理恵子は、普段は胸に留めていた織田君に対する不満や愚痴を言ったあと、これだけは聞いてはいけないと常に考えていたことも、織田君に話をしているうちに、寂寞感と現在と将来に対する不安感がない交ぜになって、どうしても聞いておきたい一念にかられ、心の中ではその様なことが無いことを祈りつつも、彼の顔を見ずに震えるように小声で、思いきって
「あなた、女の人の肌に触れたことがあるの?」 「若し、あったとしても、この体格ですもの、私、あなたを攻めないヮ」
と、彼の腕に両手でしがみつく様にして身を寄せて聞いてしまった。
織田君は、黙って時折遠くを見ながら聞いていたが、彼女の話が終わったころを見計らって、黒く輝いた瞳で彼女の顔を見つめ、今まで見たこともない厳しい顔をして、ゆっくりと諭す様に
「リーも、僕の現在の境遇を知っているだろう」 「それなのに、どうしてその様なことを聞くんだい?」
「僕達は、そんなに安ぽい恋愛だったのか。と、僕の方が驚いているくらいだよ」
「奈津ちゃんや江梨子ちゃんは、皆、それぞれの道を、自分達の目標に向かい歩んでいるので素晴らしいことだが、僕達には僕達の歩む道があるんだよ」
「何も、彼女達と同じようにと焦って考えることはナンセンスだなぁ」
と言った後、続けて
「僕達位の年齢になれば、それはSEXも、二人の愛を確かめるために必要な手段かも知れないが、それだけが人生の目的ではなく、僕達の間では、自然にその機会が訪れるものだと思っているよ」
「確かに、若くて容姿の綺麗な女性に遭遇したとき、理性が迷いそうになることもあったが、お前の気持ちを思うと例え遊びであっても許されないことだと思い、それらしき誘いがあっても思い留まって、指一本触れずに過ごしたことも何度かあったよ」
「同僚には、お前は固すぎる。古い生き方だと冗談に言われ、からかわれもしたし・・」
「だけど、若くて健康的な男性なら、その様なことは誰しも経験していると思うよ」
「中には実際に行きずりの一夜の恋として、行動に出た者もいるし・・」 「然し、行動に出ることはともかく、そんなことを考えることは罪でもなく、成熟した生物である男性の自然なことだと思うがな」
「リーは僕の考えをどう思う」 「考えることも嫌らしいことかい?」
と、彼らしく自立した生活を優先する従来からと変わらない彼の考えを、胸に刻み込む様に一言も漏らすまいと聞いていて、彼にも悩みがあるんだなぁと思い、自分達のために自然な欲求を殺してまで生きる彼に一層慕情がこみ上げてきた。
彼は、理恵子が「わかったヮ」と小声で返事をして頷くと、彼は普段の顔に戻り、更に続けて
「お盆に帰る前には、社長の好意で多少ボーナスも出るし経済的に余裕が出来るので、箱根にでも遊びに行くかぁ~」
と、少し笑顔を交えて彼女を慰めるかの様に言うので、理恵子は
「わたし、少しは貯金があるので、早く行きたいヮ」 「何処でもよいので、あなたの選んだところで、思いきり遊んでみたいヮ」
と言うと、彼は苦笑して
「まだ、生活力もない、リーのお金で遊んでは、男がすたるよ」
と言って笑い相手にされなかった。
理恵子は、彼の生活に少しでも役に立ってあげたいとゆう思いと、彼に「次に逢えるのは何時?」と聞きずらいので、思いきって
「ネェ~ 今度、織田君の宿に行ってもいい?。邪魔にならない様にするから」 「いいでしょう、地図を描いてョ」
とメモ紙とペンを出して話すと、彼は
「ウ~ン それはまずいなぁ」 「それに、独身専用のワンルーム・マンションで狭く、似たような家並みが並んでいて探すのに大変だよ」
と渋い顔をしたが、今度は彼女も本来の明るい声で、彼の脇腹をくすぐる様にして、なんとか納得させようと、いたずらっぽく皮肉を込めて
「アラッ 見られて悪いとゆうことは、怪しいことでもあるの?」 「もう、わたし、少し位のことでは驚かないヮ」
と、いたずらっぽく笑って催促し、今度は彼の頬を人指し指で突っいて、返事をするまで止めないので、彼も返事に窮して
「凄く汚れているよ。なにしろ、掃除なんか、たまったにしか、していないから・・」
「それに、洗濯物も大分溜まっていて部屋の中が息が止まるくらい臭いよ」
と、なんとか断ろうとしたが、彼女は奈津子にもっと積極的に行動しなさいと忠告されたことを思い出し
「あなたが留守でも、お邪魔してお掃除や洗濯をしてあげたいの」 「ネェ~ たまには、わたしにも、我侭させてよ」
「わたし、珠子さんや大助君に家を探す道案内をして貰うヮ」 「何時がいいの?」 「わたし、もう決めてしまったんだから」
と、飽くまでも諦めないので、彼も観念したのか
「しょうがないなぁ~」 「今度の日曜日にするか」
「ただ、珠子さん達を家に入れないでくれよ。見せられたもんじゃないワ」
と渋々ながら返事してやっと承知したが、彼女が念を押す様に、彼の小指に自分の小指を絡ませながら
「当日、急用が出来たと言って、断らないでよ」 「お昼のお弁当は、わたしが用意して行きますから」
と、さっさと決めてしまったので、彼は約束は守るとゆう意思表示のつもりで、キーホルダーからマンションの予備の合い鍵をはずして渡したら、彼女はやっと安心して「無理を言って、御免なさいネ」と嬉しそうに鍵を額の前で恭しくかざしたあと大事そうにバックに仕舞いこみ微笑んだ。