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よっちんのフォト日記

旅先や日常で感じたことを
写真と文章で綴ってみたい。
そう思ってブログを始めてみました。

富山の夜に舌鼓-富山県富山市:総曲輪・「居酒屋だいにんぐ One's Heart」

2013年09月14日 | 富山
Restaurant“One's Heart”, Toyama City, Toyama Pref.

さてさて、北前船の歴史感じる岩瀬の町から富山市内に戻りまして、この日のお宿(といってもビジネスホテルですが)に行く途中
ワタクシは、なんとも富山らしい建物を見つけたのですよねぇ


「越中富山の薬売り」…江戸時代末から明治時代にかけて、富山の薬売り達は日本各地に販売路を広げました。
そんな富山の薬を代表するのが「反魂丹」でありまして、お店の看板にも「天保元年創業」と書かれています。
ということは創業180年近くにもなるわけですなぁ


ワタクシ、役に立たない些細なことをよく覚えているんですよねぇ
ワタクシが小さい子供だった頃、大阪の実家には毎年二回、富山から薬売りのおじいちゃんが来ていたんですよ。
家にある薬箱を見て、少なくなった薬をおじいちゃんが補給してくれるのですが、ワタクシはそのおじいちゃんが来るのが楽しみだったんです。
いつも優しい微笑みを浮かべ、大阪弁とは違うイントネーションで喋るおじいちゃんが来ると
「薬のおじいちゃんが来たで~」とオカンのところに走って行ったものでした

小学校2年生くらいだったでしょうか。おじいちゃんがやって来なくなりました
それは薬局の普及で薬が売れなくなったからか、それともおじいちゃんがもう体力的に行商が無理だったのかはわかりません。
今にして思えば、一つの伝統文化の終焉にワタクシは立ち会っていたのかもしれませんね

ワタクシたちはお宿にチェックインして、ビジネスホテルとはいえ立派な温泉があったのでゆっくりとお湯につかりました。
そうなると…この後にすることは決まっていますがなぁ

ワタクシたちの宿は富山市の総曲輪という中心部にありました。情報を集めて近くの美味しい居酒屋を決め、いざレッツらゴー(古いな)。


ワタクシたちが向かったのは宿からほど近い「居酒屋だいにんぐ One's Heart」というお店でありました。
ビルの2階にあるお店は、なかなかオシャレな感じでありました。


「さあ、何を食べようかなぁ」と思いながらメニューを開く瞬間は、至福の一瞬ですなぁ


左は突出しの「太刀魚の南蛮漬け」でございます。いい加減な突出しを出す居酒屋も多いのですが、
ここの突出しの南蛮漬けは酢の具合も絶妙でありまして、これでしたら料理に期待が持てますなぁ。
右は「鮭ハラス焼き」でございます。ハラスはもともと脂が多いのですが、ちょっと脂っこいかったかなぁ。


どーですか。「サバの浅締め」でございます。ワタクシ、シメサバが大好きなのですが、これは絶品でありました。
サバがいいので塩や酢を控えめにしているのだそうです。サバの脂がたまらない一品でした


どーですか。「白エビの唐揚げ」でございます。“また白エビ食べるのか”と言われそうですが、食べるのです。
サクサクした食感。甘いエビの味。これはもうたまりません
ワタクシ、五十路になるまで白エビの味を知らなかったのですが、これからは富山に来たら必ず食べねばなりませぬ。


ちょっと富山に来てから野菜が不足してるよなぁ…ということで、野菜サラダも注文することにしました。
どーですか。「豚の冷しゃぶと湯葉のサラダ」でございます。豚がたっぷりなのにウハウハ喜んだのですが
湯葉はどこにあるのかなぁと一瞬思いました。なーんだ、豚の下に湯葉もたっぷり隠れておりました


どーですか。「とろとろ煮卵入り豚角煮」でございます。
ワタクシ、豚の角煮はもちろん大好物なのですが、煮卵も大好きなんですよねぇ。あー、幸せ

どの料理を食べても本当に美味しく、ワタクシたちは富山の夜を堪能したのでありました

居酒屋だいにんぐ One's Heart…富山市総曲輪2-1-17

使用したカメラ:FUJIFILM X-E1


旅に出ると、やはり「食べる」ということは大きな楽しみの一つです。
ワタクシは特別にグルメでもありませんし、食事に法外な予算をかけることもありません。
ただ、地元の人で賑わうお店にハズレはないなぁということは、これまでの旅で痛感しています



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北前船がもたらした富-富山県富山市:岩瀬・北前船廻船問屋 森家

2013年09月13日 | 富山
Iwase, Toyama City, Toyama Pref.

