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よっちんのフォト日記

旅先や日常で感じたことを
写真と文章で綴ってみたい。
そう思ってブログを始めてみました。

標高2760m -長野県茅野市:八ヶ岳・硫黄岳

2025年07月29日 | 信州(南信)
Ioudake, Yatsugatake, Chino City, Nagano Pref.

さてさて、この日の目的地である硫黄岳まで、ワタクシは極めて快調に歩いてきました。
と言っても、あくまでも「一般的な登山者の歩くペース」として順調だということです。
最近、ネットの悪い影響かと思うのですが、登山のスピードを競うようなサイトがあったり、
いかに自分が早いペースで山を登ったかをSNS等で報告したりする人が増えてるんです。

ワタクシは登山というのは他者と何かを競い合うものではないと思っています。
人によって登山の楽しみは千差万別。山を登る速さが登山の良し悪しを決めるものではありません。
40代の頃のワタクシは、登山の最大の楽しみって山頂で昼寝をすることだったんですよ


9時35分、「硫黄岳」の山頂に到着しました。息が乱れることもなく、順調にここまで歩いてくることが出来ました


昔ながらのVサイン、胴長短足の体型…どこまでも昭和そのままのよっちん氏です。こればかりは変えようがありませんな


八ヶ岳がある関東甲信越地方は7月28日に梅雨明けをしました。大阪に比べて一ヶ月も遅い梅雨明けの発表でした。
「梅雨明け十日」という言葉がありますが、梅雨が明けた後の10日間は安定した晴天が続くということを意味する言葉ですね。
しかし、ここ数年は梅雨が従来の梅雨とは形が変わってきました。
この日はまさに梅雨明け十日になるのですが、大気の状態は安定することなく、雲が湧いてくるんですよねぇ


硫黄岳には直径1㎞深さ550mの巨大な爆裂火口跡があり、火山の面影が色濃く残る迫力ある景色が広がっています。
八ヶ岳は約200万年前から1万年前までの長い期間に何度も噴火を繰り返して形成されたといわれています。
そうえいば、八ヶ岳と富士山の間に次のような伝説があるのは皆さんもご存知かなと思います。

“昔、八ヶ岳は富士山より高かった。富士山の女神(浅間神社)と八ヶ岳の男神(権現神社)が高さを競って争った。
喧嘩の仲裁に入った阿弥陀如来は、高さを確認するために両山の頂上に樋をかけ中央から水を流した。
その結果、水は富士山の方に流れ八ヶ岳の方が高いことが判明した。負けた富士山は悔しさの余り、八ヶ岳の頭を太い棒で叩いた。
すると頭が割れて八つの峰(硫黄岳、横岳、阿弥陀岳、赤岳、権現岳、旭岳、西岳、編笠山)に分かれ、以前より低くなってしまった”

八ヶ岳の広大な裾野を見ていると、この話もあながち嘘ではないのかなぁと思ったりもするんですよ


硫黄岳の山頂は広く、ガスが出ると迷いやすい場所なんです。そこで目印になる大きなケルンがいくつもあるんですよ。
ケルンとは山頂や登山道、分岐点などを表すために、小石を円錐型(三角型)に積んだものなんです。
大きなケルンと湧き上がる夏雲…夏山ならではの光景に気分が高揚してきます


登山には様々な登山用具が必要です。ワタクシはその中でも登山靴、レインウエア、ザックの3点に関しては、
多少値段が高くとも質の良い製品を買うべきだと思っています。
ワタクシは以前、お金をケチって安いレインウエアを買ったために雨に濡れて身体が冷えたことがあり、
安物のザックを担いで行ったために、ザックが身体にフィットせず背中の荷物が妙に重く感じたことがありました。
「安物買いの銭失い」とはこのことだなと思いました


左側(東側)から雲が流れてくるのですが、ちょうど雲に隠れているところにこの日の宿泊地である山小屋があるんです。
そちらに向かっていくとしましょうか


硫黄岳山頂から先は高山植物の楽園です。しっとりと濡れた「チシマギキョウ」が楽園へ誘ってくれています

使用したカメラ:FUJIFILM X-T30

PS.この日のワタクシ達が歩いたルートはここで見ることが出来るので、参考にしてください。
https://yamap.com/activities/41660908


関西には2000mを超える高さの山がありません。いや、関西どころか西日本には2000mを超える山が無いんです。
私は根っから関西人、大阪人ですので、東京が羨ましいとか東日本に住みたいとか思うことは特にありません。
ただ、「山」ということに関しては高い山が多い東日本の人が羨ましいなぁって思うんですよ。



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あの頂へ-長野県茅野市:八ヶ岳・硫黄岳

2025年07月28日 | 信州(南信)
Ioudake, Yatsugatake, Chino City, Nagano Pref.

