビューです。そして、ここのお風呂は気持ちのいい温泉なんですよ。
カニを食べて温泉を楽しむことが出来るのも、このお宿の魅力の一つです


家人はすぐにお風呂に行きましたが、ワタクシは入浴前にお宿の周辺を少し歩くことにしました。
お宿のすぐ裏側には砂方漁港という小さな漁港があるんです。ワタクシ、この漁港の鄙びた雰囲気が好きなんですよ


この辺りは京都府とはいうものの旧丹後国で、気候的には日本海岸式気候になります。
冬は雪の日が多く、カラッとした晴天の日はほとんどありません。
「弁当忘れても傘忘れるな」という言葉は北陸地方の言い伝えとしてよく知られた言葉ですが、ここ丹後地方でも使われるんです


ではでは、もう少しお宿の周囲を歩くとしましょうか

「かねみつ」…京都府京丹後市丹後町間人4706

使用したカメラ:FUJIFILM X-T30


間人(たいざ)という地名なんですが、聖徳太子の母・間人皇后(はしうどこうごう)と深いつながりがあります。
間人皇后は、6世紀末、大和政権の蘇我氏と物部氏との争乱を避け、今の丹後町間人に身を寄せたと伝えられています。
村人たちの手厚いもてなしへのお礼にと、この地を去る際、皇后は自らの名「間人」(はしうど)をこの地に贈りました。
しかし村人たちは畏れ多いことから、皇后が退座したことにちなみ読み方を「たいざ」としたとされています。
地名というのは興味深く、そして面白い。



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福知山のB級グルメ-京都府福知山市:「粉もの屋」

2025年03月12日 | 京都(京都市以外)
“Konamonoya”, Fukuchiyama City, Kyoto Pref.

さてさて、「福知山鉄道館フクレル」の見学を終えたワタクシ達は、福知山市の町並み散策へと向かいました。
思いの外、福知山城と鉄道館の見学に時間を費やしてしまい、おまけに雨も降ってきたんです。
ですので、福知山での散策は短めに切り上げて、この日のお宿に向かうことをワタクシ達は考えていました


素敵な洋風建築がありました。この建物は旧松村家住宅の中の洋館です。
松村家住宅とは同市を発祥とする中堅ゼネコン・松村組の創業者である松村雄吉の住居として、
明治末期から大正中期にかけて建てられた建築物群なんです


こちらは旧松村家住宅の母家です。現在は、全国でも有名なスイーツ店「足立音衛門」の本店として利用されています。
ただ、ワタクシはスイーツに全く興味も知識も無いので、足立音衛門という名前すら知りませんでした


小雨の中を歩いて行くと「新町商店街」というレトロな商店街にたどり着きました。
今ではシャッター街となりつつある新地商店街ですが、市内にある広小路商店街、アオイ通り商店街とともに、
明治期から昭和期にかけて三丹地域(丹後・丹波・但馬)を代表する商都・福知山の商業の中心地であったそうです


時計職人の店と書かれたお店がありました。「時計職人」という言葉に心惹かれます。
今では時計が壊れたりしても修理に出す人は少ないかもしれません。
でも、近所にこんなお店があったら壊れた時計も修理してもらい、長い間使いたくなるでしょうね


昭和レトロな新町商店街。最近は若い人たちが集まってマーケットが開かれたり、イベントなども開催されているようです。
町が活性化するためには行政の力ではなく、若い人の力が一番必要だということですな


時刻もお昼前になり、ワタクシ達は昼食を食べたいと思いました。ところが商店街にはそれらしき飲食店が皆無です。
「駅前に行けば店があるやろ」と福知山駅に向かって歩いていきました。
すると「福知山のB級グルメ ゴム焼きそば」と書かれたお店がありました。屋号は「粉もの屋」というお店です。
「ゴム焼きそば」というのは初めて聞きましたが、「せっかくやからここでB級グルメ食べよか」ということにしました


それにしても、「ゴム焼きそば」とはどんな焼きそばなんでしょう。興味がそそられますな


ゴム焼きそは、福知山の人に長年愛されてきた広東式の麺の焼きそばで、麺が輪ゴムに似ていることからそのように命名されたそうです。
麺の製造工程に工夫があり、中華麺をせいろで蒸した後、水洗いをして、さらにもう一度蒸すということなんですよ


食べてみると麺に弾力があり、普段食べている焼きそばとは食感が違いました。
こういうB級グルメが町おこしの一つの起爆剤になればいいな…そんな思いを抱いたのでありました

「粉もの屋」…京都府福知山市字天田251

使用したカメラ:FUJIFILM X-T30


たかが焼きそば…と思うかもしれませんが、全国には「ご当地焼きそば」というのが数多くあるんですよね。
秋田の「横手やきそば」、静岡の「富士宮焼きそば」、群馬の「太田焼きそば」なんてのが有名だと思うのですが
家人の実家である大分県日田市には「日田焼きそば」というのがあるんです。これが美味いんですよ。



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鉄道の町-京都府福知山市:「福知山鉄道館フクレル」

2025年03月11日 | 京都(京都市以外)
“Fukuchiyama Railway Museum”, Fukuchiyama City, Kyoto Pref.