さてさて、昨日のブログにも書きましたように、ワタクシたちはかつては北前船の寄港地として大いににぎわった
富山県富山市の岩瀬の町へやってまいりました。
ここ岩瀬には当時の栄華を感じさせる豪商のお屋敷がいくつか残っており、中には見学できるものもありました。


せっかくですので、ワタクシたちはその中の一つである「北前船廻船問屋 森家」に入ることにいたしました。
外から見ても重要文化財に指定されるだけあって、なかなか重厚なたたずまいですね


日本海交易で活躍した北前船廻船問屋森家は、各地の富を集め3年の歳月をかけて明治11年(1878年)に建築されたものだということです。
地元では北前船のことをバイ船と呼んだそうなんですよ。その理由は“倍倍"に儲かることからなんですって
船の往復もうかるから「のこぎり商売」ともいわれ莫大な財をなしたのが森家だということです。


お屋敷を建てるときの棟梁は、京都の東本願寺を普請した親方をわざわざ呼び寄せたそうです
そのことだけでも、森家の財力が想像できますねぇ。


建物の中は地元のボランティアの方が詳しく説明してくれたので、なかなか興味深いお話を聞くことが出来ました。
板戸には材木として屋久杉を、また梁には能登産の黒松をふんだんに使っているのだと教えていただきました。
今では入手困難な見事な木材が使われているようですね


隠し金庫があるのですが、そのカギはわざわざ東京の錠前屋に作らせたものだそうです。


建物の奥にあった蔵の表面に彫られた文様を見ていても、贅のかぎりを尽くしたんだなぁと感じますよねぇ。


人は富を得ると、その富を使いたくなるのは当然でしょう。その使い方は人によってまちまちでしょうが
ワタクシなどは富を得ることが無いので、使い道に悩むことはありません。わっはっは


ボランティアの方はちょっと滑舌が悪いのが気になりましたが、本当に丁寧に説明いただいたおかげで楽しい時を過ごすことが出来ました。
感謝感謝の気持ちで、ワタクシたちは森家を後にしたのでありました


初めて訪れた富山市岩瀬…北前船の栄華に思いをはせることが出来る、穏やかな町でありました。
ではでは、ライトレールに乗って富山市内に戻るとしましょうかねぇ

使用したカメラ:Canon EOS7D


隆盛を極めた北前船も、明治維新以降に衰退していきます。
なんといっても鉄道の敷設によって、物資の輸送は鉄道中心になったのが衰退の最大の理由です。
しかしながら、今でも北前船の寄港地には当時の食文化の名残が見られるというのは
いかに私たちにとって食文化というのは根強く、そして根深く残るものかという証明でもあるでしょうね



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コメント (27)

北前船の栄華を感じる町-富山県富山市:岩瀬

2013年09月12日 | 富山
Iwase, Toyama City, Toyama Pref.

さてさて、ワタクシたちは富山ライトレールに乗って、富山県富山市の岩瀬という地区にやって来ました。
この岩瀬とはどういう場所かを少し説明させてくださいね

皆さんは「西回り航路」というのをご存知でしょうか
江戸時代から明治時代にかけて北海道(蝦夷地)と天下の台所と呼ばれた大阪を結んだ航路の一つでして
北海道から言うと、日本海側を現在の山口県まで行き、その後瀬戸内海を経由して大阪まで行く航路を「西回り航路」と呼びました。

ここ岩瀬は西回り航路の回船問屋が集まり、江戸時代から明治時代まで大いににぎわった港町なんですね


西回り航路で活躍した廻船は「北前船」と呼ばれました。北海道から大阪へ向かう北前船の積荷は昆布、身欠き鰊、干鰯などの海産物が大半でした。
ニシンの採れない京都でニシンそばが冬の味覚となり、昆布の採れない大阪で昆布だしをふんだんに使い、塩昆布が名物になったのも
北前船が運んできた海産物があったからなんですよね


逆のルートでは大阪や京都で作られた日常生活品、瀬戸内の塩、紙、砂糖、蝋燭などが日本海側の各地へ、そして北海道へと運ばれたようです。
当時、大阪や京都は「上方」と呼ばれていました。文字通り上方は文化の先進地域であり、上方からの洗練された物資は地方の人にとって憧れだったことでしょう。


