よっちんのフォト日記

旅先や日常で感じたことを
写真と文章で綴ってみたい。
そう思ってブログを始めてみました。

伊庭郷の産土神-滋賀県東近江市:伊庭

2024年10月23日 | 滋賀
Iba, Higashi Omi City, Shiga Pref.

さてさて、東近江市にある伊庭の集落をワタクシは初めて訪れたのですが、
水路が集落の至る所に流れている光景は、私の心に強く印象に残るものでした


豊かな水に恵まれている地域って、歴史的に水利などを巡って争うことが無かったからでしょうか。
どこに行っても人が穏やか、人が優しいという印象が強いんです


集落の入り口に大濱神社という立派な神社がありました。大濱神社の創建不詳なのですですが、
古くから伊庭荘八郷(伊庭、能登川、北須田、安楽寺)の産土神として信仰されてきた古社だということです


産土神(うぶすながみ)という言葉なのですが、その人がが生まれた土地の守護神を指す言葉なんです。
その人が生まれる前から死んだ後まで守護する神とされており、他所に移住しても一生を通じ守護してくれると信じられているんですね。
産土神への信仰を産土信仰というんですよ


ここでよく勘違いされるのが「氏神」と「産土神」の違いなんです。
「氏神」は地域ごとに祀られている神様です。ご存知の通り、神道には八百万の神と言われるほどたくさんの神様がいます。
氏神はかつて、血縁関係にある氏族が共同でお参りする神様であり、その一族に関係の深い神様が祀られていたそうです


ただ、ただ中世あたりから次第に混同が進み、氏神と産土神の概念を区別することなく、
一律に氏神と呼ばれることが多くなってきたのが現状のようです。
ですので、「氏神」という言葉は知っていても、「産土神」という言葉を知らない人も多いようですね


などと偉そうに書いていますが、ワタクシもちょっと「産土神」の意味が曖昧になっていたので、
もう一度調べ直してみて書いているのです。決してスラスラと頭に浮かんできたわけではありません


ではでは、そろそろ車を停めている駐車場へ行きましょうか。まだ時間も早いので、次の目的地に行くとしましょう。


滋賀県名物「飛び出し坊や」がありました。この「飛び出し坊や」は、ここ東近江市が発祥の地なんですよ

使用したカメラ:FUJIFILM X-Pro2


最近、有名な神社やお寺に行くと多くの外国人観光客に出逢いますが、彼らが参拝のマナーをよく知っていることに驚きます。
神社でいえば「二拝二拍手一拝」をきちんと行い、ちゃんとお寺の参拝方法との違いを知っているんですね。
むしろ日本人の方が、参拝マナーを守っていない人が目立つような気がするんですよ。残念なことです。



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四つのお寺-滋賀県東近江市:伊庭

2024年10月22日 | 滋賀
Iba, Higashi Omi City, Shiga Pref.

さてさて、水郷である伊庭の集落を、ワタクシはカメラを手に散策を続けていました


立派なお寺の山門がありましたが、この山門の中にあるお寺がなかなか面白かったんです


奥に見えているのは妙楽寺の本堂なのですが、手前の建物は妙楽寺の建物じゃないんです


こちらのお寺は法光寺。なんとこの場所なのですが、境内は堀で囲われていて、その中に4件の寺院が塔頭のように並び、
まるで小さな寺町のような姿になっているんです。ワタクシ、こういう光景は見た記憶がありません


妙楽寺、法光寺、浄福寺誓教寺と四つのお寺がありましたが、四つのお寺は全て浄土真宗本願寺派でした


ここ伊庭は、室町時代、近江守護六角氏の守護代であった伊庭氏の本拠地でした。
伊庭氏の居城だった伊庭城が置かれていたそうで、このような石垣はその名残なのでしょうね


地元の方々が水路の清掃をされていました。ゴミを拾い、雑草を刈り取っていたのですが、この日も猛暑日。
汗まみれの作業は大変かと思います。こういう人たちのおかげで美しい水路が守られているのかと思うと頭が下がる思いです


かつて水路の幅が今よりも大きく、集落の水路を多くの船が行き来していた姿を見たかったなぁ。そんな想いに駆られます。
無理なことはわかっているのですが、せめて何ヶ所かの水路は昔のまま残しておけば、いい観光資源になったと思うのですが、
高度経済成長期にはモータリゼーションが進み、車を走らせるために道路を拡張することが最優先だったのでしょう


高度経済成長期には日本は世界有数の経済大国へと成長し、日本人の暮らしは豊かなものへと変わりました。
その一方で、失われていったものも多いと思うんですよ。
それは豊かな自然であり、地域の結びつきであり、地域の伝統文化であり、心の豊かさであるような気がします