さてさて、福知山市のシンボルとも言うべき福知山城をワタクシ達は訪れました


復元された天守閣ですが、内部は郷土資料館として公開され、城に関する資料や福知山地方の歴史・文化財が展示されています。
ワタクシはこういう資料館を見学するのが好きで、この日も興味深く資料を眺めていたのでした


2022年に福知山城では将棋の竜王戦が行われ、藤井聡太竜王と広瀬章人八段が対局したそうです。
その場所が「将棋フォトスポット」となっており、誰でも自由に将棋を指したり写真を撮ったりすることが出来るとのことです


天守閣の上から福知山の町を見下ろします。福知山市には京町、鍛冶町、呉服町、鋳物師町、紺屋町という地名が残り、
城下町から発展した町だということがすぐにわかります。地名はその地の歴史や地理を伝える貴重な文化です


福知山城を後にして、ワタクシ達はお城の東側に向かいました。そこに何があるのかと言いますと…


城のすぐ東側に「福知山鉄道館フクレル」という小さな鉄道博物館があるんです。
福知山は明治時代に鉄道が敷かれると京都・大阪・豊岡・宮津・舞鶴への結節点として発展していきます。
さらに1950(昭和25)年、全国で27か所にしか置かれなかった鉄道管理局が福知山に設置されました。
町には鉄道病院や宿舎など鉄道の関係施設が次々と建設されていきます。
旧国鉄最盛期の昭和40年代には市民の約10人に1人が鉄道の仕事に携わっていたというのですから驚きです。
こうして鉄道は福知山の経済を支える重要な存在となり、「鉄道の町」として大いに賑わったんです


これは1949~73(昭和24~47)年に福知山線・山陰本線を走った旅客用蒸気機関車C57の動輪です。
C57やD51のC、Dというのはその機関車の動輪の数を表していまして、Cだと動輪が3つ、Dだと動輪が4つある機関車なんです。
ちなみにC57は優美な車体の姿から「貴婦人」という愛称で呼ばれファンが多かった機関車なんです


子供が大好き、そして大人も大好きな鉄道模型のジオラマがありました。
手前は現在の福知山駅、奥は国鉄時代の福知山駅のジオラマですね


ワタクシは山陰本線も福知山線も非電化だった国鉄時代に何度か福知山駅を訪れたことがあります。
訪れたと言っても山陰本線と福知山線を乗り継ぐために下車しただけなのですが、
列車を待つ時間に駅の構内を眺めていました。大きな機関庫と転車台があったことを、微かに記憶していました

使用したカメラ:FUJIFILM X-T30


福知山線は大阪と福知山を結ぶ路線ですが、長らく非電化が続き、大阪近郊とは思えないようなローカル線のような路線でした。
しかし、国鉄が民営化されてJRになると兵庫県の宝塚市や三田市などと大阪を結ぶ通勤路線として快速列車が投入され、
列車の高速化が進みました。しかし、その結果として2005年4月に脱線事故が起こり、
107名が死亡、562名が負傷するという大惨事が起こりました。皆さんの記憶にもあるのではないでしょうか。



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明智光秀ゆかりの町へ-京都府福知山市:福知山城

2025年03月10日 | 京都(京都市以外)
Fukuchiyama Castle, Fukuchiyama City, Kyoto Pref.

さてさて、3月2日〜3日のことですが、ワタクシは家人と京都府の京丹後市に行っていました。
目的は「カニを食べる」ことなのですが、いきなり京丹後市まで行くのももったいないので、
往路は福知山市に立ち寄ることにしたんです


JR福知山駅前の駐車場に車を停め、福知山市の散策に向かうことにしました。
福知山駅はJR山陰本線、JR福知山線、京都丹後鉄道が乗り入れている交通の要所なんです


駅から10分ほど東に歩いたところに「さんの丸」というカフェがありました。
自宅からちょうど2時間車を運転してきたので、ちょっとこのお店で休憩することになしました


カフェの屋上からの眺めです。福知山城がすぐ目の前にあるんですよ。
ワタクシ達はこの後、福知山城に行くことにしていたんです


ワタクシは「カフェ・オレ」をいただいたのですが、家人は「丹波栗とエダムのタルト」をいただきました。
家人が言うには「これ、むっちゃ美味しい」とのこと。丹波栗って粒が大きく、風味が強くて美味しいんですよ

「さんの丸」…京都府福知山市字内記10-64


カフェを出て、ワタクシ達は福知山城に向かいました。
福知山城は天正7年(1579年)頃、丹波国を平定した戦国武将・明智光秀によって築かれた城です


明治6年(1873年)の廃城令により石垣と一部の遺構を除き大部分が取り壊されましたが、昭和61年(1986年)に、
市民の瓦一枚運動などにより天守閣が復元され、現在は福知山城公園として整備されました


明智光秀は天正7年(1579年)に織田信長の命を受けると丹波一帯を平定します。
そして、この地にあった横山城を改築し福知山城と改名しました。 税金を軽減して治水工事を行うなど善政を行い、
名君として慕われていたという記録が残っています


どうしても光秀というと、主君であった織田信長を「本能寺の変」で死に至らしめた“悪役”のイメージがありますね。
織田信長を好む人たちからすると、「光秀=裏切り者」ということになるのでしょう。
ただ、光秀の生涯って謎が多いんですよ

使用したカメラ:FUJIFILM X-T30


京都府は旧国名でいうと「山城国」「丹後国」そして「丹波国の大部分」から成り立っています。
ただ、丹波国というと兵庫県の丹波篠山市が有名な上に、平成の大合併で丹羽市が兵庫県に生まれたために、
丹波国は現在の兵庫県だと思っている人が多いんですよ。でも、実際は丹波国の大部分は京都府なんです。



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