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よっちんのフォト日記

旅先や日常で感じたことを
写真と文章で綴ってみたい。
そう思ってブログを始めてみました。

九州の小京都-大分県日田市:豆田町

2014年01月10日 | 大分
Mameta Town, Hita City, Oita Pref.

さてさて、大分県杵築市、そして豊後高田市と寄り道をしてきたワタクシ達は
帰省先である大分県日田市に夕刻、到着したのでありました
普通の人なら「いやぁ疲れました。ちょっと一杯飲みたいですなぁ」となるのでしょうが、ワタクシは普通ではありませぬ。
家人と紋を家人の実家に預け、夕食まで少し時間があるので豆田町という場所に向かったのです

日田は、江戸時代には幕府直轄の天領地として日田代官所が置かれた城下町です
九州各藩に貸し付けた利子により莫大な利益を得て経済的にも豊かになり、その商人たちが集中していたのが豆田町なんです。


ワタクシはこれまで何度か豆田町には足を運んでいますが、来るたびにこの町を訪れる人が増えているように感じます。


この日は夕刻、午後4時頃に豆田町にやって来たので、観光客は次々と豆田町を後にする時間帯でした。
それでも近隣の温泉地などに宿を取っているのでしょう。けっこう多くの人が町を散策しておりました


日田ではこの豆田町を中心に古い町並みや土塀が残っており、夏には鵜飼いがおこなわれる情緒あふれる街で「九州の小京都」と言われています。
全国には数多くの「小京都」と呼ばれる町がありますが、ここ日田もそうなんですね


また日田には三隈川(筑後川の上流部を大分県では三隈川と呼ぶんです)をはじめ、川がたくさん流れており
豊かな水に恵まれた土地なんですよね


この写真に写っている川は花月川といい、この川の南側一帯が豆田町になるんです。
正面に見えているのが「薫長」という酒造会社で、江戸時代に造られた酒蔵は見学することも出来まして
豆田町のシンボルともいうべき存在なんですよ。


もし家人と知り合うことがなければ、日田という場所に足を運ぶことはなかったかもしれません。
しかし、何度もこの町を訪れるうちに、ワタクシはこの町がずいぶんと好きになりました


豆田町を歩いていると、周囲から聞こえてくる言葉に「あぁ、九州に来たんだなぁ」と実感します。
方言というのは、それだけで旅情をかき立ててくれますよね。


ではでは、豆田町をもう少し歩いてみるとしましょうか。何度か来ていますので、道は熟知しております

使用したカメラ:FUJIFILM X-E1


私は両親ともに大阪の人なので、子供の頃に帰省するということがありませんでした。
お盆やお正月に、田舎に帰省する友人を羨ましく感じていました。
今は帰省先が出来たので、とても嬉しく思います



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コメント (29)

少年時代の思い出-大分県豊後高田市:昭和の町

2014年01月09日 | 大分
Syouwa Town, Bungo-Takada City, Oita Pref.

さてさて、大分県豊後高田市の「昭和の町」を、懐かしさを感じながら歩くワタクシ達でした。
ワタクシは昭和36年生まれでして、生まれ育った大阪の下町には賑やかな商店街がたくさんありました
ですので、昭和の町の商店街を歩いていると、子供の頃のことが次々と頭に蘇って来るんですよね。


古い銀行の建物が今は資料館として使われれおりました。
ワタクシが小さな子供だった頃、クーラーというのはまだ普及しておりませんでした。
ですので、銀行の中に入ってクーラーで涼むのがすごく嬉しかった記憶があるんですよねぇ


資料館の中に昭和30年代頃に使われていたものが、たくさん置いてありました。
こんなレジもありましたよねぇ。どうやって使うのか、ワタクシにはわかりません。


あの頃の記憶で今でも鮮明に覚えているのが、実家にカラーテレビが運ばれてきた日のことです
ワタクシが物心ついたときに実家にはモノクロのテレビがありましたが、カラーテレビはまだありませんでした。
近所にちょっとお金持ちの子がいて、その子の家にはいち早くカラーテレビがあったんですよ。
「ウルトラマン」「巨人の星」などがある日は、その子の家にお邪魔してカラーの放送を見せてもらってたんですよねぇ。


そんな我が家にナショナル電気(今のパナソニックですな)のカラーテレビがついにやって来ました。
ワタクシ達は正座をしたまま、電気屋さんがセッティングしてくれるのを見ていました。
「ハイ、これで映りますよ」と電気屋さんが言うと、父親が「オッホン」と咳払いをしてうやうやしくスイッチを入れました。
ブラウン管に画像が映ると思わず家族みんなで拍手したんですよねぇ
そういうくだらないことは、本当によく覚えているワタクシです