さてさて、八ヶ岳の夏山登山にやって来たワタクシ達は、赤岳鉱泉を後にして硫黄岳へと向かいました


樹林帯の中を黙々と登っていきます。徐々に木々の間から周囲の風景が見えてきます。
遠くに見える雲の上に浮かぶかのような山は、木曽の名峰である御嶽山です


翌日に歩く八ヶ岳の主峰群が見えて来ました。右に見えるのが八ヶ岳の最高峰である赤岳
左側に見える鋭い岩峰が横岳です。この時の時刻は午前8時過ぎなのですが、八ヶ岳の向こうから(東側)から雲が流れてきます。
「昼からは雨」という天気予報ですが、予想以上に雨が早く降るんじゃないかという不安を感じてしまいます


赤岳の標高は2899m。山名は山肌が赤褐色であることに由来しています。写真の中央部あたりに赤岳天望荘が、
ちょっとこの写真では見えないのですが山頂には赤岳頂上山荘という山小屋があるんです


こちらの横岳は荒々しい岩壁が特徴です。この岩壁ではロッククライミングを行う熟練者も多いんです。
ワタクシ、この頃になると「今日は体調がいいなぁ」「あまり疲れを感じないやん」と思っていました。
この調子が続けばいいんですが、まだまだ油断はなりませぬ


樹林帯を抜け森林限界を越えると一気に展望が広がります。雲の彼方に見えるのは中央アルプスの峰々です。
八ヶ岳の魅力の一つは展望の良さ。天気が良ければ北アルプス、中央アルプス、南アルプス、富士山などを見渡すことが出来ます。
この日はもう雲がどんどん湧いてきていますが、翌日の大展望を期待することにしました


8:45に「赤岩の頭」と呼ばれる小さなピークに到着。ここで標高は2600mを超えていました。
右奥に見えるのが硫黄岳の山頂です。青い空、湧き上がる夏雲…夏山らしい光景に心が躍ります


よっちん氏は硫黄岳を背景に気合い十分です。稜線を吹き抜けていく爽やかな風が火照った身体を冷やしてくれます。
「山はええなぁ」「来てよかったなぁ」…そんな気持ちになるんですよね。
さあ、あの頂を目指してあと少し頑張るとしましょう


高山植物が疲れを癒してくれます。可憐な高山植物も夏山の魅力の一つです。
この花「ミヤマキンポウゲ」ですね。夏山には黄色い花が似合う気がします

使用したカメラ:FUJIFILM X-T30

PS.この日のワタクシ達が歩いたルートはここで見ることが出来るので、参考にしてください。
https://yamap.com/activities/41660908


私はこれまで登山に行くのは土日祝日を利用して登るのが常でした。当然多くの人がそうです。
ですので人気の山はいつも人が多く、山小屋などは混雑していることがほとんどでした。
今回は平日の火曜日、水曜日に登ったために、人気の八ヶ岳も人が少なかったんですよ。
静かな山旅を楽しむことが出来たのも、仕事を非常勤勤務にしたおかげですね。



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夏山登山-長野県茅野市:八ヶ岳・赤岳鉱泉

2025年07月27日 | 信州(南信)
Akadake Kousen, Yatsugatake, Chino City, Nagano Pref.

さてさて、7月22日〜24日までワタクシは相棒の「今では晴れ男さん」と信州に行っていました。今回は
1ー八ヶ岳で夏山登山を楽しむ。
2ー下山後は上諏訪温泉に宿泊する。
という予定を立てて21日の夕方に大阪を出発し、22日の0時に登山口である美濃戸に到着。
車の中で仮眠をとって夜明けとともに行動を開始します


午前4時に起床。コンビニで買ってきた朝食を食べ、洗面やトイレを済ませてから身支度を開始。午前5時に出発します。
八ヶ岳は単独峰ではなく、北の蓼科山(標高2530m)から南の編笠山(標高2524m)まで南北約25kmの距離に
およそ20の峰が連なる連峰なんです。今回はその中でも硫黄岳(標高2760m)から赤岳(標高2899m)を縦走します。
この区間が八ヶ岳の核心部というか、一番見応えと登り甲斐があるルートかなと思います。
下の地図で赤い矢印が1日目、青い矢印が2日目に歩いたルートになります




