旅行 写真で紹介 

旅のあれこれ、見たこと、感じたこと 写真で現地を紹介します。

厳島神社

2014-05-04 00:11:59 | 神戸市兵庫区
2014年5月3日
厳島神社(いつくしまじんじゃ)は神戸市兵庫区永沢町に鎮座する神社です。阪神・阪急・神戸電鉄新開地駅の南100mにあります。
祭神は市杵嶋姫命(いちきしまひめのみこと)です。
由緒書によれば、当社は今から約八百年ほど前の治承四年(1180)、平清盛公によって建立されました。清盛公はかって安芸守に任ぜられた時より、厳島明神を深く信仰していましたので、都を京都から福原に移した際に、厳島明神を安芸国より勧請したのです。
当社の縁起によると、清盛公が兵庫の港に築島を築こうとされた時、ある夜の夢に天女が現われ「私は安芸国厳島明神である。この海を暴風雨から守り、汝の志を能く成就せしめんが為に来たのである。篤く信仰して必ず疑う事なかれ」とお告げになりました。清盛公は深く喜び、兵庫の港の守り神として明神を祀ることにしました。

神戸市兵庫区永沢町4-4-21
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鳥居

厳島神社(兵庫弁天)の説明書
福原京の周り7つの地に厳島神社を勧進したので、七弁天と呼ばれ、花隈・佐比江・西宮内・夢野・真野・渦輪とこの社となっています。他の弁天社が神社や寺と併祀しているのに対して、ここのみが独立していたため、渦輪にあった弁天社を合祀して存続しています。



手水舎


本殿


龍燈の松
 かつて本殿の裏に、樹齢千年にも及ぶ老松があり、清盛公が厳島明神をおまつりする所を探していた時、この松の梢に燈火がかかるという奇瑞があったので、当地を社地に定めたと伝えられています。
 のち文政7年(1824)5月5日、沖から燈火が飛来し、この松にかかり煌々と輝いたので「龍燈の松」と称するようになりました。太さ約1.5m、高さ約3mの枯幹が残っていましたが、戦災により焼失しました。

灯篭





針塚





退華塚

創立800年記念碑

旅生池

境内の白萩稲荷、若永稲荷

看板

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願成寺

2014-05-04 00:10:09 | 神戸市兵庫区
2014年5月3日
願成寺(がんじょうじ)は、浄土宗の仏教寺院です。
本尊は、阿弥陀如来で、福原西国三十三ヶ所 第15番札所です。
願成寺の境内にある墓地の一番奥に、平通盛(みちもり)と小宰相の局(こざいしょうのつぼね)の五輪塔があります。

烏原に古くからあった観音寺という寺を鎌倉時代初期に 法然上人の弟子・住蓮が妻の安楽とともに再興し、願成寺と名づけ、念仏業に励んだ。建永元年 (1206年)、洛東の鹿ケ谷で念仏会を開いた時、後鳥羽上皇愛妾・松虫、鈴虫が参会し、住蓮に心酔して仏門に入ったので、住蓮、安楽は上皇の怒りにふれ 二人は処刑された。弟子たちは住蓮の首を願成寺に持ち帰り葬った。この時、烏が住蓮の首をくわえて、この寺に持ち帰ったとされ、烏が群をなして鳴いたので 上野村と呼ばれていたのを烏原村と呼ぶようになったといわれています。願成寺は烏原村がダムで水没すると、松本通二丁目の現在地に移っりました。
神戸市営地下鉄湊川駅の西北200mくらいのところです。
神戸市兵庫区松本通2丁目4-11
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山門

本堂










住蓮の石塔と小宰相局・平通盛供養塔

願誉上人の塔

心誉上人の塔

興誉上人の塔

境内にて



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善光寺

2014-05-04 00:06:42 | 神戸市兵庫区
2014年5月3日
会下山善光寺は天台宗に属し、比叡山延暦寺を総本山としています。当寺は、大正六年四月八日、善光寺関西別院会下山寺として開創し、信州善光寺一山より英盛師神戸東錫により開山一世となりました。
会下山公園の東に位置しており、平業盛(なりもり)の塚があります。業盛は、平清盛の弟である平教盛の子で、寿永3年(1184)、一の谷の合戦により討ち死にし、17歳でこの世を去りました。境内は良く整備されており、本当に落ち着く寺院です。

神戸市兵庫区会下山町2丁目18-13
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平業盛の塚






ユカシ地蔵



鐘楼


地蔵



表誠碑



成就観音



筆塚



聖徳太子堂







六地蔵

境内の会下山稲荷


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長福寺

2014-05-04 00:03:50 | 神戸市兵庫区
2014年5月3日
長福寺(ちょうふくじ)は兵庫県神戸市兵庫区熊野町にある浄土宗知恩院派の仏教寺院です。
寛文7年(1630年)伝求上人の開基です。
ウィキペディアによると、当寺のある夢野は『摂津風土記』の逸文や『日本書紀』に見える禁野(イミノ)で、殺生禁断の場所とされています。仁徳天皇の時代より、この地の氷室から水を高津の宮へ運んだと、〝夢野の氷室″に語り伝えられています。 平安後期には上野(現在の烏原)願成寺に法然上人の弟子住蓮坊が住まい、土他の人びとに阿弥陀信仰を説き、多くの信者をあつめていた。 さらに念仏行者の徳本上人が再三この地を訪ずれて仏教信仰を説いたため、一寺建立へとつながった。
 兵庫区のHPの説明書によれば、もとは、鵯越道の登り口の四つ辻にあって行暮地蔵と呼ばれていた。鵯越道は兵庫から 藍那を通って六甲山地の北の山田方面へ越す古くからの山道で、元禄9 年(1696)の「兵庫津絵図には兵庫の三川口から「ひよどり越道」として会下山を越える道が描かれている。この行暮地蔵は、旅人の目じるしや、鵯越道を上下する旅人の一息つくところとなっていた。

神戸市兵庫区熊野町5-1-1
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境内にて








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熊野神社

2014-05-04 00:02:32 | 神戸市兵庫区
2014年5月3日
熊野神社は、由緒書によれば、平清盛が、福原遷都の際、皇城鎮護の神として、後白河法皇のご崇敬の厚い紀州熊野権現を勧請し、この地に祭祀した。然し、まもなく京都に還幸になったので地元夢野の住民が産土神として尊信し、縁結び、福徳延命、事業創設、の祖神として、ご神徳を仰ぎ、現在に至ったと伝えられています。
創建は不詳です。倒壊した旧社殿は、天保十巳亥年4月21日(1840)上棟の棟札があり、古くは熊野神社の御本殿であったと考えられています。昭和20年の戦災で焼失し、現在の社殿は昭和46年5月に復興再建されました。
流れ造、木造、銅板葺で、26.12坪の東向の社殿は楠の緑に囲まれ、荘厳そのものです。
神戸市兵庫区熊野町3丁目1-1
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由緒書

鳥居

東側の鳥居

本殿

手水舎

力石







境内の荒木稲荷神社

境内の大神宮社

境内の牛神社

境内の古殿神社

境内の諸社(祇園、蛭子、春日、八幡、猿田彦、地主神)

境内の金比羅神社


霊安殿
当神社の為、又地域発展の為尽くした神社宮司、氏子総代、世話人外特に功績のあった人々の御霊と、氏地々区より出兵戦傷病没死者の英霊が祭祀されています。

即位大典記念碑


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