商店街の中に駄菓子屋さんがありました。駄菓子屋さんは当時の子供たちには「社交場」のような場所でありましたね。
毎日のように駄菓子屋さん小遣いを握りしめて行ってましたねぇ。


なぜか駄菓子屋さんって、必ずおばあちゃんが経営していた気がするんですよ。
おじさんや若いお姉さんがやっている駄菓子屋って記憶がないんですよねぇ

そんな過去の思い出に浸るワタクシでありましたが、そろそろお腹がへってまいりました。
商店街に美味しそうな麺類のお店があったので、ワタクシ達はそのお店に入りました。


家人は「チャンポン」を注文しました。家人が言うには「チャンポンといえば長崎がもちろん有名だが
福岡や大分でもチャンポンは一般的な麺類で、長崎に負けないくらい美味しいのだ」ということです。


ワタクシは「鶏天うどん」をいただきました
大分県というのは一人当たりの鶏肉消費量が日本一多い都道府県でありまして、鶏肉料理の種類が豊富で美味しいんですよねぇ。
大阪では鶏肉を天ぷらにするというのは滅多にありませんので、ワタクシはどんな味か楽しみでありました。


鶏肉の天ぷらも、うどんもとても美味しい味でして、ワタクシ達はなかなか満足でありました。
ではでは、豊後高田を後にするとしましょうかねぇ

使用したカメラ:FUJIFILM X-E1


地方都市はもちろん、大都市でも昔からの商店街が廃れ寂れていく姿を何度も何度も見てきました。
そんな状況の中、活気がある商店街の姿を見るのは嬉しく感じます。
今度実家に帰る時には、久々に商店街を歩いてみようかな



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コメント (29)

懐かしき昭和-大分県豊後高田市:昭和の町

2014年01月08日 | 大分
Syouwa Town, Bungo-Takada City, Oita Pref.

さてさて、帰省の際に大分県杵築市を訪ねたワタクシ達でありましたが、まだけっこう時間がありました。
ですので、ワタクシ達は杵築市から車で30分ほどの距離にある大分県豊後高田市へと向かったのです


どうして豊後高田市に行ったのかといいますと、ここには「昭和の町」と呼ばれる一画があるんです。
昭和の町とは何かといいますと、豊後高田市中心部の商店街は、昭和40年代までは国東半島で最も栄えた商店街であした。
その後、大型店の郊外への出店や過疎化のために衰退し、近年では「犬と猫しか通らない」と言われるほど寂れた状態だったそうです
「昭和の町」は、この商店街に賑わいを取り戻すために2001年(平成13年)に始められた町おこしで、
衰退のために建て替えが進まず、昭和30年代以前の古い建物が約7割も残っていることを逆手にとって、
中心商店街に昭和30年代の町並みを再現したものなんですよ。


この「駅通り商店街」がある一帯が「昭和の町」なのですが、この商店街の名前がまた興味深いんです
実は豊後高田市には鉄道がありません。当然、駅というものが現在は存在しないのです。
かつて日豊本線の宇佐八幡駅と豊後高田駅を結ぶ宇佐参宮線という鉄道ありました。
その終着駅だった豊後高田駅は1965年の宇佐参宮線廃線とともに駅としての役割を終え、建物や敷地はバスターミナルになりました。
しかしながら、商店街の名前はそのまま「駅通り商店街」という名前で残り続けたんですね


2001年に、9店の商店が昭和30年代をイメージした外観に戻したことから始まり、2006年には38店に広がりました。
今では年間に27万人の観光客が訪れるまでになり、地方都市再生の成功例として全国から注目されているんです


商店街が衰退し寂れたことを逆手に取ったのですから、これはなかなか見事なアイデアだと思います


ワタクシのように昭和30年代に生まれた者には、懐かしさを感じる町並みでありました。
一方、若い世代の人たちにはどこか新鮮さを感じるのかもしれないですね。


「オロナミンCは小さな巨人です」というCMがありました。子供の頃からワタクシは大のアンチ巨人でしたので
巨人ファンの友人に「ほんだら巨人は大きなオロナミンCやんけ」などと悪態をついていたものでした


懐かしいホーロー看板がありました。出来ることなら、真ん中に由実かおるさんのホーロー看板があれば嬉しいですな。


なかなか興味深い町並みです。もう少し歩いてみるとしましょうかねぇ

使用したカメラ:FUJIFILM X-E1


昭和30年代…高度経済成長の真っただ中だった時代です。
まだまだ近所付き合いが盛んで、当たり前のように隣近所と助け合っていました。
「努力すれば報われる。頑張れば幸せになれる」と疑うことなく信じることが出来ました。
そんな時代に生まれた私は、幸せだったのかもしれません



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陽光浴びて-大分県杵築市

2014年01月07日 | 大分
Kitsuki City, Oita Pref.