美濃戸から約2時間はなだらかな上り坂を黙々と歩くことになります。
この日も翌日も天気予報は「朝のうちは晴れ、昼から雨。午後は激しい雨や雷に注意」ということでした。
ですので、出来るだけ早く山小屋に着いて午後の雷雨は避けたいと考えていました


徐々に坂道も険しくなり、山深くなってきます。このルートは人気のコースなのですが三連休後の火曜日ということもあり、
登山者の数は多くありません。これなら静かな山旅を楽しむことが出来そうです


まず目指すのは赤岳鉱泉と呼ばれる山小屋です。ここで最初の休憩を取ろうと思っています


赤岳鉱泉が見えました。その奥に見えるのは八ヶ岳の稜線です。翌日はあの稜線を歩くのだと思うと気合いが入るのです


「赤岳鉱泉」に6時50分に到着。この山小屋は八ヶ岳登山のハブとしての役割を果たしています。
一年中営業し、特に冬のベースキャンプとしての人気は高いです。ワタクシは25年ほど前に一度泊まったことがあるんです。
ここでしばしの休憩。水を補給したり、トイレに行ったり、他の登山者と情報交換をして時間を過ごします


奥に見えるのが八ヶ岳の最高峰である赤岳です。翌日はあの頂に立つのです。
ワタクシは赤岳の山頂には夏に一度、秋に一度、冬に一度立ったことがありますが、その時とは年齢が違います。
どうか無事にあの頂に立つことが出来ますように。そして、無事に下山出来る様に願うのでありました


30分の休憩を終えて7時20分に赤岳鉱泉を出発。今日の目的は硫黄岳です。ここからが本格的な登山道なんです。
赤岳鉱泉の標高が2200mほどなので、ここから一気に560mの標高差を登っていきます。さあ、頑張ろう

使用したカメラ:FUJIFILM X-T30

PS.この日のワタクシ達が歩いたルートはここで見ることが出来るので、参考にしてください。
https://yamap.com/activities/41660908


今年は1日平均1万2000歩を歩いています。また、毎月必ず関西のどこかの山を登ってきました。
体重も今年は4〜5kg減量することに成功しました。さあ、これらの効果が今回の山登りで感じることが出来るでしょうか。
もうすぐ64歳になる爺さんですが、今回の山行で「まだまだ登山を楽しもう」と思うのか。
それとも「もう山はこれが最後や」と思うのか。そんなことも思いながらの登山のスタートだったんです。



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インバウンドの光と影-大阪市中央区:空堀

2025年07月26日 | 大阪(大阪市内)
Karahori, Chuo Ward, Osaka City

さてさて、大阪市中央区にある「空堀」と呼ばれるエリアを、ワタクシはカメラを片手に歩いていました


ワタクシが育った場所がこういう光景の路地裏だったんですよ。路地裏は車が入ってこないので、子どもには絶好の遊び場でした。
かくれんぼ、鬼ごっこ、缶蹴り、ビー玉、キャッチボール…飽きもせずに毎日のように遊び呆けていたものです。
今は路地裏に行っても子ども達の姿を見ることはほとんどありません。子どもの声が聞こえてくることはありません


空堀は大阪市中央区という、大阪市の中心部にあります。ですので、周辺は近代的な大都会です。
すぐ向こうには高層マンションが建っているのに、空堀には古い地蔵尊がいくつも残っています。この対比が面白い


ワタクシは昭和36年(1961年)生まれです。この界隈を歩いていると、ワタクシが子どもの頃に見ていたような風景が次々に現れます。
あの頃、子どもの目にも日本という国が右肩上がりで経済成長していることがわかりました。
日本中が豊かになったいく姿が、子どもの目にもはっきりと見てとることができました


大阪は1970年の大阪万博に向けて活気に溢れていました。あの万博は発展を続けていた大阪のピークを表していたように思います。
万博からわずか2年後、オイルショックが起こると中小企業によって支えられていた大阪は急速に衰退していきます。
もう大阪が「商都」「経済の中心」「東の東京、西の大阪」と呼ばれるようなことは二度とないでしょう


