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よっちんのフォト日記

旅先や日常で感じたことを
写真と文章で綴ってみたい。
そう思ってブログを始めてみました。

近江商人の町並み-滋賀県近江八幡市:新町通り

2025年04月21日 | 滋賀
Shinmachi Street, Ohmi Hachiman City, Shiga Pref.

さてさて、近江八幡市を訪れて八幡堀の桜を楽しんだワタクシ達ですが、
八幡堀から歩いてすぐの場所に「新町通り」と呼ばれるエリアがあります。
ワタクシは新町通りの町並みが好きでして、次の予定があってゆっくり散策することは出来ないのですが、
せっかくなので駆け足ではありますが新町通りに向かうことにしました


新町周辺は、古い町並みがよく保存されています。そして、国の重要伝統的建造物保存地域にも剪定されているんです。
江戸時代末期から明治にかけて建築された商家が整然と残る町並みは、近江商人のふるさととして保存運動が展開されています


近江商人の中でも八幡商人は、近江商人の中でも最も早い時期に活動し、海外進出を果たしたのもこの地の出身者でした。
新町界隈には、八幡商人の住居がまとまってよく残っており、景観だけではなく、史跡としても重要なものです


江戸時代、近江を本拠地に他国で活躍する商人を近江商人と呼びました。
その出身地は、主に湖東三郡と呼ばれる蒲生郡、神埼郡、愛知郡に集中しており、
なかでも近江八幡や日野、五個荘からは数多くの有力商人が出ていました


近江商人の中でも、最も早い時期から商才を発揮したのが八幡商人でした。
楽市楽座のもと、活発に商売をしていた八幡商人は、八幡山城の廃城で町が幕府領になったのを機に、全国へ行商の旅に出かけました。
やがて、いち早く江戸日本橋に店を構え、「八幡の大店」と称される大型店舗経営に成功したんですね


八幡商人が扱った商品は畳表、蚊帳、数珠、灯心などでした。近江や上方の地場産業の産物を関東へ持ち込んで販売します。
一方、関東・東北の原材料品を上方へ流通させるという商法で大きな利益を上げたんです


ただ、近江商人の成功に関しては妬み、やっかみも強かったようです。
江戸で成功した近江商人、伊勢商人に対して「近江泥棒・伊勢乞食」という言葉があったんですよ


近江出身の人は商才があり、伊勢出身の人は倹約家が多く、成功する人が多かったのですが、
「宵越しの金は持たない」という気風の江戸っ子には、羽振りのいい近江人や伊勢人に対する負け惜しみがあったのでしょう


近江八幡にはよく足を運ぶのですが、いつ訪れても人が穏やかで、ギスギスしていないなぁって思うんです。
その背景には経済的に豊かな地であったということも、影響しているのかもしれないですね


女の子ととウィリアム・メレル・ヴォーリズの像がありました。ヴォーリズは、英語教師として来日しましたが、
その後、この地でキリスト教の伝道に尽力しつつ、建築家としても活躍し、関西地方を中心に約1600棟の建物を設計しました。
また、メンソレータムで有名な製薬企業「近江兄弟社」を創設したり、教育の場として図書館や近江兄弟学園の設立など、
多岐にわたる社会貢献事業を展開しました。ヴォーリズは近江八幡市第一号名誉市民にも選ばれています。
ワタクシはヴォーリズが設計した建造物って大好きなんですよ


ではでは、この後の予定がありますので次の目的地に向かうとしましょうか

使用したカメラ:7、10枚目はFUJIFILM X-T30、他はFUJIFILM X-Pro2


今年は桜の開花が遅れました。しかし、その反面、桜の開花期間が長かったように思います。
そのおかげで桜の美しさを満喫した人も多かったのではないでしょうか。
私はこの後、さらに信州にまで桜を求めて出かけていきました。今年は人生で一番桜を楽しんだように感じます。



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コメント (31)

今年も桜を楽しむことができる喜び-滋賀県近江八幡市:八幡堀

2025年04月20日 | 滋賀
Hachimanbori, Ohmi Hachiman City, Shiga Pref.