さてさて、歴史感じる城下町である大分県杵築市へとワタクシ達はやって来たのでありますが
せっかく城下町を歩いたのですから、杵築城の方にも行っていようと思いました


杵築城の天守閣は1608年に落雷によって焼失し、その後再建されることはありませんでした
現在ある天守閣は残念ながら模擬天守なんですよ。
とはいえ、海沿いの小高い丘の上に立つ天守閣からの眺めはなかなかのものなんです。


朝のうちは逆光になってしまうのは仕方がありません。しかしながら、穏やかな別府湾は陽光に輝き美しいものでありました。


天守閣の前で紋の写真を撮ったのですが、どうも紋はレンズを向けると横を向いてしまうんです。
紋はカメラが嫌いなのかなぁ…


杵築城を下って車を停めた駐車場の方に向かって行きますと、レトロというか昭和の雰囲気漂う商店街がありました。
ワタクシは商店街を歩くのがなぜか好きでありまして、商店街が寂れることなく活気があると嬉しくなります。
この日は12月29日ということで、どこもお店は閉店ですので賑わいがあるかどうかはわかりません。


ただ、どう見ても賑わいがあるようには見えませんでした。なんとか頑張ってほしいなぁと思うのですがねぇ


最後に北側と南側の台地にはさまれた低地にやって来ました。
一昨日のブログに書いたように台地の上には武家屋敷が立ち並び、南北の台地に挟まれた低地は町人の町でした。
現在も当時から残るお店が立ち並んでいますが、おそらく道路を拡張する際に、昔の雰囲気の建物に建て替えたのでしょうね。


そうそう、このあたりは電柱と電線が地中に埋められているのですよね
ワタクシ、日本の景観を破壊している要因として大きいのは電柱と電線、そして品の無い広告看板だと思っております。
ヨーロッパの町などへ行くと電柱と電線、そして下衆な看板が無いだけでいかに町の景観が美しいのか感心します。


ぜひ日本でも電柱や電線を地中に埋めて景観を守る自治体が増えることを願います。
そして、品の無い看板が各地で撤去されることを願ってやみません。

使用したカメラ:FUJIFILM X-E1


坂道が多い杵築の町…紋はチビのくせに、足取り軽く石段をトントン上り下りしていきます。
初めて歩く町ですので、見るものすべてが興味深いのでしょう。きょろきょろしながら尻尾を振り振り歩いていました。
車に戻ってくると、きっと疲れたのでしょうね。すぐに家人の膝の上で寝ておりました



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石畳を歩く-大分県杵築市

2014年01月06日 | 大分
Kitsuki City, Oita Pref.

さてさて、城下町らしい佇まいが残る大分県杵築市へワタクシ達はやって来たのでありますが
昨日のブログにも書いたように、この町は北側と南側に広がる台地の上に武家屋敷が立ち並び
その台地の間の低地に町人の町が広がっておりました。
そのために町の至る所に坂道がありまして、坂道を歩くのが好きなワタクシにはなかなか楽しい町でありました


南側の台地から北側の台地を眺めてみました。その間が低くなっているのがよくわかると思います。
一旦下に下ってから北側の台地の上に登る坂道を「酢屋の坂」といいまして、杵築を代表する風景としてよく紹介されています。


この坂が「酢屋の坂」と呼ばれるのは、文字通りこの坂の横にお酢を売るお店があったからだそうです


酢屋の坂を上り、今度は逆に北側から南側の台地を眺めてみました。
こちら側の坂道には「志保屋の坂」という名前がついておりました。これは塩屋があったことから名付けられたそうです。
こうして見ると、杵築の地形がなんとなく頭に描いていただけるのではないでしょうか


今度は北側の台地、通称北台の武家屋敷街にやってまいりました。
それにしてもこの石塀、今にも倒れそうな傾き具合ですね


いかにも武家屋敷らしい風景が広がっているのですが、右側の壁に門の屋根が見えるのですが、この門もなかなか興味深いものでした。


これは江戸時代から残る藩校学習館の「藩主御成門」が、現在でも杵築小学校の校門として使用されているのです
日本各地の城下町を歩いていると、城のそばにあるかつての藩校が国立大学や高等学校として残っている例をよく見かけます。
まれに小学校としても残っている例を見ますが、これだけの歴史遺産が現在も正門として使われているのはワタクシは初めて見る気がします。


かつて幕末の志士たちが学んだ場所に、今は可愛い小学生たちが元気に通学しているのですね


ワタクシはちょっとほのぼのした気持ちで、町の散策を続けたのでありました

使用したカメラ:FUJIFILM X-E1


初めて訪れる町を訪ねるのは、いつもワクワクした気持ちになります。
大分県杵築市…静かな佇まいの城下町は無粋な派手さが無く、落ち着いた雰囲気が好ましい町でした。
また一つ好きな町が増えたことを、私は嬉しく思います



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