使用したカメラ:FUJIFILM X-Pro2


伊庭を訪れた日(9月14日)も猛暑日でした。この日も汗まみれの散策だったのですが、この夏はよく歩きました。
スマホを見てみると7月は304232歩、8月は357520歩を歩いていたんですよ。
おかげで体重を3kg減らすことが出来たのですが、9月と10月で2kg戻ってしまいました。
歳を取るとなかなか体重を落とすことが出来ませんね。



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内湖-滋賀県東近江市:伊庭

2024年10月21日 | 滋賀
Iba, Higashi Omi City, Shiga Pref.

さてさて、東近江市で今も水路が残っている伊庭の集落を訪ねたワタクシなのですが、
集落を抜けて伊庭内湖の方へ歩いて行きました


これが伊庭内湖なのですが、そもそも「内湖」とはなんでしょうか。ちょっと簡単に説明させていただきますね。
琵琶湖沿岸では、本来琵琶湖の一部であった水域が沿岸漂砂や河川から運ばれた土砂の堆積等により、
水路等の一部分以外は琵琶湖と隔てられた水域が生じます。
内湖とは、このように琵琶湖湖岸の内(陸)側に生じた池、沼、沢等と呼ばれているものの総称なんですよ。
多くの内湖が干拓されて無くなっていった中、伊庭内湖は今も残る貴重な内湖なんです


この図はかつての伊庭内湖周辺の地図ですが、最大の内湖であった大中の湖は干拓によってほぼ無くなってしまいました。
今では「西の湖」と「伊庭内湖」は内湖として残った貴重な存在です


内湖は湖水の循環によってその流域全体の浄化機能を果たしたり、在来魚の産卵場所にもなったりと、
実はとても大きな役割を担っているんです。今にして思えば「食糧増産」の目的で水田拡大のために干拓されたことがもったいないですね。
食糧不足の時代に水田拡大を考えるのは仕方がないのですが、戦後になって米の消費量が減少してきていたにもかかわらず、
「一度決まった計画だから」という理由で、日本各地で干拓事業が進められたのは納得がいきません。
秋田県の八郎潟、長崎県の諫早湾などがその際たるものでしょう


この伊庭内湖はもう干拓されることはないでしょう。これからも多くの在来魚の産卵場所として貴重な存在であってほしいです。
ただ、琵琶湖はブラックバス、ブルーギル、さらにはもっと凶暴なチャネルキャットフィッシュなどの数が増えて、
在来魚の数が激減しているのも大きな問題なんですよ


もう稲刈りが終わって、稲架(はさ)掛けをしている田んぼがありました。
ワタクシの知人で農業をしている人がいるのですが、「天日で干したお米は味が違うで」といつも言います


そして、ありがたいことに「味が違うで」という天日干しのお米を毎年譲っていただけるんです。
そのお米を電気炊飯器ではなく、ガスコンロで炊いていただくのですが、やっぱり美味しいんですよね


立派な白壁の蔵がありましたが、舟板塀が使われているのを見ることが出来ました。
舟板って防腐効果があって痛みにくいのだと教えてもらったことが記憶に残っておりました


以前、同じ滋賀県の長浜市で、舟板塀の民家が立ち並ぶ光景を見たことをワタクシは思い出していました
https://blog.goo.ne.jp/harigatake1961/e/c3b0ef3dba9ca540a7901cf89dc7a616


ではでは、伊庭の集落の散策を続けていくとしましょうか。ワタクシ、実に楽しい気分で散策をしていたんですよ

使用したカメラ:FUJIFILM X-Pro2


少なくとも昭和30年代、40年代以降の干拓事業って全く無意味だと思うのですが、日本各地で干拓事業は続きました。
そのおかげで儲ける土建屋、そして土建屋と繋がる多くの政治家たちがいたのでしょう。
悲しいのはその図式が、令和の今もさほど変わらないこと。そして、そんな政治家に投票する国民が数多くいることです。



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水郷の里-滋賀県東近江市:伊庭

2024年10月20日 | 滋賀
Iba, Higashi Omi City, Shiga Pref.