さてさて、桜を求めて近江八幡市にある八幡堀へとワタクシ達は向かいました。
満開とまでは言いませんが、八分咲きくらいの桜は十分に見応えのあるものでした


若い頃、さほど桜に興味を持つことも無かったですし、桜の美しさに心惹かれることもありませんでした。
歳を重ねるごとに「桜っていいなぁ」「桜は素敵だなぁ」と思うようになりました


特に五十路を迎えた頃からでしょうか。桜の季節を迎えると今までに無い感情が湧いてくるようになったんです。
それは、「今年もまた満開の桜を見ることが出来て幸せだ」という幸福感と、
「これからあと何度、美しい桜の姿を見ることが出来るのだろう」という不安感です


いつ頃からでしょうか。一年が過ぎ去っていく速さに驚くようになりました。
「このまま仕事に追われて毎日を過ごしているうちに、気がつけば年老いて行ってしまうのだろうか」と思うようになりました。
その頃から、自分の目で見たものを写真に残しておきたい、大切な記憶を写真にとどめておきたいと感じたんです


元々写真を撮ることは好きだったのですが、デジタルカメラの登場によってフィルムの現像などを気にすることもなくなり、
気軽に日常を撮影できる時代がやってきました。ワタクシの日常の中で、写真を撮るということが大きな楽しみになりました


若い頃にはあまり撮影しなかった被写体にも目を向けるようになりました。それは「古い町並み」であったり、
「神社仏閣」であったり、そして、四季折々の花々であったりなんですよ


そんな中、桜は心惹かれる被写体になりました。毎年のように桜を見に、桜を撮影しに遠出をするようになりました。
ワタクシは正月が来ても「新たな一年が始まる」という気持ちにさほどならないのですが、
春が来て桜を見ると「また新しい一年が始まる」という気持ちを強く感じるんです


そして、毎年「また元気なままで、健康な姿で桜を見ることが出来た」という喜びを強く感じるんです。
こんなことを思うのは、ジジイになったからなんでしょうね


そして、一方では「あと何度、満開の桜を見ることが出来るのだろう」という気持ちも感じるんです。
ワタクシの年齢になると、身近な人たちが虹の彼方に旅立っていくことも増えてきました。
いずれ近いうちにワタクシも…そんなことを考えてしまうんです


でも、今は歳を重ねて老いていくことへの哀しさよりも、歳を重ねたからこそ感じることや理解できることが増えた喜びの方が強いんです。
八幡堀の桜を見ながら「あと20回は、いや30回は満開の桜を見るからな」と心に誓ったワタクシでした

使用したカメラ:1、7、8、9枚目はFUJIFILM X-Pro2、他はFUJIFILM X-T30


4月から週3日の勤務になったのですが、仕事の開始時間が朝の10時。職場までは自転車で20分なので9時30分に家を出ています。
朝は紋クンの散歩の後、約1時間のウォーキングをしてから自転車で出勤ですので、仕事がある日もかなり健康的な生活なんです。
その効果が徐々に体重に出てくるようになったのが嬉しいんですよ。



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堀は埋めた瞬間から後悔が始まる-滋賀県近江八幡市:八幡堀

2025年04月19日 | 滋賀
Hachimanbori, Ohmi Hachiman City, Shiga Pref.

さてさて、桜を求めて近江八幡市八幡堀へとワタクシ達はやって来たのですが、
八幡堀には白い土塀や古い民家が立ち並び、そして堀には屋形船が行き来します。
しかも堀の両サイドには遊歩道が設けられ、美しい光景を眺めながらの散策を楽しむことが出来るんです


八幡堀は琵琶湖と城下を結びつける水路として大きく発展してきました。
町の繁栄に大きな役割を果たし、江戸時代後期には近江国では大津と並ぶにぎわいをみせたそうです


八幡堀はその後、昭和初期までは経済・流通路として反映しましたが、戦後の陸上交通の発展によって徐々に衰退していきます。
昭和30年代に入って高度成長期を迎え、やがて八幡堀は市民からも忘れ去られる存在になってしまったのです


その結果、今の姿からは想像もできないほど水質環境は最悪の状態になてしまいます。
ゴミの不法投棄などによりヘドロが堆積し、衛生面でも著しく悪化するんです。
市民の間でも八幡堀の埋め立てもやむなしという気運が高まり、埋め立てはほぼ決まりつつありました