廃校になった桃谷小学校の跡地に二宮尊徳(金次郎)の銅像がありました。
薪を背負いながら本を読んでいる姿は、勤勉の象徴として全国各地の小学校に銅像として設置されたと言われています。
しかしながら、「児童の教育方針にそぐわない」「子どもが働く姿を勧めることはできない」「戦時教育の名残という指摘」
「歩いて本を読むのは危険」などの保護者からの声などを理由に次々と撤去されていき、今はほとんど見ることがありません


今回、空堀を歩いていて目についたのが「民泊反対」と書かれた貼り紙や看板です。
実は大阪市が認定する特区民泊の件数は国内全体の95%と突出し、周辺住民からの苦情が激増しているんです


ワタクシが大阪市内にある実家に行って近所を歩いていると、「えっ、こんな場所に民泊があるの」と驚くことがあります。
この状況で現在行われている関西万博の跡地にカジノが造られると、大阪はさらに外国人による犯罪が多発するかと思います。
外国人観光客、外国人労働者、さらには外国人移民との衝突や軋轢…その対策は喫緊の課題だとワタクシは思っています


ワタクシは大阪で生まれ、大阪で育ち、今も大阪で暮らしています。ワタクシが生まれてからもうすぐ64年になりますが、
大阪の町の変化をずっと見てきました。これから大阪の町はどう変わっていくのか、ワタクシには想像がつきません


願わくば、大阪は「大阪らしさ」を失わずに、日本人と外国人が共存できるコスモポリタンな町であってほしいです

使用したカメラ:FUJIFILM X-T30


私は比較的暑さに強い方で、生まれてから一度も「夏バテ」「夏に食欲が落ちる」といったことを経験したことがありません。
しかし、さすがにここ数年は夏の暑さが堪えるようになってきました。昼間は外に出るのが嫌になることが多いです。
あと5年もしたら、私も夏は家の中でジッとしているようなことになるのかなぁ。



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「昔の大阪」が残る町並み-大阪市中央区:空堀

2025年07月25日 | 大阪(大阪市内)
Karahori, Chuo Ward, Osaka City

さてさて、「ちょっと大阪の町を歩きたいな」と思ったワタクシは、「空堀」の町を訪れました。
空堀というのは大阪市中央区に位置し、地下鉄谷町線谷町6丁目駅南側一帯が該当します


「空堀商店街」が東西に続いています。昨今、多くの商店街がシャッター街と化し、寂れていく姿を目にします。
しかし、この空堀商店街は活気があり、いつも多くの買い物客で賑わっています


空堀という地名は、大坂城の堀の名前に由来します。この場所には大坂城の三の丸の外堀である南惣構堀がありました。
南惣構堀は水のない空の堀であったことから空堀という名前になったとのことです


この南惣構堀は強力な堀で、大坂冬の陣で大坂城を取り囲んだ徳川軍が、この空堀を突破することができませんでした。
その後の和議によって空堀は埋められてしまい、大坂夏の陣がおきるのでした


太平洋戦争の末期である1945年には、大阪大空襲によって、大阪市内の多くの場所は焼け野原になってしまいました。
しかし、この空堀地区は幸運にも被害を免れました。そのため、空堀地区には江戸時代から戦前にかけての町屋や
長屋などの古い建物が多く残っているんです。今ではそういった古い建物を再生して商業施設として活用しているお店が増え、
若い人にも人気になっているんです


大阪市は平坦な土地が多いのですが、上町台地という台地だけが少し小高い丘陵地になっているんです。
空堀界隈は上町台地の西側斜面にあたるので、坂道が多いのが特徴です


この建物と道路を見てもらえれば、空堀が坂道が多い町だということがわかっていただけるかと思います


こんな石畳が残っています。京都の路地を歩いているかのような気持ちになります


路地の奥に進んでいくと、昭和にタイムスリップしたかのような光景に出会いました。
「美空ひばりのキンチョウ蚊取り線香」「由美かおるのアース蚊取り線香」のホーロー看板です。
ここに「水原弘のハイアース殺虫剤」の看板もあれば、三役揃い踏みという感じがしますな


ワタクシが子どもの頃、近所の路地裏にも井戸があったなぁ…そんなことを思い出しました

使用したカメラ:FUJIFILM X-T30


この日は35mmf1.4、16mmf1.4という2本の単焦点レンズだけを持ってきました。
私のカメラはAPS-Cなので、フルサイズのカメラに換算すると約50mm、約24mmのレンズということになりますね。
町歩きの時は大袈裟なズームレンズよりも、単焦点レンズが相応しいように思います。



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