大阪市北区で行政書士・海事代理士・マンション管理士を営んでいる原田行政書士法務事務所の駅ブログ

主に学生時代から撮り続けている全国の駅の写真等をブログで毎日公開しています。

加古川線 船町口駅!

2015年12月31日 | 

兵庫県西脇市黒田庄町にあるJR西日本の船町口駅は、山陽本線の加古川駅と福知山線の谷川駅とを結んでいる全線単線の加古川線(34.6km)の駅です。
もともとは播丹鉄道の停留場として1924(大正13)年12月27日に開業しました。

単式ホーム1面1線のみを有する無人駅で、白いコンクリート造の小さな待合室があります。

船町口駅の利用者は少なく、2012(平成24)年度の1日の平均乗車人員は7人です。

 <船町口駅の年表>

 ・1924(大正13)年12月27日:播丹鉄道の停留場として開業
 ・1943(昭和18)年6月1日:旅客駅に昇格して船町口駅となる
 ・1943(昭和18)年6月1日:播丹鉄道が国有化されて国鉄加古川線となり、同線の駅となる
 ・1987(昭和62)年4月1日:国鉄分割民営化により西日本旅客鉄道(JR西日本)の駅となる
 ・1990(平成2)年6月1日:加古川鉄道部の発足により、その管轄となる
 ・2009(平成21)年7月1日:加古川鉄道部廃止に伴って神戸支社直轄へ変更され、加古川駅の被管理駅となる
 ・2013(平成25)年8月1日:駅構内終日全面禁煙化

 
(駅 名 標)

 
(谷川方面を望む)

 
 (西脇市方面を望む)


 撮影年月日:2002(平成14)年12月18日


紀勢本線 那智駅!

2015年12月30日 | 

和歌山県東牟婁郡那智勝浦町にあるJR西日本の那智駅は、亀山駅から新宮駅を経て和歌山市駅までの384.2kmを結んでいる紀勢本線の駅です。
もともとは新宮鉄道の一般駅として1912(大正元)年12月4日に開業しました。

相対式ホーム2面2線を有していて列車交換可能な無人駅です。
1936(昭和11)年に建てられた熊野那智大社を模した社殿風の駅舎が今も健在で、1998(平成10)年8月に町営の那智駅交流センターが増築されました。

2013(平成25)年度の1日の平均乗車人員は66人です。

この駅は熊野那智大社や那智滝など那智観光の玄関口だったので、1984(昭和59)年2月1日のダイヤ改正までは寝台特急「紀伊」や特急「南紀」の一部が停車していましたが、現在は全ての特急がこの那智駅を通過します。

 <那智駅の年表>

 ・1912(大正元)年12月4日:新宮鉄道の一般駅として開業
 ・1934(昭和9)年7月1日:新宮鉄道が国有化されて国鉄紀勢中線となり、同線の駅となる
 ・1940(昭和15)年8月8日:紀勢中線が紀勢西線に改称されたのに伴い、同線の駅となる
 ・1959(昭和34)年9月15日:紀勢西線が紀勢本線の一部となり、同線の駅となる
 ・1985(昭和60)年3月14日:駅の無人化
 ・1987(昭和62)年4月1日:国鉄分割民営化により西日本旅客鉄道(JR西日本)の駅となる

 
(駅 名 標)

 

 
(那智駅駅舎)


 撮影年月日:1997(平成9)年9月11日


南海電鉄高野線 紀伊清水駅!

2015年12月27日 | 

和歌山県橋本市にある紀伊清水駅は、汐見橋駅と極楽橋駅とを結んでいる南海電鉄高野線(64.5km)の駅です。 もともとは南海鉄道の清水駅として1925(大正14)年3月15日に開業しました。

17m級2扉車4両分の有効長をもつ相対式ホーム2面2線を有する無人駅です。
開業時に建てられた古い木造駅舎が今も健在です。

2013(平成25)年度の1日の平均乗降人員は405人で、これは南海電鉄全100駅中87位です。 また高野線の駅では42駅中35位です。

 <紀伊清水駅の年表>

 ・1925(大正14)年3月15日:南海鉄道の清水駅として開業
 ・1925(大正14)年3月27日:駅名が紀伊清水駅に改称される
 ・1944(昭和19)年6月1日:戦時統合により南海鉄道と関西急行鉄道が合併して近畿日本鉄道となり、同鉄道の駅となる
 ・1947(昭和22)年6月1日:近畿日本鉄道が旧・南海鉄道の路線を南海電気鉄道に譲渡したことにより、同鉄道の駅となる
 ・2010(平成22)年4月1日:駅の無人化

 
(駅 名 標)

 
(高野山方面を望む)

 
(橋本方面を望む)

 

 


 撮影年月日:2008(平成20)年12月23日


東海道本線 安土駅(旧駅舎)!