その状況を危惧したのは、地元の青年会議所などに所属する若いメンバー達でした。
彼らの合い言葉は「堀は埋めた瞬間から後悔が始まる」だったそうです。
堀を残そうとしたのは観光目的のためではなく、近江八幡の歴史の灯を消してはならないという思いだったそうです


その後、長年の地道な活動が功を奏し埋め立て計画はやっと白紙に戻されました。
見るも無残だった八幡堀は市民たちによる大清掃を中心とした環境整備により再生運動がスタートしました。
根強い反対運動にも屈することなく、約30年の歳月を費やして八幡堀は「近江八幡の顔」として見事によみがえったのです


八幡堀そのものだけでなく周辺の道路や町並みも整備され、近江八幡を代表する観光地として全国に知れ渡りました。
今では八幡堀を中心としたエリアに多くの観光客が訪れ、近江八幡の町は大いに活性化しました


「たら」「れば」という言葉を使えば、もし八幡堀が埋め立てられてしまったら、近江八幡の魅力は半減どころでは済まなかったでしょう。
そう考えると、環境保全に立ち上がった人々には頭が下がる思いがします


近江八幡はそんな歴史的な経緯も含めて、ワタクシには大好きな町なんですよ

使用したカメラ:2、5、8枚目はFUJIFILM X-T30、他はFUJIFILM X-Pro2


高度経済成長は年平均10%前後の高い経済成長率や、インフラ整備の進展、輸出の拡大などの大きな発展を日本にもたらしました。
しかし、急速な工業化や土地の開発は、公害をはじめとした深刻な社会問題を引き起こしました。
有毒な物質を含む工業廃水によって川や海が汚染される水質汚濁。 工場から上る煙や車の排気ガスによって引き起こされる大気汚染。
あの時代を「日本は幸せだった」と言う昭和育ちの人がいますが、功罪の「罪」の部分も忘れてはならないと思うのです。



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湖国の桜-滋賀県近江八幡市:八幡堀

2025年04月18日 | 滋賀
Hachimanbori, Ohmi Hachiman City, Shiga Pref.

さてさて、4月7日の月曜日なのですが、この日は関西地方の多くの場所でソメイヨシノが見頃を迎えていました。
ワタクシ、4月からは週3日勤務の非常勤職員になったので、日〜水が休日なんです。
ですので、平日で人出が少ないこの日に桜を見に行こうと考え、家人と出かけることにしました。
向かったのは滋賀県近江八幡市です。朝6:30に自宅を出発、8:30に近江八幡に着きました


この建物は「白雲館」といい、明治10年に八幡東学校として建築されました。
当時のお金6千円で設立されたもので、貴重な擬洋風建造物なんです。
近江商人が子どもの教育充実を図るためその費用の殆どが寄付で賄われました。
現在は観光案内所が設けられ観光情報の提供や、お土産や特産品も展示販売されています


滋賀県ではどこでも見かける「飛び出し坊や」です。ここは通学路になるのでしょうか。
とび太くんは学生服を着ておりました


この日、近江八幡を訪れた一番の目的は「八幡堀」の桜です。八幡堀は、近江八幡の商業発展に大きな役割を果たした人工の水路です。
全長約 4.7kmの堀の中央部には、商人たちが建てた白壁の土蔵や伝統的な木造家屋が並んでいます。
このため、堀の両岸は旧市街の新町通り、永原町通りとともに重要伝統的建造物群保存地区 に指定されているんです


八幡堀の歴史は、1585 年に豊臣秀吉の甥である豊臣秀次が八幡山城を築城する際に堀を掘らせたのが始まりとされています。
この水路は防御の目的もありましたが、町と琵琶湖を結ぶ交通路として 利用されました。
この運河と琵琶湖を経由して、京都、大阪、江戸などの大都市との物資のやりとりが行われたんです


ワタクシはここ八幡堀が、いや、近江八幡という町が好きで、これまでに何度も訪れています。
いつ訪れてもいい町だなぁ、また訪れたいなぁと思う場所なんですよ


前日(4月6日)は日曜日なので、八幡堀や新町通りなどは多くの観光客で賑わっていたようです。
しかし、この日は月曜日の朝ということもあり、八幡堀には拍子抜けするほど人の数が少なかったんですよ。
写真を撮影するには、人の数が少ない方がありがたいですね