「北陸浜街道」と呼ばれる岩瀬の中心通りには、当時の栄華を感じさせる豪商の建物が残っています


このあたりは加賀藩の領地だったそうでして、本藩である加賀藩の蔵屋敷が海岸沿いに立ち並んでいたそうなんですよ。


良質の昆布が北前船によって運び込まれてきた越中富山も、昆布を食べる食文化が根づいたようです。
一人あたりの昆布消費量は富山県が1番だと聞きました。魚料理に昆布ジメが多いのも印象的でありました。
こうしてみると、食文化というのは面白いものだなぁと感じるんですよねぇ


表通り(北陸浜街道)から路地裏に足を踏み入れてみました。
どうもワタクシは、どこに行っても路地裏に行かずにはいられないようですねぇ。


それにしても人がいません…。本当に静かな静かな散策を楽しめたというか、あまりにも静かすぎて寂しいくらいでありました。


ではでは、初めての岩瀬の町…もう少し歩いてみるとしましょうかねぇ

使用したカメラ:Canon EOS7D


大阪から北海道へは約2か月、北海道から大阪へは約4か月の船旅だったそうです。
その間、北前船が寄港する港町はさぞかし大きな賑わいだったことなのでしょう。
運ばれたのは積荷だけではなく、上方の文化や言葉までもが伝播したのだと聞くと北前船に一層興味が湧いてきたんですよね



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未来の乗り物-富山県富山市:富山ライトレール

2013年09月11日 | 富山
Toyama Light Railway, Toyama City, Toyama Pref.

さてさて、岐阜県飛騨市神岡の散策を終えたワタクシたちは、この日の宿泊地である富山を目指して出発しました。
時刻は11時半くらいになり「ちょっとお腹がへったなぁ」「何か食べたいなぁ」と車中で話しておりました
では何を食べようか…となった時に、富山まで来てハンバーガーや牛丼というわけにはいきません。
魚介類が豊富な富山は回転ずしのレベルが高いと聞いていたので、どこか適当な回転ずしに入ろうということになりました。
といっても、くら寿司やスシローではありません。富山の地元の回転寿司に入ろうと決めたんですよねぇ


美味しいかどうかわかりませんが、「すし玉」という回転寿司があったので入ってみました。
まだ11時半だったので店内は割と空いていたのですが、スポーツ選手や芸能人のサインがいっぱい。
これは期待できるかも…


どーですか。左は「シマアジ」、右は「ブリ」ですな。回転ずしとはいっても、ほとんどの寿司は威勢のいいあんちゃんが注文を聞いて目の前で握ってくれました。


どーですか。この日は「味噌汁サービスデー」ということで、左の味噌汁を無料でいただきました。
右は「ボタンエビ」ですが、卵が宝石のようですなぁ。


どーですか。左は「アカイカ」、そして右は富山湾の宝石「白エビ」の軍艦巻きです。
ワタクシは今回の旅で白エビを堪能させていただきました。


どーですか。左は「カンパチ」、右は「イワシ」です。絶品だったのがこのイワシでありました
ここの値段はくら寿司やスシローのように「どの皿も100円」というわけにはいきませんが、味に関しては間違いなく美味しかったです。
ワタクシたちが店を出ようとするときには、玄関に行列が出来ていましたので地元の人気店なんでしょうね。
いいお店に入ることが出来て幸運でした

ではでは、富山市内に着いたワタクシたちの次の目的はと言いますと…


富山県富山市に富山ライトレール富山港線という鉄道があるんです。
ワタクシが鉄道好きなのはこのブログにもよく書いておりますが、家人も鉄道そのものが好きというわけではないのですが
鉄道に乗って旅をするのは好きなんですよ。ですので、ちょっと珍しいこの路線に乗ってみることにしました。

富山港線は、富山県富山市の富山駅北駅から岩瀬浜駅までを結ぶ富山ライトレールの鉄道路線です。
かつては国鉄(その後はJR)の富山港線が、2006年から第三セクター会社の富山ライトレールに移管し路面電車 (LRT) 化した路線なんですよ。
注目してほしいのはこの車両です。車高が低く、段差が無いので老人や身体の不自由な人に優しい車両なんですよね。


列車に乗ると、鉄道少年だった頃の血が騒ぎます。こういうアングルで写真を撮るのがたまりません


今、欧米ではライトレールと呼ばれる路面電車が注目を浴びています。
上記したように老人や障がい者に優しく、路面電車で都市内を移動することで都心部の車の数を減らすことが出来ます。
そして電車は排気ガスを出しませんので環境にも優しいんですよね。