2015年12月26日 | 

滋賀県近江八幡市にあるJR西日本の安土駅は、東京駅から名古屋駅、米原駅を経由して神戸駅までを結んでいる東海道本線(589.5km)の一般駅として、1914(大正3)年4月25日に開業しました。

単式ホームと島式ホームの2面3線を有する直営(有人)駅です。
開業前の1912(明治45)年に建てられた木造駅舎が健在ですが、2017(平成29)年3月に橋上駅舎が完成する予定です。

2013(平成25)年度の1日の平均乗車人員は2,143人です。

この駅の駅前広場には、織田信長の立像が建てられています。 また駅から北東方向に歩いて25分程の所に安土城跡があります。

 <安土駅の年表>

 ・1914(大正3)年4月25日:国鉄東海道本線の一般駅として開業
 ・1972(昭和47)年3月15日:貨物・荷物取扱い廃止
 ・1987(昭和62)年4月1日:国鉄分割民営化により西日本旅客鉄道(JR西日本)の駅となる

 
(駅 名 標)

 
(跨線橋から米原方面を望む)

 
(駅舎・ホーム側)

 
(駅舎正面)

 
(駅 舎 内)


 撮影年月日:2015(平成27)年8月30日


旧国鉄湯前線 湯前駅!

2015年12月25日 | 

熊本県球磨郡湯前町の湯前駅は、肥薩線の人吉駅と湯前駅とを結んでいた全線単線非電化の旧国鉄湯前線(24.8km)の一般駅として、1924(大正13)年3月30日に開業しました。 しかし、湯前線はその後、第3セクターのくま川鉄道に転換されました。

現在は相対式ホーム2面1線を有する有人駅です。
開業時の大正13年3月に建てられた木造駅舎はくま川鉄道に転換後の今も健在で、2014(平成26)年12月19日に国の登録有形文化財に登録されています。

湯前駅が属していた旧国鉄湯前線は、球磨盆地で産出された木材を運ぶことを主目的にして1924(大正13)年3月30日に開通しました。さらに改正鉄道敷設法により九州南部を横断する鉄道として妻線(1984年11月30日に廃止)の杉安駅までの延長が計画されていましたが、結局実現には至りませんでした。

湯前線の最盛期の1960年前後には、木材や坑木や石炭などを積載した貨車をつないだ貨物列車を蒸気機関車が牽引して毎日運転されていましたが、その後の木材需要の減少などにより1980(昭和55)年6月1日に貨物列車の運行も廃止されてしまいます。
また、旅客営業も年々減少したことから、湯前線は1980年12月に施行された国鉄再建法(日本国有鉄道経営再建促進特別措置法)により、1987(昭和62)年2月3日に第3次特定地方交通線として廃止承認されます。

そして湯前線は同年4月1日の国鉄分割民営化により九州旅客鉄道(JR九州)に承継された後、1989(平成元)年2月27日に開かれた第5回湯前線特定地方交通線対策協議会において協議した結果、正式に第3セクター鉄道として存続することを決定し、同年10月1日に第3セクターくま川鉄道に転換されました。

 <湯前駅の年表>

 ・1924(大正13)年3月30日:旧国鉄湯前線の一般駅として開業
 ・1974(昭和49)年10月1日:貨物取扱い廃止
 ・1987(昭和62)年4月1日:国鉄分割民営化により九州旅客鉄道(JR九州)の駅となる
 ・1989(平成元)年10月1日:第3セクターくま川鉄道の駅となる
 ・2010(平成22)年10月1日:駅の無人化
 ・2011(平成23)年4月1日:駅の有人化

 
(駅 名 標)

 

 

 
(硬券入場券)


 撮影年月日:1988(昭和63)年10月10日