さてさて、9月14日のことなのですが、相変わらず残暑が厳しく大阪は猛暑日になっていました。
三連休の初日だったこの日、ワタクシは滋賀県へと車で向かいました


ワタクシが着いたのは東近江市にある伊庭(いば)という町です。コミュニティセンターの駐車場に車を停めて散策に向かいます。
地元の方がおられて「車はここに停めてくれていいですよ。地図があるので持っていってくださいね」と言ってくれました。
滋賀の方って心優しい人が多いように思います


伊庭は湖東平野に残る水郷集落のひとつです。
その歴史は古く、保元元年(1156年)に源為義が崇徳上皇からこの地を賜った…という記録が確認されているそうです


集落の中には伊庭川から引かれた水路が縦横に巡り、水路は内湖(伊庭内湖)と繋がっています。
ワタクシ、以前から伊庭の町を訪れてみたいと思っていたんですよ


かつて伊庭の集落には水路が縦横に張り巡らされ、明治時代には集落内の400を超える家々の敷地のほとんどが水路に接し、
一軒に一艘の舟を所有していて、昭和30年代まで水路を往来し伊庭内湖とつながっていました


現在も水路が残っていますが、モータリゼーションによって車が普及したために、
水路の幅の半分くらいが埋め立てられて道路が造られたんです。
今は舟(こちらでは田舟と呼びます)で水路を行き来するという光景は見られないようですね


水路には鯉がたくさん棲んでいました。観光地じゃないんで、観光客が餌を与えることも無いのでしょう。
津和野などに比べて鯉はさほど太っていませんでした


この水路なのですが、初夏にはホタルが飛び交う様子を見ることが出来るそうです。いい眺めでしょうね


ではでは、伊庭内湖の方に歩いて行くとしましょうか。内湖とは、琵琶湖と何らかの形で接続している湖沼のことです。
内湖の多くが戦前に干拓されていったのですが、伊庭内湖は今も残る貴重な内湖なんです

使用したカメラ:FUJIFILM X-Pro2


美しい水郷の風景が広がる伊庭地区は、2018年国の重要文化的景観に選定されました。
そのせいもあるのか、最近は集落の見学に来たり、私のように写真撮影に来る人も少しずつ増えているようです。
この日は初めての訪問でしたが、季節を変えてまた訪れたいと思う素敵な町でした。



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良き一日を終えて-滋賀県長浜市

2024年08月03日 | 滋賀
Nagahama City, Shiga Pref.

さてさて、猛暑の中でワタクシは長浜市の散策を楽しんでいました


黒壁スクエアから離れ、ちょっと裏通りに入ります。うだつの上がった家が立ち並び、長浜が裕福な町だったことがわかります。
ワタクシなどはうだつが上がることがないまま、歳だけを重ねてしまいました


長浜の町を歩くのはもう4度目か5度目になりますが、いつ来てもいい町だなぁと思います


奥に見えるお寺は真宗大谷派の大通寺というお寺で、「御坊さん」の愛称で親しまれてきたお寺です。
お寺に向かう参道にはお店が並び、「ながはま御坊表参道」という商店街になっています。
落ち着いた佇まいで、ワタクシはこの参道から眺める大通寺の光景が大好きです


この山門は天保年間に造られたものです。天保年間というと大飢饉、打ちこわし、大塩平八郎の乱など、
江戸幕府の支配体制がガタガタと崩れ去って行く時代ですね


本堂の上に夏の青空が広がります。午後の日差しが強くって、本当に暑かったんですよ。
ただ、今年の暑さはさらにその上をいきますね。もう夏は外出できなくなる日がやってくるかもしれません


子どもが道路に飛び出して自動車などと接触する事故を防止する目的で、ドライバーへの注意喚起のために、
通学路などに設置されている看板を「飛び出し坊や」と言うのですが、滋賀県に行くとやたらとこの飛び出し坊やを目にします。
実はこの飛び出し坊やですが、滋賀県の東近江市あたりが発祥だそうで、
今では滋賀県のお土産グッズなどにもこのデザインが使われているんですよ


明治ステーション通りという通りを通って長浜駅に向かいます。風雪に耐えた舟板塀の家並みが続きます。
土蔵の腰板に和船の古材を利用したものなんです


この後、ワタクシは駅の売店で缶ビールとつまみを買い込み、帰路の列車の中でビールを飲みながら大阪へと向かいました。
ささやかですが、楽しいワンディトリップでした

使用したカメラ:3、4枚目はFUJIFILM X-T30、他はFUJIFILM X-Pro2


最近は人と顔を合わせると「今日も暑いですねぇ」「暑くてたまりませんなぁ」というのが挨拶がわりになりました。
ちょっと前までは猛暑日(35℃)だと聞くと「うわぁ。暑いなぁ」と思ったのですが、今では当たり前に感じます。
今年なんて37℃や38℃なんてのが珍しくなくなってきたので、35℃なら「まだマシ」と思ってしまいます。
あと10年もしたら、40℃が珍しくなくなってくるんですかねぇ。



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