ワタクシ、去年チェコに行ったときに「なんと路面電車って便利なんだろう」と感じました
かつては日本各地に路面電車がありましたが、「自動車に邪魔になる」という理由で次々と廃止されていきました。
当時の日本は自動車産業を育成する上でも、路面電車は邪魔だったのかもしれません。

つい最近、大阪府の阪堺電車で富山ライトレールと同じような新型車両が導入されました。
また堺市では以前から市を東西に貫くライトレールの新設が考えらていますし
横浜市でもライトレールの敷設が検討中だと聞きました。もう一度路面電車が脚光を浴びるときは
日本の都市が環境に優しくなることだとワタクシは感じているんですよ。


ではでは終着駅の岩瀬浜駅から歩いていくとしましょうか。次の目的地がありますから

使用したカメラ:1~5枚目はFUJIFILM X-E1、6~10枚目はCanon EOS7D


大阪市内でも私が小学校の2年生まで市電が走っていました。
下があずき色、上がベージュ色のツートーンで、私はこの渋い色合いが大好きでした。
数年前、広島に行ったときに広島の市電に大阪市電の車両が使われているのを見たとき、懐かしさでいっぱいになりました



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思い出の駅-富山県富山市:富山地方鉄道 有峰口駅

2013年09月07日 | 富山
Arimineguchi Station, Toyama City

さてさて、宇奈月温泉を出発したワタクシたちはこの日の宿泊地である立山山麓に向かっていったのですが
ワタクシたちが通行している道路に沿うように、鉄道の線路が走っておりました。
そうこうするうちに、ワタクシは思い出深い駅舎を見つけたんですよね


この駅が富山地方鉄道立山線の有峰口駅なのですが、この駅がワタクシにはちょっと思い出があるんですよ。
ワタクシ、若い頃はよく山に登っていたのですが、北アルプスの薬師岳、黒部五郎岳、雲ノ平などへ登山をする場合
ここ有峰口駅で下車してバスに乗って折立という場所まで向かうのですね。
ワタクシ、早朝の有峰口駅に降り立ち、バスに乗って山道を行き、それから北アルプスを縦走したんですよねぇ。
その時の思い出がよみがえり、ゆっくり眺めることもなかった駅舎をちょっと見てみたくなったのです


ホームに歩いていくと、ガタンガタンと列車の音が聞こえてきました。
あらあら、1時間に1~2本しかない列車がやってきたではあーりませんか


あらあら、なんとこの駅で立山行の列車と富山行の列車が列車交換をするではあーりませんか


こんな幸運はそうあるものではないですよねぇ。“俺は持ってるなぁ”と呟きつつ、去っていく列車にレンズを向けたのでした。
それにしても、2つの列車に乗る人も一人もいないし、降りてくる人も一人もいないという状況でありました。
調べてみると有峰口駅の利用者は一日平均44人だとか


ワタクシは閑散としたホームの待合室で、この駅の存続に不安を感じたのでありました。


この時ワタクシはFUJIFILM X-E1にXF35mm f1.4Rレンズをつけて撮影したのですが
この自然なボケ具合がワタクシはとても気に入ってるんですよ。


ズームレンズの便利さは理解しつつも、単焦点レンズの良さを最近は特に再認識しています。
FUJIFILMのXFレンズもラインアップが増えてきたので、ワタクシとしては嬉しい限りなんですよねぇ


富山地方鉄道有峰口駅…前に来たときは駅をゆっくり見ることなんて出来ませんでしたが、こうして見てみると味わい深い素敵な駅舎です。
ぜひこの路線が存続することを、この駅舎が残されることを願うばかりでありました


そしてそして、有峰口駅から15分ほどで、この日のお宿である立山山麓のペンション「ホワイト・ベル」に到着したのでありました。




食事も地元の食材を生かしたものが多く、美味しくいただくことが出来ました。
ただ、一度にドッと料理が運ばれるので、ちょっと慌ただしかったのが残念でありました

使用したカメラ:FUJIFILM X-E1


利用客一日44人。ちなみにとなりの本宮駅は一日13人でした。
有峰口駅は登山客が利用するので、かろうじてこの人数を保っているのでしょうか。
列車が去って行ったプラットホームは、ちょっと物悲しく寂寞の思いがしました



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コメント (25)