大阪市北区で行政書士・海事代理士・マンション管理士を営んでいる原田行政書士法務事務所の駅ブログ

主に学生時代から撮り続けている全国の駅の写真等をブログで毎日公開しています。

旧国鉄天北線 小頓別駅!

2020年03月15日 | 

北海道枝幸郡中頓別町にあった小頓別駅は、音威子府駅からオホーツク沿岸を迂回して南稚内駅までの148.9kmを結んでいた全線単線非電化のローカル線だった天北線の一般駅として、1914(大正3)年11月7日に開業しました(開業時は宗谷線に所属)。
しかし、天北線が国鉄からJR北海道に移行後の1989(平成元)年5月1日に廃止されたことに伴い、小頓別駅も廃駅となりました。

千鳥式に配置された単式ホーム2面2線を有していて列車交換可能な有人駅でした。 また、かつてこの駅からは木材の搬出もなされていたので、貨物ホームや引込み線もありましたが、それらは貨物取扱い廃止後に撤去されました。
開業時に建てられた木造駅舎が上りホーム(音威子府方面行きホーム)側にあり、下りホームへは構内踏切でで連絡していました。

この小頓別駅は、天北線廃止時まで運行されていた急行「天北(札幌駅~稚内駅)」の停車駅でもありました。

小頓別駅が属していた天北線は、昭和40年頃から貨物・利用者共にが減少し、1981(昭和56)年の営業係数(100円の売り上げを得るために必要な費用)は887にまでなっていました。そのため、1980(昭和55)年12月27日の国鉄再建法(日本国有鉄道経営再建促進特別措置法)施行による特定地方交通線選定の際には第2次特定地方交通線に選定されますが、営業キロが148.9kmもあった長大路線であったため地元の自治体が特別な配慮を求めたことや、沿線道路が未整備だったため、冬季の代替輸送に問題があるとして一時廃止承認が保留されたものの、その後、運輸省(現・国土交通省)の調査結果を受けて1985(昭和60)年8月2日に追加廃止承認されてしまいます。 沿線自治体は天北線対策協議会を開いて存続運動を展開しますが、1988(昭和63)年に開かれた第4回対策協議会でやむなくバス転換を受け入れました。

そして天北線は、1987(昭和62)年4月1日の国鉄分割民営化により北海道旅客鉄道(JR北海道)に承継された後、1989(平成元)年4月30日限りで廃止され、それに伴い中頓別駅も廃駅となりました。

  <小頓別駅の年表>

 ・1914(大正3)年11月7日:国鉄宗谷線の一般駅として開業
 ・1919(大正8)年10月20日:線路名が宗谷線から宗谷本線に改称されたのに伴い、同線の駅となる
 ・1930(昭和5)年4月1日:線路名が宗谷本線から北見線に改称されたのに伴い、同線の駅となる
 ・1961(昭和36)年4月1日:線路名が天北線に改称されたのに伴い、同線の駅となる
 ・1970(昭和45)年11月1日:接続していた歌登町営軌道の廃止
 ・1982(昭和57)年6月1日:貨物取扱い廃止
 ・1984(昭和59)年2月1日:荷物取扱い廃止
 ・1987(昭和62)年4月1日:国鉄分割民営化により北海道旅客鉄道(JR北海道)の駅となる
 ・1989(平成元)年5月1日:天北線の廃止に伴い廃駅となる。

 
(駅 名 標)

 
(音威子府方面を望む)

 
(駅舎・ホーム側)

 
(小頓別駅駅舎)