この八幡堀ですが、白壁の土蔵と堀の姿が絵になるからでしょうね。これまで何度も時代劇やドラマのロケ地になっています。
ワタクシの記憶にはありませんが、古くは「銭形平次」「鬼平犯科帳」「必殺仕事人」などでロケ地になったそうです


最近では映画「るろうに剣心」や、朝ドラの「あさが来た」「おちょやん」などでロケが行われました。
「あさが来た」「おちょやん」はワタクシも見ていたのですが、一瞬で「あ、八幡堀や」とわかりました。
ではでは、さらに八幡堀の桜を楽しむとしましょうか

使用したカメラ:2、3、5、6枚目はFUJIFILM X-Pro2、他はFUJIFILM X-T30


今年、関西ではソメイヨシノの開花が例年に比べて遅かったんです。ここ近江八幡では、4月4日が開花日だったんですよ。
ただ、開花宣言が出されると一気に開花が進んだようで、この日は全体的に八分咲きという感じでした。
見ごろの桜、爽やかな晴天…いい春の日を過ごすことが出来ました。



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健康祈願-滋賀県大津市:石山寺

2025年04月11日 | 滋賀
Ishiyamadera Temple, Otsu City, Shiga Pref.

さてさて、梅の花を楽しみにワタクシは石山寺を訪れたのですが、今年は梅の開花が遅く、
まだ見頃にはなっていませんでした。全体的には3分咲きというところでしょうか


春といえばお花見ですが、現代の花見の根底となる習慣は、奈良時代に形作られたといわれています。
花見で愛でる花といえばもちろん桜のことですね。桜は日本人に古くから愛されてきた花であり、春を象徴する花です。
でも、実は奈良時代は桜より好かれた花があったんです。それは梅です。
奈良時代の花鑑賞といえば、梅をさしていました。貴族たちの間では造園する際、梅を入れることが定番となったようです


当時、日本は遣唐使を介した中国との交易が盛んでした。中国文化、物品も多く日本に伝わり、その中の1つに梅があったのです。
香立つその花は珍重され、桜よりも人気がありました。その人気ぶりをうかがえるのが、『万葉集』に詠まれた梅の数です。
桜を詠んだ歌は43首に対し、梅を詠んだ歌は110首。梅は桜の倍以上詠まれているんです


この建物は光堂。これは鎌倉時代にあった光堂を復興したもので、石山が起業の地である東レが寄進したものだそうです


光堂のすぐ近くに紫式部の像がありました。そう言えば紫式部を主人公にした大河ドラマは、『光る君へ』というタイトルでしたね。
ドラマの内容は置いておいて、主役を務めた吉高由里子さんっていい俳優さんだなと思いますわ


今回の石山寺もそうですが、最近は寺や神社に参拝する際、願うことはワタクシと家族の健康です。
ワタクシの年齢になると友人や同僚の中にも、病気を抱えて日常生活にさまざまな制限を課せられた人もいます。
ありがたいことにワタクシも家人も今のところ身体に悪いところは特にありません。この状態を維持したいものです


前にブログにも書きましたが、ワタクシはこの4月から週3日の非常勤職員になったので、自由な時間が増えました。
この時間を有効に使うためにも、ワタクシは心身ともに健康でありたいし、そのためには普段から適度な運動も欠かさず、
食生活にも気を遣っています。ただ、お酒だけはやめることは出来ません


久々のソロキャンプ、そして正寿院と石山寺の参拝を楽しんだ二日間でした。
一人でいる時間、家族と過ごす時間、友人と過ごす時間、職場の人たちと過ごす時間…
これらを上手くバランスを取ることが大切なのだなと思います


これは大津市のゆるキャラ「おおつ光ル」くんです。
一見ホンワカしているけれど、歌が詠めてスポーツだって得意な、元気な男の子というキャラだそうです。
彼らに見送られながら、ワタクシは帰路についたのでした

使用したカメラ:FUJIFILM X-T30


新しい仕事、新しい職場に慣れるまでには、まだ時間がかかるとは思います。
ただ、働いているからこそ「休み」の日が嬉しく感じられ、「休み」の日の有り難みを感じるのでしょう。
あと何年働くことが出来るのかわかりませんが、もうしばらくは働く喜びを感じながら日々を過ごしていきたいです。



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