Kinasa, Nagano City
さてさて、今日からはまたまた信州の記事を続けますね。どうかお付き合いくださいませ。
予定よりも一日早く下山したワタクシ達ですが、本来はこの日(8月22日)に下山して白馬村に一泊する予定で宿も予約していたんですよ。
ですのでこの日は、前日から白馬村に泊まり、この日も白馬村に泊まるので一日白馬村に滞在することになります
。
ところが、ワタクシ達二人は毎年のように白馬村を訪れており、大抵の場所は訪れておりますし、この日は台風の影響で天候も良くないようです。
前日の夜に「白馬村を離れて、今まであまり行ったことのない場所を訪ねてみよう」という計画を立てまして、
この日はまず、長野県長野市の鬼無里(きなさ)に向かったのでありました
。

鬼無里も平成の市町村合併で長野市に合併されたのですが、鬼無里と書いて「きなさ」と読む地名には誰もが興味を持つと思うのです。
鬼無里の地名の由来にはいくつかの説があるのですが、最も有力な説と言われているのがこのような説なんですよ
。

その昔、この地には京の都から配流された紅葉という美しく高貴な女性がいました。
里長はなにかと京を懐かしむ紅葉の心を察してこの地に加茂川、東京、西京、高尾、二条、四条など
いずれも平安の都から名を取った地名をおき、紅葉をなぐさめたそうです。実際にこれらの地名は今も残っているんですよ
。

しかし紅葉は、やがて悪者達に担がれて盗賊の首領となり、旅人を襲って豪勢な暮らしをするようになりました。
人々は紅葉を鬼女と呼ぶようになり、そのうわさは遠く京の都にまで知れ渡ることとなりました
。

朝廷は平維盛に鬼女征伐を命じ、苦戦の末、ついに紅葉狩りを果たしたといわれています。
この地は、それ以降鬼の無い里、すなわち鬼無里と呼ばれるようになったということです。なかなか興味深いですよねぇ
。

周囲から隔離された盆地にある鬼無里は、この説が「なるほど」「もっとも」と思えるような、
どこか懐かしく、そして古き良き時代に日本の姿を残す集落なのです
。

鬼無里の集落の小高い場所に白髯神社(しらひげじんじゃ)という、なかなか立派な神社が鎮座しておりました。

この神社では、上に書きました鬼女紅葉討伐の戦勝祈願が行われ、また、木曽義仲が平家追討の戦勝祈願を行ったという歴史があります
。

そんな神社の中に、七夕の時に住民たちが書いた短冊が残っておりました。
「ゆうしょう 阪神タイガース」…これを書いた野球少年の思いを、叶えてくれるのはいつになることでしょう。
期待させては裏切り、その気にさせては落胆させの繰り返し。ああ、でもそれが阪神タイガースなのです
。

峠の上から鬼無里を眺めてみました。天候が良ければ、山並みの向こうに北アルプスが聳える姿が見えるのですが、この日は仕方ないですね。
ではでは、次の目的地に向かうとしましょうか
。
使用したカメラ:FUJIFILM X-T1
白馬村から鬼無里に向かう時、道路のあちらこちらで補修工事をしていました。
最初は「なんでかなぁ」と思っていたのですが、去年の11月に白馬村を中心に大きな地震があったことを思い出しました。
最近は天災がとにかく多いので、忘れてしまうのはいけないですね。
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予定よりも一日早く下山したワタクシ達ですが、本来はこの日(8月22日)に下山して白馬村に一泊する予定で宿も予約していたんですよ。
ですのでこの日は、前日から白馬村に泊まり、この日も白馬村に泊まるので一日白馬村に滞在することになります

ところが、ワタクシ達二人は毎年のように白馬村を訪れており、大抵の場所は訪れておりますし、この日は台風の影響で天候も良くないようです。
前日の夜に「白馬村を離れて、今まであまり行ったことのない場所を訪ねてみよう」という計画を立てまして、
この日はまず、長野県長野市の鬼無里(きなさ)に向かったのでありました


鬼無里も平成の市町村合併で長野市に合併されたのですが、鬼無里と書いて「きなさ」と読む地名には誰もが興味を持つと思うのです。
鬼無里の地名の由来にはいくつかの説があるのですが、最も有力な説と言われているのがこのような説なんですよ


その昔、この地には京の都から配流された紅葉という美しく高貴な女性がいました。
里長はなにかと京を懐かしむ紅葉の心を察してこの地に加茂川、東京、西京、高尾、二条、四条など
いずれも平安の都から名を取った地名をおき、紅葉をなぐさめたそうです。実際にこれらの地名は今も残っているんですよ


しかし紅葉は、やがて悪者達に担がれて盗賊の首領となり、旅人を襲って豪勢な暮らしをするようになりました。
人々は紅葉を鬼女と呼ぶようになり、そのうわさは遠く京の都にまで知れ渡ることとなりました


朝廷は平維盛に鬼女征伐を命じ、苦戦の末、ついに紅葉狩りを果たしたといわれています。
この地は、それ以降鬼の無い里、すなわち鬼無里と呼ばれるようになったということです。なかなか興味深いですよねぇ



周囲から隔離された盆地にある鬼無里は、この説が「なるほど」「もっとも」と思えるような、
どこか懐かしく、そして古き良き時代に日本の姿を残す集落なのです


鬼無里の集落の小高い場所に白髯神社(しらひげじんじゃ)という、なかなか立派な神社が鎮座しておりました。

この神社では、上に書きました鬼女紅葉討伐の戦勝祈願が行われ、また、木曽義仲が平家追討の戦勝祈願を行ったという歴史があります


そんな神社の中に、七夕の時に住民たちが書いた短冊が残っておりました。
「ゆうしょう 阪神タイガース」…これを書いた野球少年の思いを、叶えてくれるのはいつになることでしょう。
期待させては裏切り、その気にさせては落胆させの繰り返し。ああ、でもそれが阪神タイガースなのです


峠の上から鬼無里を眺めてみました。天候が良ければ、山並みの向こうに北アルプスが聳える姿が見えるのですが、この日は仕方ないですね。
ではでは、次の目的地に向かうとしましょうか


使用したカメラ:FUJIFILM X-T1
白馬村から鬼無里に向かう時、道路のあちらこちらで補修工事をしていました。
最初は「なんでかなぁ」と思っていたのですが、去年の11月に白馬村を中心に大きな地震があったことを思い出しました。
最近は天災がとにかく多いので、忘れてしまうのはいけないですね。
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